「あ。あれ……確か、野上さんじゃなかった?」
「は?」
遥か彼方、後方。
そちらを見ながら指差すと、怪訝そうな顔をしながらもたーくんがしっかり振り返った。
途端、押さえていた手が離れる。
その隙を、見逃すはずがない。
「……はァ? どこ……っオイ!!」
ドアが閉まる、寸前。
慌てて手を伸ばした彼が10センチの隙間から見えたけれど、すぐに消えた。
ゆっくりと下り始めるエレベーター、
その中でひとり、壁にもたれる。
……どうしてあんなこと言うんだろう。
小さな音とともに開いたドアをすぐに閉ざし、再び2階へ。
きっと、彼は慌てて追ってきてくれるに違いない。
でも、それがわかるから、あえて上に戻る。
……だって、また言われるのは……つらい。
何も知らないような、何も覚えていないような、そんな顔をして『なんで』と言われるのだけは。
「…………」
再び2階でドアが開いたとき、そこにたーくんはいなかった。
エレベーターを降りて向かうのは、これといってあてのない方向。
ただ、できるだけ彼に会えない場所に。
願うのは、それだけ。
「っ……」
一瞬涙が滲んで、慌ててまばたきを増やす。
……もし。
もしもあのまま彼と一緒にいたら、私は間違いなく泣いていた。
泣いて、彼を困らせて……また同じことを口にしていたに違いない。
昨日の夜と同じく、『好きなのに』と。
……さっき、たーくんは言った。
私を“彼女”だ、と。
力強く抱き寄せられた感触が身体にはまだ残っていて、思わず背中が震えた。
耳元で聞こえた彼の声も、まだ耳から離れない。
どうしてあんなこと言ったの?
どうして、あんなことしたの?
戸惑いながらも内心では喜んでいる自分もいて。
たとえ、かりそめだとしても、その場しのぎだとわかっていても、それでも嬉しいと感じてしまった自分があまりにも愚かで情けなくなる。
「っ……」
突然流れた曲に、スマフォを見ずとも誰からの着信かすぐわかる。
『You're Still The One』
いつか、そうなるといいなと思っていた。
口にすることはできないかもしれないけれど、でもいつか……なんて。
現実は、違いすぎている。
こんなふうに愛されてない。
こんなふうに近くにいることを許されてない。
……いちゃいけない、かな。
そして私は……こんなふうに愛を口に出すことは二度とできない。
1度、断られたんだから。
彼のそばには、彼が選んだ人がいる。
見たことも、聞いたこともない人。
……それでも、諦めなきゃいけないんだから。
「………………」
昨日の夜……泣いて、泣いて。
朝起きてから全部が変わった。
彼と話すとき、余裕がなくなった。
彼と話すとき、目が見れなくなった。
……なのに、たーくんは今までと何ひとつ変わらない顔で話しかけてくる。
もう少し気を遣ってほしいのも、半分。
でも、変わらない彼の態度が嬉しい自分も半分いて。
諦めなきゃいけないのに、まったくそんな方向に運べていない自分の気持ち。
……このまま好きでいることは、いけないことなんだよね。
それとも、二度と口にしないでいるならば、許してもらえるの?
彼にとって、やっぱり私はただの従妹でしかないとわかったのに、同じ気持ちで彼を見れない自分が、とても悲しい。
『昨日までほかの男好きだったクセに』
「っ……」
自分とは逆に流れる多くの人の中で、思わず足が止まった。
そのまま、流れから外れるように路の端へ。
「……はぁ……」
手すりの付いているガラスの壁にもたれると、自然にため息が漏れた。
……そう。
好きだった、の。
本当に、大好きだった……なんて、まだ過去形にすらできていない。
「…………」
再び鳴ったスマフォを取り出し、表れている名前を指でなぞる。
……知らないでしょう。
人を嫌いになるには、その人を好きだったときと同じだけ時間がかかるってこと。
あんなふうに笑顔で話しかけたりしないで。
余計、嫌いになれないじゃない。
留守番電話に切り替わった画面を見ながら、ついつい眉が寄った。
ぎゅっと握った手を開いて、胸に当てる。
……撫でて、痛みが消えるのならば、こうしたことで失恋の痛みがなくなればいいのに。
「…………」
いきなり嫌いになることなんて、到底できるはずなくて。
苦しいまま。
つらいまま。
……いったいいつになったら、普通に彼を見ることができるようになるんだろう。
彼は、ずっと昔から私を普通にしか見ていなかったと言うのに。
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