「あの」
「え?」
「あ?」
 俺と野上さんを見守っていたらしい葉月が、ふいに口を開いた。
 ちらりと一瞬俺を見られたが、意図はわからない。
 が、野上さんへ身体ごと向き直ると、いつものように笑みを浮かべた。
「私は、従妹なんです」
 きっぱりとした口調で、葉月が事実を伝える。
 たしかに、事実には違いない。
 だがそれは本心かと聞けば、違った答えが――返ってくるのか?
「あらまあ、従妹ちゃんですか! ですよねぇ。瀬那さんに、こんなかわいい彼女なんて似合わないですもん」
「……ち。失礼だぞ、それ」
「あはは! だってそうじゃないですかー!」
 けらけらと笑う野上さんに瞳を細めると、葉月もそれを見て小さく笑った。
 目の端でその笑みを捉えたものの、あんなにハッキリと葉月の口から『従妹』という言葉が出るとは思わなかったのもあってか、若干戸惑った。
 だが、これでようやく俺の中で片がつく。
 気にしてるのは俺だけ。
 葉月の中ではすでにもう、俺への気持ちなど存在しないとわかった。
「あ。もしもーし。はいはい? レジにいるの? おっけー。それじゃあこれから行くね」
 スマフォを……って、すげぇスマフォだな。
 じゃらじゃらといろんなものが付いているだけでなく、カバーは虹色。
 明らかに原色そのもので、そういやこの間原宿がどうのっつってたなと思い出す。
「くふふ。うちの大事な彼氏が待ってるので、それじゃわたくしはこれにて。瀬那さん……と、従妹ちゃん。またねー」
「失礼します」
「……なんだ、従妹ちゃんって……」
 レジ方向を見て嬉しそうな顔をした彼女を見送り、空き始めた通路を通ってパン売り場へ抜ける。
 …………。
 ……って、ついて来いよ!
 いつもならば必ず俺の横に走り寄ってくるだけに、数歩歩いても来る気配がなくて足が止まった。
「何してんだ、お前は」
「だって……ほら」
「……あ?」
 そう言って向けた視線を辿ると、そこには彼氏らしき人物と仲良さそうに歩く野上さんの姿があった。
 俺とは違って、いかにも真面目で人のよさそうな優男。
 ……はー、なるほどね。
 確かに、彼女にはぴったりかもしれない。
「優しそうな人だね」
「悪かったな、優しくなくて」
「別に、たーくんのこと言ってるんじゃ……」
「そう聞こえるんだよ!」
 お袋から『食パンも買ってきて』とメッセージがあったため、6枚切り1袋をカゴへ突っ込み……って、すげぇ並んでる。
 さすが年末。
 ひと昔前と違って正月にスーパーが休みってわけじゃないにもかかわらず、かなりの列ができていた。
 ……まあそうだよな。俺だって、できることなら正月は引きこもっていたい。
 そのための食料買い込むし。
「もう。どうして怒ってるの?」
「怒ってねぇよ」
「怒ってる顔でしょう? それは」
「悪かったな、生まれつきだ」
「……どうして怒ってるの?」
「だから怒ってねーっつの!」
 列の最後尾へ大人しく並ぶものの、眉を寄せて顔を覗きこんでくる葉月に視線を合わせず、小さく舌打ち。
 ……怒ってるつもりはないが、ひょっとしてイライラしてるのか。俺は。
「…………」
 ちらりと葉月を見ると、列を眺めたまま特にしょんぼりしている様子もなく、いつもと同じように見えた。
 その横顔を見ながら、また手が出そうになり……いやだから触るなって、と顔を覗くにとどめる。
「え?」
「……お前、俺のこと平気だな」
「えっと……どういうこと?」
「羽織だったら、こんだけガンガン言われたら半泣きかめんどくさそうにして関わらないかのどっちかだぞ」
 思い出すのは、先日のプリン戦争ならぬ喧嘩。
 ちなみに、クリスマスに寄った大行列の古月では、葉月と俺とでクリスマスケーキならぬ普通のショートケーキとプリンをひとつ買った。
 羽織が一度荷物を取りに帰ってきた日にプリンは伝えたから、チャラにはなってる。
 が、どうしてプリンを買うのか聞かれて葉月へ正直に答えたら、案の定眉を寄せて『それはたーくんがいけないんじゃない?』と言われたから、多少は反省してる。
 とどのつまりは俺が悪いとは思うが、キツイ言葉ってこともあって羽織は途中でたいがい口をきかなくなる。
 イコール俺の勝ちだと昔は思っていたが、戦線放棄は『いちぬけた』状態なんだよな。
 だから、勝ったことにはならないんだと、いつだったか気づいた。
 葉月は、俺があんだけキツイ口調でぶつけても、同じ温度で言い合いに発展することなく、いつでも自分のペースを崩さない。
 おかげで、そっちのペースに俺が引っ張られ、こうして早く終息する。
「恭介さんがあんなふうに叱ることとかないだろ?」
「んー……怒鳴られた記憶はないかな?」
「やっぱり」
「でも、お父さんってとっても論理的だから、いつも正しい印象があるの。……だから、勝てないかな」
 苦笑を浮かべたのを見ながら、ふと先日のことを思い出す。
 葉月がこっちへひとりできたとき、恭介さんは電話口でかなり叱っていた。
 だが、葉月にとってあれは『怒鳴られる』ことには入らないんだなってのが正直意外だ。
 ま、あンときは自分が悪いことした自覚があるから、余計そう思ったんだろうけど。
「私、たーくんにも怒鳴られたことないよね?」
「……そうか?」
「怒鳴るって、理不尽な感情をぶつけられることでしょう? どちらかというと、ストレス発散とか……やつあたりみたいに」
「あー……」
「だから、さっきのやりとりは……ふふ」
「……なんだよ」
「ううん、なんでもない」
 なるほどなと納得しかけたところで、葉月が思い出したかのように笑った。
 なんでもないってお前な。
 その反応は、ものすごく気になる。
「なんだよ。気になンだろ」
「だって……たーくん、反応がストレートだから、今どんなことを考えてるのかわかるんだもん」
「…………」
「たーくん?」
「悪かったな、単純で」
「もう。そんなこと言ってないでしょう?」
「そー言われた気分」
「正直って意味だよ?」
「わーってるよ!」
 ぴしゃりと言い放った途端、葉月はまたくすくすと笑った。
 悪かったな単純で、わかりやすくて、顔に出て。
 あと2人ほど目の前に並んでいるのを見ながらため息が漏れたが、葉月は時折思い出し笑いを繰り返し、都度俺が舌打ちするはめになった。

「っ……さむ」
 結局かなりの量になった荷物を持ち、自動ドアから平面駐車場へ出た瞬間、暖房の効いていた館内とは違い、かなり冷たい風に思わず目が閉じた。
「わぁ、すごい!」
「? 何……うわ」
 外へ出た途端に聞こえた、楽しそうな声。
 いったい何がすごいのかと思いきや、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
「なんだコレ……!」
 来るときには見られなかった大量の雪が、数センチほど降り積もっていた。
 駐車場に停まっている車にはもちろんだが、新しく入ってこようとしている車にも積もっている。
 まさか、年の瀬も瀬に雪が降るとは思いもしなかった。
「雪……!」
「あ、おい! 葉月!!」
「すごい!」
 ぱたぱたっと駆け出して、空を見上げる人間がここにひとり。
 確かに、雪が珍しいのはわかる。
 向こうじゃ、山にでも行かなきゃ降らないだろうから。
 ……けどそーじゃねぇ。
「あのな。ンなことしてたら風邪引くぞ!」
「だって、ほら……すごい。ふふ、冷たいね」
「ったりめーだろ!」
 楽しそうに笑いながら空を見上げ、腕を引いても動こうとしない葉月を見ていたら、幼いころとダブった。
 いくら声をかけても動かす、強制撤去するまでは絶対に家へ入ろうとしなかった彼女。
 どうやら、何年経ってもそんなところは変わってないらしい。
「お前、頭に雪積もってんぞ」
「え? ……あ、ホントだ。すごいね」
「ンな楽しそうに言ってる場合か!」
 髪や肩に積もり始めている、大粒の雪。
 無論、付き合っている俺にだって雪は容赦なく降ってくるワケで。
 ……さむ。
 肩が震えたのは、冷えなのか帰れなくなる不安かははっきりしない。
「ほら! 帰るぞ!」
「え? せっかく降ってるのに、もったいないよ?」
「もったいなくねぇよ! だいたい、こんな近所から家に帰れなくなったら困るだろ?」
「まさか」
「……お前な。冬瀬の雪をナメんな」
「そうなの?」
「ほら、行くぞ」
「あ、待って!」
 このままでは(らち)があかないことは容易に想像付く。
 というわけで、今回も強制的に葉月を動かす。
 空に向けていた手のひらを掴み、そのまま車へ。
 ……くそ。
 さっき『触らないようにするか』と決めたにも関わらず、すぐに撤回するはめになるとは。
 あー、こんな日に限って平面駐車場なんかにするんじゃなかった。
 この前洗ったのがパアだ。
 ほかの車と同じように雪が積もり始めている愛車を見ながら、ため息が漏れる。
「……あー冷てぇ」
 ロックを解除し荷物を後部座席へ突っ込む。
 もたれるようにシートへ座ると、髪や服から滴が垂れた。
 大晦日なんぞに、何も雪が降らなくてもいいだろ。
「楽しかったね」
「……どこが」
「ふふ。でも、たーくんも楽しそうだったよ?」
「あれは、お前に呆れてたんだよ」
 エンジンをかけてアクセルを踏み込んでから、腕を組む。
 ……くそ寒い。
 こんな状況で暖房入れても意味はないだろうが、ついつい付けたくなるのが性分というモノ。
 あー、早くエンジンあったまんねぇかな。
 冷風じゃホントに風邪引く。
「っ……うわ!」
「もう。たーくん、びしょびしょだよ。拭かないと、風邪ひいちゃう」
「おまっ……! ちょ、待て!」
 こっちへ手を伸ばしたかと思いきや、ハンカチ越しとはいえいきなり頬に手があてられ、思わずらしくもない声が出た。
 距離がいきなり縮まれば誰だって驚くだろ?
 それがたとえ……従妹だとしても。
 ハンカチ越しに温もりが伝わり、思わず手が先に出る。
「っ……!」
「俺はいいんだよ、俺は! だいたい、お前のほうが濡れてるだろ!」
「ちょっと、待って! 私は、大丈――」
「大丈夫なワケあるか! いったいどこからンな根拠が出るんだよ!」
「だ、だって……っ! ちょっ……! たーくん! もう少し優しく――っ!」
 俺はただ、葉月の髪を撫でるようにハンカチで拭いていただけだった。
 なのに……なんで、こうなった?
「っ……」
 思った以上に近い距離で葉月と目が合ったものの、言葉が出なかった。
 車内に流れる、妙な雰囲気。
 先ほどからずっとかかっているはずのCDの音が、まったく耳に届かない。
「……わり」
「あ……う、ううん……」
 ほんの一瞬だった。
 葉月が俺の手を払おうとして顔を上げたそのとき、弾みで、手がずれた。
 それだけなら、無論問題なんてない。
 ……が。
 瞬間、指に葉月の唇が当たった。
 それはほんの一瞬の出来事だったにも関わらず、驚くほど心臓が跳ねた。

 ヤバい。

「っ……」
「ちゃんと拭けよ」
 視線を逸らし、ハンカチを葉月の頭へ載せてから、ギアを入れてアクセルを踏み込む。
 信号がちょうど変わったお陰で、つかえることなく駐車場から国道へ出ることができた。
 前を向いているお陰で葉月を直接見ずに済むが、それでも動作は目の端に入ってくる。
 だが、それ以降葉月がこれと言った何かを言うではなく、家に帰るまでの間の居心地の悪さは拭えなかった。
 うわ、やべぇ。っとにやべぇ。
 何してんだよ、俺。
 あの、ほんのわずかな出来事で、俺の中の葉月の立ち位置が変わった。
 これまではどんな姿を見ようと、どんなに絡もうと、俺の中でコイツはずっと“従妹の女の子”だった。
 ――のに、あの瞬間180度変わった。

 “女の子”ではなく、ひとりの“女”に。

 ヤバい。つーか、落ち着け。
 せっかく、葉月が俺をもうなんとも思ってないとわかったにも関わらず、焦ってる自分がいる。
 妙に、落ち着かない。
 つーか、ものすごくイケナイことをしたような気さえする。
 キスしたわけじゃない。
 だが、それ以上に……あーやばい。
 この密室状態が、ものすごく気まずい。
 あえて葉月を見ないようにしながらも、少しの動作でどきりとする。
 ……まさか、こんなことになるとは。
 ほんの少しのことで、葉月をこれまでと同じように見れなくなった自分が、心底情けなかった。
 つーか、ホント……最悪だ。
 ただでさえ最悪の大晦日なのに、こんなことまで起きて『人生史上最悪』と冠を付けたくなった。

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