「寒いだろ」
「え? ううん、そんなことないよ」
「あ、そ。……俺はすげー寒い」
「もう。たーくん、おじいちゃんみたいだよ?」
「ジジイ扱いするな。せめて、オッサンにしてくれ」
「……どっちもあんまり変わらないじゃない」
玄関の鍵を閉めながら笑われ、つい苦笑が浮かぶ。
こういうやり取りは、いいもんだと素直に思う。
何も余計なことを考えずに、笑いあえる仲。
……こうしていると、先ほどまで考えていたあの図書館での気まずさも浮かんではこない。
もし、聞こえていたのならば。
そして、それを踏まえた上で葉月がこうして笑ってるのであれば……やっぱり、コイツは見ため以上に強いんだと思わされる。
だが。
それが、葉月の悪いところ。
たとえどんなことがあっても、表には出さずに自分の中へ押し込めて――そして、外へは漏らさない。
だから、周りからは『くじけない、強い子』と勝手に思われ、どんどんさらけだせる機会が奪われていく。
自分が苦しんでいることを少しでも打ち明けるべき、そういう機会を。
……葉月がこうして何もなかったかのように笑っているときは、安心すると同時に不安にもなる。
本当は、何か苦しんでるんじゃないか。
本当は、今にでも押し潰されそうなんじゃないのか。
葉月が笑顔でいてくれることが俺たちにとっての幸せだとは思うが、我慢して耐えている笑みは不要でしかない。
もう二度と、あんなつらい思いはしてほしくないのが本音。
「あー……先にエンジンかけとくんだったな」
ハンドルが冷たくて、つい手を離して腕を組む。
車内もすっかり冷え切っていて、足元が結構寒い。
俺でこんななんだから、スカートなんて穿いてる葉月はもっと寒いだろうはず。
エンジンが温まっていない今暖房を入れても、冷風がくるだけだし。
……くそ。
やっぱり、俺はもうオッサンなのかも。
まぁ、小さい従姉弟とかから『おじちゃん』呼ばわりされないだけ、マシだと思うけど。
「それで、どこに行くの?」
当然の質問が飛んできた。
ほどよくエンジンが温まってきたので、ギアを入れてアクセルを踏み込む。
住宅街から国道に出て向かうのは、厚木方面。
「内緒」
「もう。教えてくれてもいいでしょう?」
「楽しみが減るだろ。着くまで我慢しろって」
若干不服そうにシートへもたれた葉月に笑みを返しながら、オーディオを切り替えてFMへ。
案の定、流れているのはクリスマスソングばかりで、どうやら特集が組まれているようだった。
「……ふふ。クリスマスって感じだね」
「そりゃ、クリスマスだからな」
「そうだけど……」
「間違ってないだろ?」
「なんか、意地悪いよ? たーくん」
「気のせい」
くすくす笑いながら葉月がボリュームを少し上げると、新しい曲が流れた。
「あ……これ、好き」
「お前らしいな」
流れたのは、定番中の定番。
マライア・キャリーの『恋人たちのクリスマス』。
ノリのいい曲で嫌いじゃないが、そろそろ聞き飽きた。
……とか言ったら、口ずさんでいる楽しそうな助手席が怒るだろうから、やめておく。
「…………」
さすがにずっと向こうで暮らしていただけあって、英語の発音は本物だな。
口に出してそう言えば、また笑われるだろうけど。
これから向かうのも、この曲と同じようにクリスマスの定番と言えるかもしれない場所。
……俺は行くことないと思ってたんだけどな……。
どーしたって、神奈川に住んでればこの時期に思い浮かぶ、あの場所。
だが、そこに行くのは大抵がカップルだからこそ、俺は考えもしなかった。
混むし、面倒。
それもあって、クリスマスの時期には彼女を作っていなかった。
無意識なんだろうが、大抵クリスマス2週間前あたりに、必ず別れる。
図書館で揉めた彼女と別れたのも、思い返してみればちょうど2週間前くらいだ。
……面倒なことが心底嫌いなんだよ。
マメなくせに矛盾してるとはよく言われたが、性格なんだから仕方ない。
相手にしてみれば、どうしてクリスマス間近のこんなときにと思われるだろうが、ぶっちゃけ、クリスマスから年末年始っつーイベント目白押しの時期は、せめて家でのんびりしたいんだよ。
古月のケーキも食えるし。
んで、また新たな年になってから、新しい人間関係構築してみるかっていう気にもなるわけで。
それに、年末年始は大抵友人連中と麻雀やってるし。
……今年も来る気だろうな、アイツら。
どーせ、今年は誘わなくても祐恭が来るんだろうけど。
だが、今回ばかりは話が違う。
祐恭には羽織がいる……のはわかっているが、今回は――横に座っている葉月までもが絡んできているややこしい状況。
「……はー……」
なんで、彼女がいるとわかってる相手を好きになるんだ。
しかも、よりによって葉月にとって1番身近といえる羽織の彼氏を。
ついつい、葉月の口から祐恭の名前が出ると過剰に反応してしまっていて、この先を考えるだけでヘコみそうだった。
「…………」
バイパスを直進しながらそんなことを考えていると、徐々に景色が変わり始めてきた。
……そろそろ気付くかと思ったものの、どうやらクリスマスメドレーに気を取られていてそれどころじゃないらしい。
窓の外の景色なんて見てないようだし、このまま目的地に着くまで何も気付かなさそうだ。
それはそれで好都合。
出てしまいそうになる笑いを抑えながら、何も言わずに車を走らせることにした。
「降りるぞ」
「あっ、待って!」
サイドブレーキを引いてエンジンを切れば、すぐに足元から冷えていく。
……さすがにこの場所だと、暖房なしじゃ夜はキツいな。
などと考えながら車を降りると、突き刺すような寒さがすぐに来た。
「うわ。さみー」
ブルゾンのポケットに手を突っ込みながら助手席に回ると、コートの上から腕を抱いた葉月が降りてきた。
「ほらみろ。寒いんじゃねぇか」
「……寒くないもん」
「へぇ。どこまで持つかな」
「っ……寒くないの!」
「ったく。素直に人の言うことを聞けばいいものを……」
鍵をかけてから歩き出すと、相変わらず唇を尖らせて不服そうな顔をしている葉月が隣へ駆けて来た。
だが、相変わらず腕を抱いていて。
……寒いクセに。
やせ我慢が目に見えて、笑える。
「で?」
「え?」
「何か感想はないのかよ」
「……すごいね」
「お前、ホントにそう思ってんのか?」
「ちゃんと思ってるよ? だって……見て。クリスマスなんだもん……!」
とん、と数歩先へ駆けてから振り返った葉月が、両手を広げてあちらを指差す。
きらきらと輝く、光。
それを見て、葉月の笑みもぱっと明るくなる。
「それに、この雪……嬉しい」
「……それならまぁ、よし」
俺の前に立ってにっこり笑ったのを見て、よし、とばかりに大きくうなずく。
向かう先にそびえ立っているのは、遠目からでもよくわかる巨大なクリスマスツリー。
ものすごい数の電飾に彩られ、葉月の言う通りいかにもクリスマスっていう感じが漂っている。
ここは、神奈川県清川村にある、宮ヶ瀬ダム。
県内ではかなり有名なスポットだし、恐らく近隣の県からも訪れる客は多いはずだ。
なんと言っても、メインはこのツリー。
「……………」
げ。
素直な感想だが、あからさまに口へ出さなかっただけ大人だと褒めてやりたい。
ツリーへと近づくに連れ、やたら多くのカップルがひしめいていた。
だからヤなんだよ、ここに来るの。
仲良さそうに互いに寄り添い、笑みを浮かべる。
……ホントに?
そんなに、幸せなのか?
相手に溺れるほどの恋愛をしたことがないせいか、冷めた感想がまず浮かぶ。
俺は、今まで受身の恋愛しかしてこなかった。
自分から誰かを好きになって、誰かに想いを伝えて……なんて経験がないので、恋愛のつらさは正直わからない。
心底悩んで、苦しんで、相手を思って、願って、望んで、追い求めて。
それで、幸せなのか。
本当に?
これまで、言い方は悪いが女に不自由することはなかった。
誰かを好きにならなくても、誰かが好きになってくれた。
自分から動かなくても、相手が向こうからやってきた。
悩むこともなく、流れるようにすごす日々。
相手の機嫌なんて伺う必要もなく、いとも容易く毎日をすごしてきた。
だから、真剣に誰かを好きになって、悩んで、もがいている連中を見ると『なんで?』と、正直不思議で。
どうしてそこまで苦しむ必要があるんだ?
こんなにも、単純で楽なモンなのに……ってな。
でも、それは俺だけじゃなくて祐恭だってそうだったんだぜ。
……アイツが、羽織と付き合うまでは。
祐恭は、羽織と付き合って本当に変わったと思う。
俺よりもずっと冷めていたアイツが、悩んで苦しんでいた。
羽織を思って、真剣にぶつかって。
すげーな……なんて正直思った。
確かに、精一杯愛されて、妹である羽織が幸せになるのであれば嬉しくないワケない。
ただ、あそこまで祐恭が変わったことに、ものすごく驚いた。
……が。
たとえ目の当たりにした事実でも、俺はそこまで変わらないだろうな、と思う。
結局、恋愛云々に関しては冷め切ってるからな。俺は。
それに、どうせ俺はこれまでの生き方を改めたりしないと思うから。
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