夜の道を歩いての買い物なんて、いつぶりか。
って、考えるまでもなくだいぶ昔。
バイクの免許を取ってからはもっぱらバイクだったし、車を得てからはずっとそれ。
わざわざ夜、しかも歩いて出かけるなんてことは皆無。
うちのそばにコンビニがねぇっつーのもあるけどな。
それに比べて、ここはある意味快適。いや、快適すぎる、か。
徒歩往復10分圏内に、コンビニもドラッグストアもある。
ついでに飲食店もそこそこあり、こじんまりした居酒屋もあって一度どこかで行くかって気になった。
「…………」
寒いは、寒い。
だが、こういう夜は久しぶりだからかテンションは高いまま。
……やばい、っとにニヤける。
冬らしい喉にくる冷たい冷気も、かじかむ指先も何もかも冬そのものだが、楽しいって思いはよほど威力を発揮するらしい。
「あー……ったけぇ」
階段で3階まで上がり、鍵を開けて中へ入った途端、付けっ放しのエアコンのおかげでものすごく快適な温度に本音が漏れた。
すげー快適。
ヘタしたら、俺の部屋よかずっと快適かもしんない。
気密性は確実にこっちのほうが高いだろうし、ほんと、マンションって熱が逃げないんだな。
夜に出かけたのは、単純に歯ブラシやシャンプーがなかったから。
ひとり暮らしは、思った以上に細々したモンが必要らしい、としてみて初めてわかった。
てことは、遊びに行くたび割となんでも揃ってる祐恭の家は、ある意味完成されつつあるんだろな。
あんまし『ない』って言われるモンねーし。
布団は備え付けてあったが、さすがに消耗品はまあなくて当然なんだが、帰るときには思いつかなかった。
トイレットペーパーに指定のゴミ袋と、ついでに洗剤。
ひとり暮らしじゃ洗濯機を毎日回さずとも平気そうだが、かといって買わないってのもな。
ま、気が向いたらすりゃいいだろ。
おかげさまで、ほったらかしオーケーな乾燥付きだし。
「風呂入ろ」
つっても、このあとすぐに見たい番組がある。
ついでにいえば、もともと長湯するタイプじゃない……となれば選択肢はひとつ。
「ま、シャワーでいいだろ」
寒いかもしれないが、そのときはエアコンでどうにかすりゃいい。
誰に何を言われるでもないのに、一瞬アイツが言いそうな言葉がよぎり、払うように洗面所へ向かった。
『おはようございます。今日のお天気です』
耳馴染みのあるキャスターの声を聞きながら着替え、とっとと身支度を整えて出勤態勢完了。
電気ケトルもあるからコーヒーだろーと、カップ麺だろうとなんでもいいが、今日は別。
昨日、ぶらりと出かけた際に見かけたカフェへ行くため。
モーニングって、うまいよな。
そういやつい先日、元旦早々から食ったのもモーニングだったな、と思い出したが、日数的にさほど経ってないにもかかわらず、だいぶ前の感じがした。
今日の天気も晴れ。明日明後日も、よい週末日和になるでしょう。
耳だけで音を拾ってからテレビを消し、カバンを手に玄関へ向かう。
起きたのもそうなら、家を出るのもそう。
いつもよりずっと早い時間に日常をスタートしていて、我ながら感心する。
やればできんじゃん。
じゃあ、普段ごろごろしてんのは……なんだ。気でも緩んでんのか。
理由をいくつもあげそうになるのを抑え、キーリングへ追加した新しい鍵で玄関を閉める。
モーニングなんてほとんどどの店も変わんねぇだろうけど、新規開拓は嫌いじゃない。
朝からうまいコーヒーが飲める期待でか、階段を降りながら小さく笑みが浮かんだ。
「おまたせしました。トーストモーニングですね」
こじんまりした店ながらも、この時間帯にこれだけの人間がいるってことは固定客がついてるってことなんだろうな。
目の前へ運ばれてきたのは、厚切りのトーストとサラダに目玉焼き、厚めのベーコンとコーンスープのついたかなり豪勢なモーニング。
飲み物代だけなんだから写真と相違ありなんだろうと踏んじゃいたが、いい意味で裏切られた。
「すげぇ」
「多いですよねー。よく言われます」
「いや、なんか家で食ってる朝飯っぽいなと思って」
「あ、それなんですよー。私たちが目指してるの」
「へえ」
「おうちご飯って、いいですよね」
夫婦で経営しているらしく、愛想のいい嫁さんがパチンと指を鳴らした。
ふわふわしてそうな見た目に反して、すげぇいい音。
ギャップに、小さく噴き出す。
「コーヒーのおかわりは大丈夫ですか?」
「あ、ください。てか、このコーヒー、なんでこんなに香りが甘いんすか? すっげぇいい匂い」
「おお、わかってくれますか。嬉しいです」
今度は、いかにもマスターといういでたちをした主人が、目の前へ。
ひとくち残っていたカップを煽って空にすると、温かいコーヒーが注がれる。
黒というより赤に近い色。
入ったときに感じたのと同じ、果実のような香りが漂う。
「本来、コーヒーはこの香りが正解なんですよ。だから、砂糖もミルクもいらないんです。素材の豆がいいので、あえて浅煎りで焙煎してあるんですけれどね」
「へえ。いや、ほんと香りがいいっすよね。飲んだあともすっきりしてるのに、後味っていうか……香りがいい」
「ありがとうございます」
満足げな彼へ笑ってから、ひとくち。
あー、うまい。
普段もコーヒーはブラックで飲むほうだが、どれも味は同じだと思っていたからこそ、これほどまでの差に正直驚いた。
うまいコーヒーって、ほんとにうまいんだな。
つか、これ飲んだら職場のコーヒー飲めなくなる。
「いただきます」
「どうぞ、ごゆっくり」
大きめのワンプレートは、いかにも朝食らしくて箸が伸びる。
といっても……思い返してみれば、昨日の朝もこんな飯だったんだっけか。
昼は学食が休みなため、コンビニで仕入れた弁当。
そして、夜も同じく。
温かいには温かいんだが、なんか違うんだよな、と思ったのはなんでだったんだろうな。
食べるには食べたし、店舗で味の変わらないコンビニの食事。
だが、そういえば正月のあのころ、アイツと当たり前のように顔を合わせて話をしていたころは、しゃべりながら食うのが当たり前だった。
テレビじゃない、生身の人間。
たった1日なのにそんなふうに感じた自分がおかしくて、とはいえいかにもな朝食は予想以上にうまくて、ああいっそここに通い詰めてもいいかもなと単純ながら考えた。
「ごちそうさまでした。うまかったです」
「あら、ありがとうございます。お仕事いってらっしゃいですね」
「ありがとうございます」
あれでワンコインってのは、果たしてどうなんだ。本当に儲かるのか、などといつか聞いてみたいことを考えながら、店の入り口へ。
するとそのとき声がかかり、振り返ると主人がテイクアウト用のカップを手にしていた。
「もしよければ、100円でテイクアウトできますけれどいかがですか?」
「え、まじすか。あのコーヒー? 100円で?」
「ええ。モーニングご注文のお客様に限りのサービスです」
「うわ、すっげぇ嬉しい。ぜひお願いします」
言うが早いか、主人はカップへコーヒーを注ぎ、蓋をして渡してくれた。
温かい、それこそこの時期にはすげぇ嬉しいやつ。
しかもあのコーヒーとあって、素直に笑みが浮かぶ。
「もしよければ、またいらしてくださいね」
「ありがとうございます。近いうちにまた、ぜひ」
間違いなく、一見では終わらないだろうな。
普段朝からモーニングなんて行かないが、ほかの連中にとってもここは貴重なんだろう。
コーヒーの美味さだけでなく、通いたくなる魅力がなけりゃ人はこない。
「ごちそうさまでした」
「お気をつけて」
頭を下げてから、外へのドアをくぐる。
カラリと鳴るカウベルの音が懐かしい気がして、それも少しおかしかった。
「……っし。行くか」
運転席のドリンクホルダーへコーヒーを載せ、一路、冬瀬の街中方面へ左折。
ここからだと、車で20分ってとこか。
実家と比べれば少し遠いが、運転自体が嫌いじゃないのもあって、別に苦でもなんでもない。
が、住宅街から国道へ合流した途端、たちまち渋滞につかまった。
あー、時間配分まだわかんねーんだよな。
とはいえ、今日はまだ40分以上いつもより早い時間。
このままノロノロと前の車を見ていてもいいが……どうせなら、違うルートを試してみたい気にもなる。
ここから大学までは、川を挟まないのでいくらでも道はあるはず。
だったら、何もここを通らずとも、新たなルートを開拓すればいい。
思い立ってすぐ、斜め左への側道が目に入り、ウィンカーを出して脱出。
ナビを見てもいいが、時間もあるしどうせなら勘で行きたいところ。
あー、久しぶりだな。この感じ。
つか、実家からだとルートを考えるまでもなくほぼ1本になってしまい、そういや試したこともなかった。
ま、そうだよな。
なんつったって、4年毎日通った場所が職場に変わっただけなんだから。
「……あー、楽し」
つい頬が緩み、ぽつりと漏れる。
ギアを変えてから首筋へ手を当てると、知らない道が続いていて案の定笑みが浮かんだ。
「瀬那さん、ちょっといいですか」
OPACのシステム変更のため、業者から届いていた大量のPDFから見たい箇所を探していたら、まるで小学生の手の挙げ方の手本みたいにきっちりした姿勢で、野上さんが目の前へ立った。
あれ、なんかデジャヴ。
だが、今日は昨日と違って面倒な押し付け仕事も一切せず、からかうようなめんどくさいツッコミもなく、ほぼほぼ今まで絡んでこなかった。
ひょっとしなくても、昨日の帰り際のアレが彼女に功を奏したらしい。
お陰で、今日はものすごく仕事が捗ったから、たまには使ってもいいかとさえ思った。
「何?」
「うええ怒ってるんですか? まだ怒ってます?」
「どこをどう見たらそうなるんだよ。悪かったな、目つき悪くて」
「そんなめっそうもない!」
まったく無愛想に答えたつもりはないんだが、野上さんは防衛体制を取ると、中腰になって目の前でバツを作った。
ま、もーちっと絡んでやってもいいけど。別に。
どうせもう閉館間際。
館内に残ってる学生なんて、たかがしれてるだろうし、ヘタしたら今残ってる職員のほうが多いかもしれない。
なにより、今日のぶんの仕事はオールグリーン。週明けもきっと、楽なはずだしな。
「で? 聞きたいことって?」
「あ、そうでした。瀬那さんって今日、ラストまででしたっけ?」
「いや……なんつーか、帰っても暇だし。やること減らないから残業でいいかなと思って」
「んまぁああ! なんですか、その殊勝な心がけは! いったいぜんたいどうしたんです? いつもはとっとと帰りたがる人じゃないですか!」
「まあたまにはね。別にいいじゃん、仕事残ってたし」
「何か悪いものでも食べたんですか?」
「なんで」
「だって、いつもなら喜んで定時で上がるじゃないですか。そんな人が自ら閉館までだなんて……季節外れの台風が起きたら困るので、早めに帰ってください」
「ひでーな」
つか、散々すぎるだろ。
別にいいじゃん。俺がすすんで残業しても。
今週は大学が休みなこともあって17時閉館だったが、今日からは通常の20時閉館。
それを言ってるんだろうが、だったら野上さんこそ帰ればいいのに。
別に、誰も野上さんのこと責めねーだろーし、むしろせっせとまだ入ってきてない新刊のpopを山盛り作られたところでほかにやってほしいことは山ほどある。
だが、誰も彼女には何も言わない。
それどころか、なぜか館長から俺へ『うまく言ってくれないかね』と打診されることもあり、そりゃねーだろと都度気持ちの中でつっこみは入れてるが。
「ま、あと10分だし。先に見回りしてくる」
「そんなに働かなくていいですってば! 私やりますから!」
「あ、そう。じゃよろしく」
「ふえぇえ!? そこはせめて2回聞いてくださいよ! 立場ないじゃないですか!」
「いや、意味わかんねーし。行くつったの野上さんじゃん。よろしく」
「うぅぅ人使い荒いですよぉ」
「言い出しっぺ自分だろ」
立ち上がってすぐ椅子へ座ると、それはそれは悔しそうに彼女が俺を見た。
が、しぶしぶどころか何度もこちらを振り返りながらもエレベーターへ向かっており、一応のやる気はあるらしいと察知。
だからもう、あとは目を合わせずスルーを保つだけ。
もう今日の仕事も終わり。
とっとと帰ろ。
「…………」
「間に合った」
「いや、間に合ってねーよ。貸出返却は10分前までって書いてあんだろ」
ガタン、と時間に似つかわしくない音で入り口を見ると、分厚い専門書を5冊抱えた祐恭が入ってきた。
俺を見た途端ほっとした顔されても、アウトだかんなお前。
がっつり仕事だったのはわかるが、だったらもっと前もって返すとかなんか工夫しろ。
いっそのこと、羽織づてで返せば――あー、無理だな。
今後その手は通用しない。
「ったく。もう電源落とすつもりだったのに」
「悪いな」
「思ってねーだろ。お前、とっとと家に帰りたいとしか聞こえねーぞ」
「わかるなら早くよろしく」
「馬鹿か!」
ち、と大きめに舌打ちしながらバーコードを読み込み、画面を確認。
ってお前、あと2冊も借りてんじゃねーか。
そっちも返却日ぼちぼちなんだから、一緒に持ってくりゃいいものを。
マメなのかマメじゃないのか……って、まぁマメではねーよな。コイツは。
俺とは違う。
「そういや、羽織ちゃんに聞いたよ。お前今、ひとり暮らししてるんだって?」
「ああ。快適だぜ、すげぇやばい」
「なんで今さら考えたんだ? 就職したときしなかったくせに」
「いーだろ別に。たまたま優良物件が手に入ったんだからよ」
そういや、ンな話も昔したな。
学生のころからひとり暮らしをしてきた祐恭の家に何度か泊まったこともあり、就職したらひとり暮らしすると話したこともあった。
が、実際は車やらスーツやら何やらに金を使い、炊事や飯の支度もな……となって収束。
現在に至ることを、コイツは知ってる。
「実家のほうが快適だと思うけどね」
「馬鹿言うな。めちゃくちゃ楽。すげぇ快適。文句なし。とっととすりゃよかった」
読み込み終えた5冊を揃えて返却箱へ戻すと、祐恭は感じ悪く笑った。
いかにもそれが“先輩”的に見え、眉が寄る。
「俺だって、たまに実家帰るとああやっぱり楽でいいなって思うし」
「なんで。めんどくせぇことも多いだろ」
「ま、そのうちわかるよ」
「……ンだよ、知ったクチききやがって」
「いや、実際知ってるから言ってるんだろ」
細かいことは言わないが、その口ぶりがいかにもすぎて小さく舌打ちが出る。
俺には俺でいろいろ事情もある。
それに、新しいことを探すのも嫌いじゃないタチだからこそ、今朝みたいな出会い兼発見はかなり楽しい部類。
改めて、ああ俺は人が好きなんだなと思う。
「あ、優人にはしゃべるなよ」
「なんで?」
「知ったら、アイツ毎日ウチくるだろ」
「楽しそうだな」
「ふざけんな」
人ごとだと思って、これだからお前は。
そういや、コイツの家に行ったとき、優人が入り浸ってることがなくて聞いたら、『家に極力あげない』つってたっけな。
ま、ある意味正解だ。
つっても、実家は優人にとっちゃかなり敷居低いらしく、突然リビングの窓からひょっこりなんてこともざらにあるけど。
……てことは時間の問題か。
さすがに羽織は住所知らねぇだろうが、お袋は恭介さんあたりから聞いてそうな気もする。
優人は、どこを攻めりゃ欲しい情報が得られるかきっちりわかってるからな。
きっちり鍵だけ閉めとくか。
「…………」
「……? ンだよ」
「いや、この間の何かを引きずってるのかなと思って」
「こないだ?」
言ってる意味がわからず、手を止めて祐恭を見ると、意味ありげに笑ってから首を振った。
いや、その顔腹立つからやめろってまじで。
わけわかんねぇ。
「羽織ちゃんに言われたよ。あんなふうに言い合いすることあるんですね、って」
「言い合い? あー、アレか。あんなんしょっちゅうだろ。まあ最近は減ったけど」
「葉月ちゃんに言われなかったか?」
「……ない」
「へえ」
「だから。その顔やめろ」
今週のはじめ、それこそつい先日。
コイツが家まで羽織を送ってきたとき、余計なことを言い出したせいでうっかり言い返す羽目になった。
黙って帰りゃよかったものを、お前が悪いんだからな。
再度発展しそうになるが、大きくため息をついてなかったことにしてやる。
感謝しろ。
「ま、せいぜい謳歌してくれ」
「言われなくともそーするっつの」
「たまには離れてみたら、ありがたみもわかると思うぞ」
「うるせーな。いーから帰れって!」
肩をすくめた祐恭を追い出すようにしながら立ち上がり、『受付終了』の札を立てる。
見ると、閉館時間を6分ほどオーバーしていた。
勘弁してくれよ、今日は新規開拓づくめだって決めてんだからよ。
開きっぱなしだったPDFを閉じ、未だ戻ってこない野上さんの代わりに下の階から回るべく階段へ向かう。
あの人、階段上るのが嫌でエレベーターで最上階からしか見ないからな。
ヘタしたら、まだ一番上で時間潰してそうだ。
ほぼほぼどころか、階段を上がりきったところですれ違った学生が最後だったらしく、誰も残っていない3階フロアが目に入り、忘れ物もゼロでよろしくと続けて祈っていた。
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