「……は?」
「だから、買い物行ってきて」
「なんで俺が」
「暇でしょ? あんた」
「暇じゃねーよ」
「そう? じゃ、暇じゃなくてもいいから買い物行ってきて」
「……ち。結局、選択肢ねぇんじゃん」
 あれからしばらく経ったとき、お袋が部屋へ入って来た。
 人がパソコン使ってるっつーのに、容赦ねぇな。
 相変わらず人の都合なんて、知ったこっちゃないらしい。
「で? 何買ってくりゃいいんだ?」
「年越し蕎麦の材料と、おせちの材料」
「……てきとーだな。メモ作るとか、そういう気ねぇの?」
「子どもじゃないんだから、わかるでしょ?」
「わかんねーよ!」
 眉を寄せたお袋に声をあげると、ドアから葉月がひょっこり顔を覗かせた。
「一緒に行こうか?」
「……あー、そうだな。メモ代わりについて来い」
「もう。私はメモじゃないよ?」
「んじゃ、一緒に来てくださいお願いします」
「たーくん……」
「いーから、来い」
 抑揚のないセリフを口にしたものの、葉月はやっぱり怪訝そうに俺を見た。
 ま、いーだろ。別に。
 ……つーか、それ以外の言葉なんてねぇし。
 視線を逸らしながらため息を漏らすと、なんとも言えない気分が広がった。
 さすがに、料理をしない俺に品名を言わず買い物行ってこいというのは、無謀そのものだ。
 葉月というナビを連れて行けば、まぁ、問題ないだろう。
 と、葉月を誘っておいてから、後悔し始めたわけだが。
 …………あー……。
「たーくん? 買い物行かないの?」
「……いや。行く……けど、な」
「うん?」
「……なんでもない」
 きょとんとした顔の葉月から視線を外し、スマフォを持って立ち上がる。
 ……まぁ、いいか。
 つーか、気にしすぎなんだって。俺。
 放ったままのキーホルダーと財布にスマフォを重ね、葉月とお袋を促すように部屋から出して階段へ。
 普通に笑みを見せてお袋と話をしている葉月を見ながら、ため息が漏れる。
 やっぱ、俺のほうがずっと変だ。
 ……微妙。
 なんとも言えない居心地の悪さが拭えず、再びため息が出た。

「もう。だから、それは買わないの」
「いーんだよ。正月だぞ? 年に一度なんだから、買ったってバチ当たんねーだろ」
「そういう問題じゃないでしょう? ……もう」
 渋い顔を見せる葉月を無視して、カートへ入れるのはもちろんビール。
 ……はー、すげー久しぶり。
 今では発泡酒どころか第3のヤツしか飲んでないだけに、ついつい笑みが漏れる。
 別にいーだろ? 1本くらい。
 どーせ、俺が入れた食費も入ってんだし。
「あ。蕎麦ならこれな」
「え? あっ」
「ついでに、これも」
「ちょっ……!?」
「そういや、この前食い逃したプリンが――」
「っ……待って、たーくん!!」
 ぽんぽんとカゴへ投げ込んでいたら、いきなり葉月が手を掴んだ。
 ……プリン持ったままなんだけどな。
 ハタから見たら、すげーカッコわりーじゃねーか。
「なんだ」
「何、じゃないでしょう? それはこっちのセリフ!」
「お前も食う?」
「そうじゃなくて!」
「じゃあ、なんだよ」
 首を振った葉月に眉を寄せると、それはそれは大きくため息をついた。
 その顔は、いかにも『呆れてます』って感じで、いい気はしない。
「あ?」
 葉月が、あらぬ方向を指差した。
 ……?
 レジが並んでいる方向……より、向こう。
 別に何かあるワケでもなく、これといったものは見つからない。
「向こうで待ってて」
「は?」
「買い物は私がするから、たーくんは待ってて。ね?」
「……なんでだよ。そんなに邪魔か? 俺が。あ?」
「邪魔じゃないけど……でも、たーくんのお金で買い物するんじゃないんだよ? 伯母さんに――」
「馬鹿言うな。誰が毎月入れてると思ってんだ? その金だって、とどのつまりは俺の物だぞ? 多少俺のモン買ったところで文句言われる筋合いねぇよ」
「……だけど、これじゃあ大半がたーくんの物じゃない。ひとつやふたつならともかく、買いすぎだよ?」
 ため息をついてカゴを指した葉月につられて、同じく見てみる。
 ……んー。
「よくね?」
「よくないでしょう? もう。あとちょっとだから、たーくんは向こうで待ってて」
「いや、お前日本で買い物なんて――」
「小さい子じゃないんだから、大丈夫!」
 ぐい、と背中を押され、そちらへ一歩……出たものの、カゴへ突っ込んだビールが目に入り踏みとどまる。
「けど、お前じゃビール買えねぇぞ?」
「……あ……じゃあ、買わなくていい?」
「ンでだよ! だから一緒に並んでやるっつの!」
「それじゃあ、これ以上は入れないでね?」
「努力義務」
「もう」
 くすくす笑った葉月の顔がすぐここにあって、『あ』と思うと同時に少しだけ離れる。
 こいつ、こんなふうに笑ったっけ。
 いちいち表情が目について、逸らそうと思っても視線が動かない。
「えっと……えびと、おそばと……あ、牛乳」
 スマフォへ買うものをメモしていたらしく、立ち止まってひとりごとしつつの確認。
 伏し目がちの表情と、小さいながらも画面を撫でる指先と……はらりと頬へ流れた髪を耳へかける所作と。
 どれもこれも近い距離で見え、カートへもたれたまま何も言えず待つ。
 ……18か。
 最後に会った小学生のときとは、まるで違う。
 身体つきももちろんそうなら、声も変わったような気がする。
 こんなに高くなかった。甘くなかった。耳に残らなかった。
 口調も大人っぽくなっており、羽織ともまるで違うから……ああコイツはコイツなんだな、と思う。
「っ……」
 きっと無意識だろう。
 何か考え混むかのように視線をあちらへ向けながら、指先を唇のそばへ当てた。
 うっすら開いた唇がやけに目について、がらにもなくどきりとした。
 だが、それは決して恋愛感情云々からくるものではなく、単に……驚いただけだ。ったりめーだろ。
 別にそんなんじゃねぇし。
 それこそ、葉月だって――。
「たーくん?」
「あ?」
「どうしたの?」
 ふいに目が合い、背が伸びる。
 違う。
 誰に対しての否定か自分でもよくわからないが、とっさにそう思った。
「っ……」
「…………」
 手を伸ばして頭へ置き、伝うように髪を撫でる。
 途端、葉月は唇を結んだ。
 驚いたというより、戸惑ってるほうが正解かもな。
 自分でも、なんでそんなことをしたのかわからなかった。
 が、反応を見たかったんだろう。
 俺はなんでもない。
 だから、お前だって平気だろ?
 実際に見て、確かめて、なかったことにしたかったのかもしれない。
「…………」
 視線を外した葉月は、眉を寄せるとわずかに視線を落とした。
 頬が赤くなるわけでも、喜んでいるでもなく、ただ……困ったように。
「……枝毛ねぇな」
「…………たーくん」
「な……んだよ」
 ぱっと手を離し、視線をあっちへ向けたものの、歩き出そうとしたら逆に葉月が腕を掴んだ。
 だが、そっちへ向き直るまでほんの少し時間がかかった。
「……ねえ。いつもこんなふうに、誰かのことを触るの?」
「は?」
「だとしたら、よくないと思う」
「……は……ァ?」
 妙なセリフでようやくそっちを見ると、唇を噛んだまま葉月はどこか非難するかのような眼差しを向けた。
「簡単に触ったらいけないんだよ? 誰かに触るって……ううん、男の人が相手に触るのは、その……特別な印象を与えるでしょう?」
「そーか?」
「そうだよ。勘違いされたら、困るじゃない」
「勘違い?」
「……好意を持たれてるって、思っちゃうよ?」
 ぽつりとつぶやいた葉月は、最後の最後で視線を外した。
 いや、つーかそもそもお前が勘違いしてねーか。
 俺が誰彼構わず手ぇ出すと思ってんだろ。
「ンなこと知ってる」
 肩をすくめ、先を歩き始める。
 決して広くない通路のせいか、混雑していることもありすんなり進めはしなかったけどな。
「俺だって、触る人間くらい選んでるっつの」
「……本当に?」
「たりめーだろ。面倒くせぇことはきっちり避けるタイプ」
「じゃあ――」
「あ?」
「……どうして私……」
 そう言って俺を見た葉月は、戸惑ったように困ったように目を見つめた。
 どうして。
 その意味がよくわからないが、別にお前に手を出したって――。
「あ」
 あー。あーー。
 あー……しまったそういうことか。
「……たーくん?」
「お前……もしかして嫌だった?」
「えっ。どうして?」
「いや、なんか……はー。つーか、そーだよな。……あー、わり。そうだ」
 思わず口元を押さえ、これまでの自分の行為を振り返ってみる。
 今回だけじゃない、前回もそう。
 葉月がこっちへ戻ってきたとき、小さいころからのクセのようなもので、つい触ることが多かった。
 手を繋ぐ。髪に触る。肩を引き寄せる。
 コイツの気持ち云々に気づかなかったとはいえ、結構なことをしでかしてきたのは事実。
 さっきのもそうだろ。
 べたべた触るのは嫌いだと言いながら、コイツには結構な頻度で手を出していた。
 クセだってのもある。
 だが――どこかでその感触を快に感じてなかったか。
「悪い。触らないようにする」
「っ……ちが……! たーくん、違うの。そういう意味じゃ……」
「いや、そーだろ? 悪い。小さいころの習慣っつーか、なんか、つい手が――」
「違うのっ……!」
 手を振って謝罪した途端、葉月がその手を握った。
 かと思えば、『あっ』とかなんとか言いながら、慌てて離す。
 ……くるくる変わる表情が、見ていておもしろい。
 ああ、なるほど。
 もしかしたら俺は、葉月の反応を見てどこかで楽しんでいたのかもしれない。
「その……ほかの人に触るときは、気をつけてっていう意味で……」
「いや、だから。ほかのヤツに手ぇ出さねぇって」
「……そう、なの?」
「お前、俺が羽織とかべたべた触ってるの見たことあるか? ねぇだろ?」
「それは……そうだけど……」
「身内でそれなんだから、他人なら尚更だ。手ぇ出したらそれこそセクハラ――」
 ちょんちょん。
 ため息をついて力説しようとした瞬間、背中をつつかれた。
「……ありえねぇ」
「何がですか?」
「ネギで人のこと突つくとか、無遠慮にもほどがあんだろ」
「やだなー、いいじゃないですか。ちょっと遠かったんですもん」
 振り返るとそこには、長ネギを構えた野上さんがいた。
 いかにも年末年始引きこもりますというくらい、カゴへ食材をてんこもりにしながら。
「何してるんですか? こんな所で」
「スーパーにきて、買い物以外すんことある?」
「そーなんですけど。なんか、ガラが悪い人いるなぁと思ったんですよ。そうしたら、やっぱり瀬那さんでした」
「相変わらずひとこと余計だ」
 さすがに舌打ちは出なかったが、にっこりと笑みを浮かべた彼女に眉を寄せると、『なんでそんな顔するんですか失礼な!』とひと息で言われた。
「で? どうしたんですか? こんな似つかわしくない場所……んまあ! んまぁあぁああ!?」
「……ンだよ」
「だって!! 瀬那さんったらもう! 言ってくださいよ!! 付き添いだったら早く!」
「は?」
 両手を頬へ当てて目をきらっきらさせながら、野上さんは俺からすぐここにいる葉月へ視線を移した。
 かと思いきや、突然両手をひっつかむように捕らえる。
「あなたっ!! 最近図書館にいらっしゃってるお嬢さんね!?」
「え……覚えていてくださったんですか?」
「もぉぉおっちろんよ!! だって、こんなにかわいい子そうそういないもの!!」
 あー、なるほど。
 そういや、葉月が図書館に入り浸ってることもあったな。
 ……って待った。
 コイツが図書館利用しだしたのって、ほんとに最近じゃねーか?
 だとしたら、野上さんよっぽど人間ウォッチングしてるってことか。
 ……ある意味暇の極みだな。
「んもぉぉお! どうりで最近の瀬那さんってばため息が多いと思ったんですよぉお! そりゃそうですよね。こんなかわいい彼女ほったらかしてお仕事とか、嫌ですもんね! お家でにゃんにゃんしてたいでしょうよ!!」
「……あのな」
 相変わらずのハイテンションっぷりに、こんな場所で出会ったことを後悔する。
 ただでさえ、野上さんの声もリアクションもでかい。
 なのに、こんな混んでる店の中でとか……あー、勘弁してくれ。
 やっぱり、葉月の言うとおりあっちでおとなしく待ってるのが正解だったか。
 今さらながら、若干後悔した。

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