「あら、珍しいじゃない。腕時計してるなんて」
「は? ……ああ。まぁな」
「どういう風の吹き回し? あんなに面倒くさがってたのに」
「……いーだろ、別に」
アキが手首へ視線を向けたかと思うと、意外そうな声を出した。
確かにまぁ、意外だろう。
ガキのころしてたものの、ここ数年はしてなかったからな。
「あ?」
「え……? ううん、別に」
小さく声をあげた葉月を見ると、目を丸くしてから首を横に振った。
一瞬見せた意外そうな顔が、気にはなる。
しかも、途端にどこかよそよそしさもあって。
……って、だから。
そんなことより、今はこっちが先だ。
この、なんの脈略もなく妙なことを口走った、アキのほうが。
「お前、なんだよ急に」
「急? そんなに、急でもないでしょ? 私、昔から好きだったし」
「ばっ……!?」
けろっとした顔で爆弾を投下し続けるアキに、あんぐりと口が開いた。
なんだ。
なんで急に、こんな状況になってる!
……あ?
そもそも、アレだ。
思い返してみれば、ことの発端は……。
「っ……おい葉月!」
「あ……」
いつの間に離れたのか知らないが、葉月は外階段を中ほどまで上っていた。
声をかけなければ、恐らく何も言わずに黙って家の中に消えていただろう。
「……えっと……ほら、私、ちょっと用事が……」
「すげー暇なクセに」
「もう。暇じゃないよ? 私だって」
「どこが――」
「っ……じゃあ、ねっ!」
「あ!? こっ……! ちょっと待て、おい! 葉月!!」
困ったように眉を寄せて『ごめんね』とばかりに両手を合わせたかと思いきや、葉月が背を向けて玄関へと小走りで向かった。
慌ててあとを追いかけようとするも、ときすでに遅し。
バタン、という大きな音がして、あたりは住宅地らしい静かな雰囲気に戻ってしまった。
……っくそ。逃げやがったな。
この状況下で、俺にどうしろっつーんだ。
アキに背を向けたまま、ため息が漏れる。
「……あのな」
「ん?」
ゆっくりと振り返り、相変わらず普通の顔をしたままのアキに向き直る。
……はー……。
なんでこんなことになんなきゃいけねーんだよ。
「俺はお前のことそーゆーふうに見てねぇぞ」
「知ってるわよ、そんなこと」
けろり。
表情をほんの少しも変えずに、アキは答えた。
「……は……?」
「やだー。何考えてんの? 私、別に孝之にどうにかしてもらおうなんて思ってないわよ?」
「はァ? お前な……」
どっと力が抜けた。
つーか、だったらなんだあの前置きは!
紛らわしいことをすんなっつーに!
「馬鹿か! 紛らわしいことすんな!」
「紛らわしい? 何が?」
「っ……だから! 人をおちょくるのは、やめろって」
「別におちょくってないけど?」
「……じゃあ今のはなんだ?」
「だから、好きよ? 孝之のことは」
「…………」
さらりさらりと言われる言葉に、頭痛と眩暈がしてきた。
はー……。
だから、どーゆーつもりなんだ。ソレは。
「冗談なんだろ?」
「違うっつってんでしょ」
「じゃあなんなんだよ」
アキの言わんとしていることがわからず、いつの間にかボンネットへ座ってしまっていた。
……あー……。
せっかく塗り終えたのに……。
座って初めてやらかしたことに気付くも、あとの祭り。
目の前のこととあいまって、ひたすら深いため息が出た。
「好きよ。でも、だからどうしようなんて考えてないの。アンタが私のことそういうふうに見てないのなんて、ずっと前から知ってたし」
肩をすくめたアキに、思わず眉が寄る。
知ってたって……俺はまったく知らなかった。
だから、実際に好きだなんて言われても、実感なんて湧かない。
「覚えてる? 私がこういうこと言うのもう、何回目だってくらい言ってるの」
「……は?」
猫を撫でながら笑ったアキに眉を寄せると、小さく『やっぱり』と呟いた。
俺はそんなモン覚えてないどころか、身に覚えもない。
コイツが? 俺に?
……まさか。
「冗談だろ?」
「しつこいわね。違うっつってんでしょ? でもまぁ、アンタが覚えてないのも無理ないわよ。小学校のときもだし……まあ、どれもだいぶ前だからね」
小学校……ねぇ。
これでも、記憶力は悪くないと思う。
だが、それでも覚えはない。
……これは、俺のせいか? ……いや、違う。
多分、俺とアキっていう特別な関係だからじゃないだろうか。
「そのとき、思ったの。あー、コイツは私のことなんとも思っちゃいないんだな、って」
「……つーか、ちょっと待て。お前はじゃあ何か? 俺を好きだったのか?」
「だから、そう言ってるじゃない。しつこいわね、あんたも」
眉を寄せて呟いたアキに、こっちも眉が寄った。
……ありえねぇ。
そんな言葉ばかりが、頭に響く。
この、今目の前で起きていることは現実なのか?
頬を思い切り引っ張ってみたい気分だが、痛さを感じるのは目に見えているだけに、やめておく。
「ただし、好きって言っても恋愛感情じゃないわよ。どっちかっていうと、人として好きって感じかな」
「……人?」
「そ。アンタっていう人間が、好き。男とか女とか、そういうの抜きでね」
抱き上げていた猫を下ろしてやりながら笑ったアキは、いつものアキだった。
これまでの長い間俺のそばにいた、幼馴染である鈴木亜紀代。
一瞬たりとも俺には女らしい部分を見せず、むしろ男みたいな……言うなれば、兄弟みたいな感じだった。
だからこそ、アキが言う『男とか女とか、そういうの抜きで』という表現は、非常にしっくりくる。
それが、これまで俺が思ってきたアキとの関係その物を表していたからだろう。
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