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 まったく平静を保ってられなかった夕食は、ある意味苦行だった。正直、メシの最中は葉月を見るに見れず、ただただ箸先にだけ視線を注いでいたが、年越し蕎麦だけじゃ物足りず、年越しラーメンを作ってもらうために、結局葉月を頼るしかなかった。
 おそらく葉月は、俺の動揺なんてまったく推測すらしちゃいない。
 くすくす笑いながらいつものように反応されつつも、内心俺はたまらなかったってのに。
 「ルナちゃん、ちょっといい?」
 「はい?」
 夕食後自室へ戻ろうとはしたものの、雪のせいで冷蔵庫化した場所へ戻るに戻れず。
 仕方なく、エアコンで快適なリビングから動かずテレビを見ていたら、目の前のコタツへお袋が何やら持ち出してきた。
 見覚えがあるそれは、古ぼけた赤い表紙のアルバム。
 確か、俺が小さいころの写真が貼ってあったからか、何度か開いて見た記憶があった。
 「っ……懐かしい……」
 「でしょう?」
 最初は思いきり傍観者でいるつもりだったのに、まじまじと葉月が見入ってるのを見て、興味がそそられた。
 ……正直、今のこいつには近づきたくないんだが、つい反応してしまったあとで後悔。
 「あ? これ、恭介さんだよな?」
 「そうよ。懐かしいわよねー、ウチにいたころの恭介君」
 よく知った顔の人物。
 それは、若かりしころの……つーか、冬瀬の制服を着ている恭介さんだった。
 今から、18年以上前。
 ……すげー、若い。
 つーか、なんだ? この嘘くさい笑み。
 彼はこんな顔をしてどれだけの女を泣かせてきたんだろう。
 恐ろしい。
 とは思うが、彼のある意味黒歴史を知らない愛娘にンなこと吹き込んだら、俺のクビが比喩じゃなく飛ぶからやめておく。
 「わぁ……お父さん、若い」
 「きっと、今のルナちゃんと同い年よ」
 「そうなんですか?」
 「ええ」
 楽しそうに若かりしころの恭介さんを見ている葉月を、少し観察。
 ……ああそうか。あっちには、こういう写真持って行ってないのかもな。
 この反応といい、葉月が昔の恭介さんを見るのは初めてなのかもしれない。
 「わ、かわいい!」
 「……うわ」
 「これ、もしかして……」
 「そうよ、孝之の小さいころ」
 楽しそうな顔をした葉月の指先を見ると、そこには園服を着ている俺がいた。
 ……しかも、泣いてるし。
 つーか、こんなトコ写真に撮るなよ。
 「このころの孝之って、犬が恐かったのよ。このときも、お隣のワンちゃんが散歩に出てきてね。それで、恭介君にしがみついてるの」
 「たーくん、かわいい」
 「かわいくねぇよ!」
 おかしそうに笑うふたりから顔をそむけると、何かを思い出したかのようにお袋が声をあげた。
 パラパラとページをめくり、目が合った途端にニヤっとした笑みを浮かべる。
 ……なんだ、その顔は。
 我が親ながらヤな顔だ。
 「っ……あはは!」
 「なっ……」
 「ねー? 馬鹿な子でしょー?」
 「おい! 何見せてんだよ」
 「ふふーん、内緒」
 「っ……! 内緒じゃねぇだろ、馬鹿か!」
 俺に見えないように薄くページを開いて葉月だけに見せ、こそこそと耳打ちするお袋。
 あー腹立つ!!
 「ちょっ、貸せって!」
 「わっ! ……もう、強く引っ張ったりしたら切れちゃうでしょう?」
 「切れねぇよ!」
 葉月に睨まれるが、それどころじゃない。
 つーか、ものすごく気になるし。
 「あ、そうそう。ルナちゃん、これ覚えてる?」
 「え?」
 「あ!? オイ!」
 まだ見てないのに、さっさとお袋がページを変えてしまった。
 お陰で、どういう写真だったのかもまったくわからず。
 ちくしょう。あとで聞きだし……いや、いっそ写真をなきものにするって手もあるか。
 こいつらの手の届かない天袋にでもしまえば、完了だな。
 「わぁ……小さい」
 「これ、ルナちゃんがウチに来た年だから……5歳ね」
 「……5歳」
 ぽつりと呟いて写真を食い入るように見つめた葉月を、お袋が小さく笑った。
 ……あ? なんだ、その顔。
 目が合った途端お袋が『写真を見ろ』という顔をしたので、仕方なく葉月に習う。
 すると、そこには満面の笑みを浮かべた葉月がいた。
 「あー……確かこれ、花見行ったときだろ?」
 「え? そうなの?」
 「ああ。覚えてないか? お前、ここで迷子になったんだぞ」
 葉月が家に来た年の、4月。
 恭介さんが珍しく平日休めたから、みんなで湯河原まで花見に出かけた。
 が。
 メシを食ってから羽織と葉月が散歩に出かけて……しばらく経ったら、羽織だけが戻ってきたのだ。
 『葉月がいない』と、泣きながら。
 探しに出たら、結局すぐに見つかったんだが……なぜか、このとき葉月の機嫌がものすごくよかったんだよ。
 結局、今になってもどうして機嫌がよかったのかはわからないまま。
 聞こうと思っても、当の本人は覚えちゃいないようだ。
 「……懐かしいね」
 「まあそうだろな。もう10年以上前か」
 笑ってから再びアルバムに向かい、葉月は1枚1枚を丁寧にめくる。
 それを見たお袋が、どこかほっとしたように笑みを浮かべた。
 ……そういえば、葉月が自分の昔の写真を見るのはこれが初めてかもしれない。
 なぜなら、恭介さんはウチから写真を持っていかなかったからだ。
 理由はもちろん、ただひとつ。
 『昔を思い出すから』
 だから、あえて前回来たときもお袋は葉月に写真を見せなかったんだろう。
 ……そういや、うまくはぐらかしていたような気もするし。
 「…………」
 ……なるほど。
 泣くことなく、表情を曇らせることなく昔を懐かしむ葉月を見て、どうやら少しは自分の中で整理が付いたらしいとわかった。
 少なからず、葉月にとって昔は昔という区別でもできたんだろう。
 前回来たときのことがあったので少し心配だったが、少しずつならば向き合わせても大丈夫なのかもな。
 「あ、これ覚えてる? ルナちゃん」
 「え?」
 お袋が指差した写真には、舌を出してカメラに向いてる生意気そうなガキと、その子の服を掴んであとを追う葉月の姿があった。
 ……って、ちょっと待て。
 生意気そう……ってこれ俺じゃん。
 ……自分で言うなよ。
 「…………」
 ヘコんでいる俺をよそに、ふたりは何やら昔話を始めた。
 飽きもせずにまぁ、よく話すことがあるもんだな。
 まぁ、いいけど。今日は大晦日だし。
 ソファからコタツへ移り、菓子をつまみに茶をすする。
 「でね? ルナちゃん、このとき孝之のお嫁さんになるって言ったのよ」
 「ごほっ!?」
 いきなり耳に入ったとんでもない会話に、思わずムセた。
 「たーくん、大丈夫?」
 「っ……ごほごほっ! げほっ!!」
 「汚いわね、もー。何してんのアンタは!」
 「いや、お前のせいだろ!! あてっ」
 「だから! 親に向かって『お前』とは何よ、『お前』とは!」
 びしっと指差したその指を、思い切り平手で叩かれた。
 ……ちくしょう。
 なんだ? 俺が悪いのか?
 元を正せば、いきなりとんでもないことを言い出すお袋が悪いだろ!
 しかもこの、微妙にそういう話題を出しちゃいけない時期に!!
 親、親って言うなら、ちったぁ息子の心情も察しろ!
 「ねぇ、ルナちゃん。ウチにこのまま嫁に来ない?」
 「……え……」
 「なっ……! おま、ちょっと黙れねぇの?」
 「あんたは関係ないでしょ?」
 「関係あんだろ! 当人を差し置いてそういう話をぽんぽん出すんじゃねぇよ、馬鹿か!」
 「誰が馬鹿よ、馬鹿息子! 誰がここまで育ててやったと思ってんの!?」
 「育てるのは親の義務だろうが!」
 「馬鹿言ってんじゃないわよ! 義務義務ってねぇ、当然みたいな顔で権利ばかり主張するんじゃないの!! そういうのは、きちんと資格を満たしてる人間が言うことよ!?」
 「俺だって、ちゃんと働いてるだろ!」
 「そういう問題じゃないわよ、偉そうに!!」
 「はァ!?」
 ああ言えば、こう言う。
 この親にして、この子アリ。
 ……いや、それはわかってる。
 だが、いくらなんでも、言い過ぎだろ!
 そもそも、土足でズカズカ禁区域に踏み込むな!!
 「だいたいねぇ、顔赤くして言うことじゃないでしょ! みっともない」
 「……っ……関係ねーだろ!」
 「っていうか、あんたが悪いんでしょ? 24にもなって彼女の『か』の字もないじゃない! 家に連れてきて両親に会わせるつもりはないわけ?」
 「馬鹿か! 誰がンなことしなきゃなんねーんだよ! だいたい――」
 いきなり方向が変わったお袋の話で声を荒げると、これまで口を挟まなかった葉月がテーブルに両手を組んで置いた。
 
 「たーくん、彼女いますよ?」
 
 「なっ……!」
 「あら、そうなの?」
 「だよね?」
 いきなり出てきた、とんでもない伏兵。
 ……こいつの存在、忘れてた。
 きょとんとした顔で言われ、思わず瞳が丸くなる。
 「………………」
 違うだろ。
 つーか、お前がいきなり出てくんじゃねーよ。
 そう言いたくなる口を押さえ、ふたりから視線を逸らす。
 すると、やっぱりお袋が食いついてきた。
 「何よ、そういう子いたの?」
 「いねーよ」
 「……え? でもこの前――」
 「風呂入る」
 「あっ! たーくん!」
 「なぁに? 私、聞いてないわよ?」
 「終了」
 さっさと立ち上がり、振り返らずに部屋へ向かう。
 ……どいつもこいつも。
 つーか、そーゆー恋愛云々の話を俺にするな。
 「…………」
 『いない』と言った途端、反射的に葉月を見てしまったことにまた後悔する。
 少し驚いたように瞳を丸くしたあの顔が、目に焼きついて離れそうにない。
 スマフォで時間を見るも、まだ22時を少しすぎたところ。
 ……はー。
 どうやら、今年の大晦日の夜はまだまだ長くなりそうだった。
 
 
       
 
 
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