「はー……」

 『お前は、俺が好きなんじゃねぇのかよ』

 うっかり口を滑らせたとはいえ、よく言ったよ。俺も。
 にしたって、あそこまで態度変えられるとなると……この先どうすればいい。
 アイツは春からうちへ下宿し、少なくとも4年間はここから大学へ通うだろう。
 親父もお袋もそのつもりだし、俺だって理解していた。
 すでに俺の隣の部屋には葉月の荷物が少しずつ増えており、すっきりとしてはいるが、いかにもアイツらしい部屋ができあがりつつあった。
 にもかかわらず、俺のせいでこうなった以上、責任は取るべきだってのもわかってる。
 が、どうすればいい。
 当たり前のように従兄妹同士として接しようとしても、葉月の態度はぎこちないまま。
 きっと今ごろも、アイツは自分のことを責めてるだろう。
 となると……職場は車で10分だってのに、俺がひとり暮らし開始か。ま、別にいいけど。
 きっとその提案をしたところで親父もお袋も何も言わないどころかむしろ大賛成だろうし、それでコトが丸く収まるならそれでいい。
「…………」
 ベランダの手すりへもたれたまま、吸っていた煙草を灰皿として使っているピースの缶へ押しつける。
 妥当だろ。
 昔から、思ったら即行動のタイプ。
 だからこそ、今週末にでも物件探しするかって気に早速なった。

「…………」
 翌日の朝。いつもよりだいぶ早い時間に起き、昨日までの新聞とチラシが詰め込まれているラックを探る。
 探し物はひとつ。不動産屋が出している、近隣の物件チラシだ。
 ……あー、金かかるな。
 駅から離れている場所を見ても、そこそこな家賃が掲載されている。
 とはいえ、ひとり暮らしの気楽さは身近なヤツでよくわかっている。
 ま、家事を全部自分でやんなきゃなんなくて、自炊も必至ってのがなかなか面倒ではあるが、誰に何を言われるでもなく生きられるってのは、なかなかオツだろ。
 しちめんどくせーことを言わない親ながらも、学生のころは小言をよく言われた。
 それに耐えてはきたが、葉月にいろいろやらかしたことがバレたら厄介。
 間違いなく俺の肩身が今よりもずっと狭くなる。
「……ふぅん」
「なんだ。お前ひとり暮らしでも始めるのか?」
「うわ!?」
 幹線道路沿いにもかかわらず家賃が手頃なアパートの見取り図を見ていたら、耳元で聞こえるはずのない声がし、数センチは飛び上がった。
「なっ……な、恭介さん!? なんでここに!!」
「あけましておめでとう。今年もよろしくな」
「いや、そっ……」
「俺にはあいさつなしか? ……って、ああ、お前とは元日に本宅で会ったな」
「そうじゃなくて!!」
 いかにも、これから出勤かのような格好の彼は、あぐらをかいてからコートを脱いだ。
 てか、鍵持ってたっけ!?
 そりゃ、一緒に住んでたころから付け替えてねーとは思うけど、気配消したまま侵入とかある意味犯罪じゃね?
 ……言えねぇし、言わねぇけど。
「あー……すげぇびびった」
「葉月はまだ起きてないのか?」
「……さあ」
「さあってお前……まさか、ひとりで出かけてないだろうな。変な虫がついたらどうする」
「大丈夫じゃね? アイツ自分で払えそうだし」
「……お前……」
「っ……冗談だって」
 すぅ、と瞳を細められ、比喩でなく背筋が凍る。
 恭介さん、いつだってにこにこしてるくせに、こと葉月が関わるとガチでやばい。
 ああ、そういやアイツの入試結果がわかったあと、一時帰国した恭介さんと会ったけど……そんとき言われたっけな。
『春からしばらくは俺の手が届かないところへ行くから、代理としてお前が守れよ』と。
「雪江さんと兄貴は?」
「さあ……俺、今起きたばっかだし。なんか用?」
「まあ、ちょっと直接話したいことがあってな。それで寄った」
 元日といい今日といい、神出鬼没すぎてホント読めねぇ。
 あーそういや、葉月へ出した宿題の結果、まだ聞いてねぇな。
 合格報告のときにちらっと探ったら『たーくんのおかげで、ちゃんと話せたからね』とは言ってたが、内容までは聞いてない。
 ま……今さらそういう話できる仲じゃねーけど。
「茅ヶ崎との市境にマンションがあるが、使うか?」
「っ……マジで?」
「ああ。うちの事務所関連の部屋だから、一通りの家具は付いてるし、食材だけ買えばすぐにでも暮らせるぞ。好きに使っていい」
「うっわ、すっげぇ嬉しい。もつべきものは、デキる叔父貴だぜ」
「ただし、使用外目的で使うんなよ。連れ込ん――」
「いや、さすがにしねぇって」
「ならいい」
 悪戯っぽく笑った彼に慌てて首を振ると、からから笑って鍵を取り出した。
 うわ。うっわ、まさかこのタイミングで欲しいものが手に入るとは思わなかった。
 ご利益ありまくりだな。
 年明け早々、願いごともせずただただ感謝しといてよかったぜ。
「しかし、どうしたんだ? 急にひとり暮らしを考えるなんて。実家のほうが都合いいだろう?」
「あー……まあなんつーか、自立を経験してみたいっつーか」
「ほう。だったらいっそ、年末年始に向こうの家へ来ればよかったじゃないか。留守宅をお前が守ってくれるなら、安心だったしな」
「いや、さすがにこの歳でいきなり英語圏放り込まれたらジリ貧が目に見える」
「為せば成るだろう。翻訳機能も向上してるし、いい経験になるんじゃないか」
「……勘弁してくれよ」
 恭介さんの目がまったく笑っておらず、本気でぶちこまれる悪寒に首を振る。
 助かったぜ、長期休暇が終わったあとで。
 さすがに、仕事を理由にすれば強行はされないからな。
「それじゃ、また連絡するが何かあったらお前からも頼むな」
「もちろん。え、早速今日から行ってもいいわけ?」
「ああ、構わん。住所だけ教えればいいか?」
「ナビあるし、それで十分」
「そうか」
 お袋たちへは……とりあえず言っといたほうがいいんだろうな、多少。
 ま、もともと俺が泊りがけでどっか行ってもさっぱり連絡なんてしてこねーし、もうすでにほったらかされてンだろうけど。
「あー、テンション上がる」
「それはよかったな。今日は仕事か?」
「ああ。いつも通り」
「そうか。しっかり稼げよ」
「恭介さん目指すよ」
 いたずらっぽく笑った彼に応え、着替えるべく部屋へ……向かおうと、立ち上がったとき。
 入り口で、葉月が立ち尽くしてるのが見え、思わず喉が鳴った。
「ああ、なんだ。いたのか」
「……どうして……?」
「葉月?」
「どうして、たーくんなの?」
「っ……」
 どこから聞いてたのかは、わからない。
 だが、その口ぶりは明らかに今までのやりとりすべてを聞いていたかのようだった。
「おかしいでしょう? お父さん、その鍵は私に貸して」
「……どういうことだ?」
「あと少しで、入学の手続きは全部終わるから。そうしたら……向こうへ帰るから、それまでの間は私にひとり暮らしをさせて」
 恭介さんは知らない。
 俺とコイツの間に何があったのか。
 ……何があったのか、じゃないよな。
 俺が一方的に葉月を傷つけて、言わなくていいことばかりぶつけたことを、何ひとつ知らない。
 そしてきっと、葉月はそのことを恭介さんには伝えないつもりだろう。
「駄目だ」
「っ……どうして?」
「お前は女の子だろう。今回だって、雪江さんたちがいるから別行動を許したんだ。たった数日とはいえひとりで暮らすのは、許可できない」
「でも、私はもう18歳だよ? 自分のことは自分で決めていい歳でしょう?」
「土地勘もない場所で、ひとり暮らしはさせられない。ましてや、そのマンションは駅から離れてるしな」
「…………」
 恭介さんは、頑として首を縦に振らなかった。
 すんなり貸してくれた俺と、コイツとの差は絶対的だった。
 俺が男であり成人しているからということと、恐らくは恭介さんが考えるリスクの差。
 俺が痛い目に遭うのは勉強だと考えるだろうが、葉月の場合はシャレにならないと知っているからだ。
「そもそも、どうして家を出ようとするんだ。……お前もだぞ。何があった」
 ため息をついて腕を組み、恭介さんが俺へ視線を移した。
 まあ、そりゃ思うよな。
 こんなふうに言ってたら、明らかに『離れたがっている』と映って当然。
 恭介さんが葉月の気持ちを知っていたかどうかはわからないが、これだけ俺の隣で気まずそうにしていたら、勘のいい彼は容易に推測するだろう。
「とやかくは聞かないが、お前たちふたりは少し話し合う時間が必要なんじゃないか」
「っ……」
「まあいい。とりあえず、一旦離れて互いに頭を冷やすんだな」
 つい先日、葉月に対して自分が言ったような台詞を言われ、思わず反応する。
 正論だ。まさに。
 『きっとこう思ってるだろう』と勝手に推測して、俺は歩み寄ろうとしなかった。
 葉月が今どんなふうに考えていて、何を思っているか、知ろうとしなかった。
 俺が悪いんだと決め、意固地になり、挙げ句の果てには……葉月のせいにもした。
 最悪だ。どっちが大人かわかんねぇ。
「孝之。お前は仕事なんだろう? 支度してこい」
「ああ」
「葉月。すまないが、仕事が立て込んでいてな。当初の予定より少し時間がかかりそうだ。だが、準備が整い次第、直接俺が迎えに来る。それまではここで、大人しくしていなさい」
「……わかりました」
 こういうのがあるから、いつまで経っても恭介さんは俺よりずっとずっと先を歩いていると感じるんだ。
 采配が見事だよ、ほんと。
 ちゃんとした“大人”そのもの。

「ごめんね、たーくん」

「っ……」
「……ごめんなさい」
 私のせいで。
 目を合わせての謝罪は、まるでそう言われたかのように思えた。
 お前のせいじゃないし、そんなつもりは微塵もない。
 だが、葉月にそう感じさせたのは俺。
 ……ああ、そうだな。
 何もかも俺の言葉が足りなかったせい、か。

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