「あ」
「待て」
「っ……なぁに?」
「それはこっちのセリフだ。何逃げてんだよお前。あ?」
「別に、逃げたりしてないよ?」
「逃げただろーが。さっきも、今も!」
ちょうどリビングから出てきた葉月が引き返そうとしたので声をかけると、気まずそうに眉を寄せてから姿を見せた。
そんな葉月にジト目を送りつつ、玄関から階段へ。
すると、慌てたようにあとを追ってきた。
「……アキさん、帰ったの?」
「ああ」
振り返ってうなずくと、一瞬考え込んでから再び瞳を合わせる。
その顔は明らかにもの言いたげだ。
「なんだよ」
「……たーくん。あの……時計使いにくかったら、無理しないでね?」
「は?」
「その……私が渡したせいで付けなきゃって思ってるなら、そんなこと――」
「持ってなかったからしなかっただけだ。昔持ってたのは、ぶっ壊したからな」
「……そうなの?」
「それに、俺はそこまで義理堅い人間じゃねーぞ。もらったものであっても、気に入らなきゃ結局使わないタチだし」
何を言うかと思えば、そこか。
アキに言われたことを気にしてんのか。
ったく。余計な気を使いすぎるから、お前は疲れるんだろ。
「時計好きのやつだけじゃなくても、わりかし声かけられる」
「え?」
「この時計。ほら、カウンターで仕事してるだろ? 手元使う仕事だからだろうな。結構言われる。『これってアレですよね』って」
俺だって普段、爪や時計などをつい見るくせがあるから、気持ちはわかる。
知りあい以外にも声をかけられるってことは、つい話したくなる何かがあるんだろう。
「お前のおかげだ」
「っ……」
「プレゼントしてもらわなかったら、そういう連中と顔見知りにさえならなかった」
椅子へ座ってから葉月を見ると、一瞬目を丸くしたものの、それはそれは嬉しそうに笑った。
いい顔すんじゃん。
お前はいつだって、そーやって自分に自信持って笑ってればいい。
「アキが言ってたぞ」
「え?」
「葉月が羨ましいってさ」
「……私が?」
パソコンをつけながら言うと、驚いたように声をあげた。
まぁ、気持ちはわからないでもない。
羨ましいとか言われても、どこが羨ましいんだか俺もさっぱりわからないから。
「……私は、逆……かな」
「は?」
意外なセリフでそっちを見ると、口元に手を当てて視線を落としていた。
逆って何が。
思わず眉を寄せると、気付いたように目を合わせる。
「私は、アキさんが羨ましいよ?」
何を言い出すかと思えば、今度はお前が妙なことを言い出すのか。
……ワケわかんねぇ。
女ってのは、どいつもこいつもそーゆーワケわかんねぇ曖昧なモンで会話が成り立つのか。
すげー不自由。
もっそい、消化不良。
「何が羨ましいんだよ」
「んー……なんていうのかな。アキさんが、っていうよりは幼馴染が羨ましいっていうか……」
「幼馴染が?」
「うん」
椅子ごと葉月へ向き直り、腕を組む。
だが、じーっとこっちを見ている葉月に対して、やっぱり疑問しか出てこなかった。
……幼馴染が羨ましい。
何が?
つーか、どの辺が羨ましいんだかちっともわかんねぇ。
「……私も、たーくんの幼馴染だったらよかったな」
「は? なんで」
「だって、そうすればこんなに悩んだりしないで、もっと早く好きだって言えたのに」
ため息混じりに呟かれた、言葉。
ついさっき聞いたばかりのようなとんでもない言葉がさらりと耳に入って来て、思わず動きが止まる。
「……お前、今なんつった?」
「え? 幼馴染がいいな、って……」
「いや、そこじゃなくて。もっとあと」
「あと? ……え? 悩まずってところ?」
「そこ」
きょとんとした顔で首をかしげた葉月にうなずきながら答えると、再びため息をついた。
まるで、『やれやれ』と言っているかのような、少しばかり呆れた表情。
だが、俺にとっては初めて聞くからこそ、つい確認したくなるようなとんでもない言葉だった。
「だからね? 私が幼馴染だったら、もっと早く――」
「ルナちゃーん、ちょっと来てくれるー?」
「あ、はーい」
「っ……だ!?」
いきなり階下から響いた声で、葉月がくるっと身体の向きを変えた。
途端、机へ頬杖をついていた腕が勢いよく落ちる。
「……たーくん、大丈夫?」
「…………あ……ああ」
一緒に落としそうになった机の上の物を慌てて掴んだせいか、妙な格好になった。
だが、葉月を見ずにうなずくと、ほどなくして階段を下りる音が聞こえてきて、アイツが下りていったことが、伝わってくる。
……なんだ、今の。
ちょっと待て。
なんか、すげー妙なこと口走ってなかったか? アイツ。
つーか、どいつもこいつも、なんで今日に限ってあんな簡単に爆弾発言をするんだ!?
おかしいだろ!
それとも、何か?
葉月のあの言葉は、単なる『従兄』として言ったモンなのか?
「…………いやいやいや」
思い返してみても、そんな感じじゃない。
そう。
あの言い方は、まるで……。
「……ありえねぇ」
頭が痛い。
つーか、面と向かってぶっちゃけられた俺は、いったいどうすればいいんだ。
どんな顔して、アイツに向き合えばいい?
作業しようとして付けたパソコンを弄ることなく、画面を見つめたままそんな考えとしばし格闘するハメになった。
……せっかくの休みなのに。
やっぱり、早起きは三文の得なんかじゃないようだ。
ちくしょう。
……あーーーー。
俺はどーしたらいい?
液晶にぼんやり映る自分の顔を見ながら、深い深いため息が漏れた。
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