「もっかい」
「……もう。たーくんが3回って言ったんでしょう?」
「いや、ほら。な、5回! 5回勝負にしようぜ」
「まだやるの?」
 ため息をついた葉月に右手を出して、もう1度握る。
 繰り返されている、やり取り。
 なんてことはない。単なる、じゃんけん。
「あ?」
「いいよ。私が外やるから、たーくんは中やってね」
「……おい」
「わ!?」
 苦笑してベランダへ向かおうとした葉月の手を掴み、引き戻す。
 なんだ、その顔。
 呆れてますっていう雰囲気がありありと伝わってきて、眉が寄る。
「……あ……」
「やりゃいいんだろ、やりゃあ」
 雑巾を受け取って向かうのは、寒風吹き荒ぶ(すさ)ベランダ。
 ……寒い。
 こんな天候でも窓拭きするとか、考えらんねぇ。
「ねぇ、たーくん。いいよ? 私が外やるから」
「風邪引くからお前は中にいろ」
「それは、たーくんも一緒でしょう?」
「いーんだっつの!」
 窓にもたれてこっちを覗いていた葉月を手で払い、閉めてから雑巾を窓に当てる。
「あ?」
「違うの! 最初は、濡れた新聞紙で拭いてね。汚れたら取り替えて」
「……は?」
「次は、乾いた新聞紙で拭いて、その雑巾は最後の仕上げのから拭き用なの」
「……細けぇな……」
 こもって聞こえる葉月の声に眉を寄せながらも、仕方なく言われたことに従う。
 ……最初は濡れた新聞紙っつってたな。
 ………………。
「……? たーくん?」
「めんどくせ」
「……もう。まだ始めてもないのに」
「しょーがねーだろ」
 思わずしゃがみ、せめてわずかばかりでも風から逃れる。
 とはいえ、ここはベランダ。
 風が吹き込んできて巻いているせいか、ちっとも暖かくはない。
 ……あー。
 さっきまであった日差しは、どこ行った。
 俺が外に出た途端消えうせた気がして、ため息が漏れた。
「ん?」
 カラカラと音がして窓が開き、葉月がスリッパごとこっちに出てきた。
「……お前、何してんの?」
「一緒にやれば、早く終わるでしょう?」
「そりゃそーだけどよ……」
「だから。ね、やろう?」
「…………しょーがねーな」
 どうしてコイツはこんなに人を操るのがうまいんだ。
 『一緒に』とか言われたら、やらざるを得なくなるだろ。
 そういや、心理学の授業でもそんな話あったっけな。
 ふと、遠い昔に受けた講義を思い出す。
「……お前さあ」
「え?」
「…………」
「……? なぁに?」
 ぽつりと呟いたまではよかったものの、やはりこうして隣に並ばれた上、まじまじ見つめられるとそこから先が続かない。
 これまで、何度も聞こう聞こうとは思っていたのに。

 お前、俺のこと好きなの?

 ……あー……。
 これ以外のセリフが思いつかず、自分の語彙力のなさにげんなりする。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
「……?」
 ゴン、と思わず額をガラスに付け、目を閉じてため息をつく。
 ……なんでこんなことになったんだ。
 つーか、落ち着けよ俺。
 いい加減、自分自身に呆れ始め、ほぼ投げやりになりつつあるのが不安だ。
「たーくん」
「……あ?」
「上のほう磨いてくれる?」
 指差された先を見ると、コイツの頭上遥か彼方にまだ拭かれていない汚れた場所が見えた。
「……あー、そうだよな。お前じゃ届かねーもんな」
「だから、たーくんに拭いてもらいたいの!」
「しょーがねーな」
 からかうように笑い、手を伸ばしてそこを拭く。
 ……ここも意外と汚れるんだな。
 雨などほとんど当たらないはずなのに、意外にも土ぼこりがしっかりと付着しているようで、新聞紙を取り替えないとキレイにはならなかった。
「どーだ。キレイになったぞ」
「わ、ほんとだね。ありがとう」
「…………」
「え?」
「……なんでもねーって」
 だから、どうしてお前はそんなに素直なんだ。
 にっこり笑って感謝までされたら、何も言えねーだろ。
 ……つーか、やっぱコイツは俺を動かす方法を知り尽くしてるんじゃないのか。
 不思議そうな顔で首をかしげた葉月を見ながら、ため息が漏れた。


「わぁ……すごい」
「でしょでしょ?」
 葉月に言われて仕方なく本棚を整理し、いらなくなった紙の束を手に1階へ降りると、楽しそうな声がリビングから聞こえてきた。
 中を覗くと、そこには何やら本のような物を覗き込んでいるお袋と葉月の姿。
 ……人には掃除がどうとか言ったクセに自分はちゃっかりくつろぎやがって。
「おい」
「あ、たーくん。ねぇ、見て!」
「見て、じゃねーよ。人には掃除しろとか言っといて、なんでお前は何もしてねーんだ」
「あら。もう終わったのよ? 私たちは」
「何?」
 う、と言葉に詰まった葉月を庇うようにお袋が肩をすくめた。
 ……だが。
 言われてリビングを見てみると、確かにキレイに片付いていた。
 つーか、親父もそこに座ってテレビ見てるし。
 どいつもこいつも……終わりにしたなら、早く言えよ。
 真面目にやってたのは俺だけじゃねーか。
「で? 何がおもしれーんだ」
「面白いなんて言ってないよ?」
「似たよーなモンだろ」
 葉月の隣にしゃがんでから、コタツの上に広げられたそれを見てみる。
 ――アルバム?
 今の写真とは色使いがまったく違う写真が数枚貼られているそれは、どうやら古いアルバムらしい。
 俺が生きている時代のモノじゃないが、なんとなく懐かしく感じる。
「大掃除してたら出てきたのよ」
「あ、そ」
 嬉しそうなお袋と対照的に、まったく興味が湧かない。
 ……面白いか? 昔の写真なんて見て。
 …………。
 だいたい、ここに映ってんのは全部おんなじ人間じゃねーか。
 しかも、制服を着てるという不要なおまけ付き。
「ほら。どう? かわいかったでしょー?」
「わぁ、かわいい!」
「でしょー!?」
 満面の笑みで何を言い出すのかと思ったら、とんでもないことを強要してきやがった。
 ……頭大丈夫か?
 我が親だからこそ、そんな心配をしてやる。
「………………」
 指差しながらきゃいきゃい楽しんでいるお袋にため息をついてから、手元を見てみる。
 すると、やたら笑顔のうるさそうな女が見えた。
「……うわ」
「うわ? 何? 今の、うわって。親に向かって失礼よ、あんた」
「そう言われてもな」
 そこに写っていたのは、面影とお袋の口ぶりからして本人なんだろう。
 はー……。
「若いっつーか、なんつーか……誰だ? この迷惑そうな女――あてっ」
「誰が迷惑そうよ、失礼ね!」
「あー、なるほどね。どうりで……」
「何が?」
「いや別に」
 両腕をテーブルに載せて写真を覗き込み、1枚1枚見ていく。
 今の冬女とは違い、セーラー服を着ているお袋の姿を見るのは、非常に痛々しい。
 とか言ったら、殺されるだろうからやめとくが、俺にはそうとしか思えない。
 だいたい、なんでかわいいなんて思えるんだ、葉月は。
 また他人癒しパワー全開なんじゃねーのか。
「ねぇ、お父さん? かわいかったわよね? 私」
「ん? ああ、そうだな」
「ねーっ」
 テレビを見ていた親父が母の声で写真を覗き、さらりと答えた。
 ……いやいやいや、絶対本気でそうは思ってねーだろ。今の。
 すでにテレビへ興味を戻した親父を見ながら、口が開く。
「……は」
 ちょっと待て。
 ってことは、何か?
 この、制服着てる娘に腕を絡め取られて苦笑を浮かべてるのは、じゃあ……。
「……親父?」
「そうよ? どう! カッコいいでしょ? お父さん」
「わ……かっこいいですね。それに――」
 嬉しそうなお袋に続いた、葉月。
 だが、俺自身はその写真から目が離せず、声が出なかった。

「たーくんに、そっくり!」

 そう。
 葉月の言う通り、その写真には『俺』が写っていた。
 髪型こそ違うが、顔はほぼ俺そのもの。
 は……ぁ!?
 写真と、目の前に座ってテレビを見ている親父を見比べる。
 ……マジで?
 つーか、何か?
 こんなに似てるってことは……将来俺はこうなるってことか!?
「ちょ……親父!」
「ん? なんだ? 孝之」
「なんだ、じゃねーって! コレ! 親父だろ!?」
 ようやく気付いた彼に写真を叩くと、1度見てから苦笑した。
「何を見てるのかと思ったら……。懐かしいな」
「嘘だろ! 俺にすげー似てんだけど!!」
「失礼ね! あんたより、お父さんのほうがずっとイイ男よ! 一緒にしないでちょうだい!」
「何!?」
 横から口を挟んで目一杯否定しやがったお袋に眉を寄せると、ぶんぶん首を振ってさらにああだこうだとまくしたてた。
 ……ちくしょう。
 あーあー、そーだろうな。
 どーせお袋にとったら、親父が1番いい男だろうよ。
 相変わらずベタベタくっ付いているふたりを見て、ため息が出る。
 小さいころからこんなお袋を見ているので、別に今さらなんとも思わねーけど。
「でも、ほんと。伯父さん人気あったんじゃないんですか?」
「そりゃあもう! でもねー、お父さんが赴任して来てすぐに私が付き合ったから、ほかの子に負けなかったもの」
「ふふ、さすがですね」
 ものすごく胸を張って答えたお袋を見ていると、この写真に写っているころのお袋がどれだけ激しかったかが伝わってくるようだった。
 ……親父、いろいろ大変だったんだろうなぁ。
 災難つってもいいか。
 ちょっと同情。
「ねぇお父さん。昔の私、かわいかったわよねぇ?」
「ん? ああ、そうだな」
「伯父さん、伯母さんのこととっても好きだったんですね」
「はは、そうだなぁ」
 ……どれもこれも、微妙に曖昧な返事だな。
 だが、ようやくこちらの輪に混ざってあれこれ話している親父を見ていれば、そう本気で思ってるかどうかはわかるというもの。
 いやまぁ、別にウソだとか言うつもりはないが。
 …………あー、なるほどね。
 なんで俺が、女にべたべたくっ付かれるのが嫌なのかわかった。
 これだよ、これ。
 この目の前の、ふたりのせいだ。
 仲睦まじいというよりは、いつまで経っても恋人気分満開な我が家の両親。
 だから、俺は嫌になったんだろう。
 いわゆる、反面教師ってヤツ。間違いない。
 ……ま、別にふたりのせいじゃないとしても、ベタベタくっ付きたいとも思わねぇけど。どっかのヤツのようにな。
 昔から、うちの両親の仲のよさが普通なんだと思っていた。
 このふたりが俺にとっての基準だったからな。
 だが、友人の家に遊びに行ってようやく気付いたワケだ。
 ……ああ、ウチの両親はおかしいんだ、と。
 恋人同士だったらともかく、子どもがふたりもいるんだぞ?
 それなのに、いちゃいちゃべたべたしやがって。
 見てるこっちが恥かしい。
 つーか、正直痛々しい。
「でも、確かに……たーくんより、伯父さんのほうがカッコいいような……」
「でしょ!? さすがは、ルナちゃん。男を見る目あるわぁ」
「おいコラ」
「え?」
「え、じゃねーよ。あ? 誰が誰よりカッコいいだと?」
「……えっと……たーくんじゃなくて伯父さん……」
「何!?」
 けろりとした顔で言い放った葉月に食いかかると、お袋が葉月を呼んで再び写真を見ながら話し始めた。
 ……コイツ……!
 おま、俺のこと好きなんじゃなかったのか?
 そんなツッコミを入れたくなるが、親父に妬いても……って、ちょっと待った。
 妬く? なんだそれ。
 違うだろ。
「………………」
 ふと我に返ってお袋と葉月を見ながら、冷静に思い返してみる。
 ……やっぱ違うよな。
 いーんだよ、別に。
 葉月が誰をどうの言ったところで、俺には関係ないんだから。
「……ま、暇な女同士いつまでも盛り上がってればいーんじゃね?」
「誰が暇ですって? 失礼ね」
「もう。暇じゃないよ?」
「へいへい」
 紙の束をその場へ置きっぱなしにして、リビングから階段へ。
 ほかの連中も掃除終わらせたみたいだし、俺ももういいや。
 やる前よりは片付いた気がするしな。
 相変わらず盛り上がってる連中を見てからため息をつき、そのまま部屋へと戻ることにした。

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