「え、すっげぇ楽しそう」
「だろ? そーなんだよ、すげぇ楽しいよ。つか、釣った魚買い取ってくれるとか、なかなかないじゃん?」
 所変わって、タバコの煙で室内がやや曇りがちになっているここは、まさに大衆居酒屋。
 チェーンではなく個人営業だが、常連客だけでなく、様々な人種があふれている。
 ひとりってことで案内されたカウンターには、先客が数名。
 そのうちのひとり、店長と楽しげに釣りの話で盛り上がってた彼へあいずちを打つと、早速話へ混ぜられた。
「道具なくても手ぶらで全部貸してくれるし、餌の付け方から何から全部教えてくれるからさー、小さい子どもも楽しいと思う」
「へえ、いいっすね。最後に釣り船乗ったのとか、ちょっと覚えてない」
「まじで! 行ってみおもしれーから。あ、つか行く? 一緒に。おもしれぇ船長いるんだよ、すっげぇ面倒見のいい人!」
 俺とは違う銘柄のタバコに火をつけた彼は、からからといかにも面倒見よさそうに笑った。
 恭介さんに似てるといえば似てるし、タイプが違うといえばそう。
 だが初対面にもかかわらずこんだけ自分のことオープンに話してくれるところが、若干自分にも似ていて親近感を勝手に抱く。
「なあ、やっさんも行こうって。一度やってみ? 釣りたてのアジとかイカとか、すっげぇうまいよ?」
「そーでしょーけど俺、休み平日しかないもん。センセは平日いないでしょ?」
「厳しい」
「だよね。となるとほら、土日ってわけにも……あ、昼間か。昼ならいいよ。行ける」
「まじで? え、じゃあ行こうぜ。いつがいい? いつ空いてる?」
「いや、だからいっつも思うけどさ、フットワーク軽すぎだから」
「よく言われる」
 酒が入ってるのもあるだろうが、それはそれは楽しそうに笑うさまを見ていると、こっちまでつられた。
 昨日目星をつけた店だったが、話を聞いてる限りじゃ彼は週に何度か来ているらしい。
 まあ確かに、こうして誰かと食う飯はうまいよな。
 家にいたときも友人らとしょっちゅう飯やら酒やら飲み食いしたが、ひとり暮らししてたった1日しか経ってないにもかかわらず、誰かと食う飯がうまいと感じたあたりどーなんだとは思うけどな。
 楽しいんだぜ、ひとりももちろん。
 こんなふうに、いつもからはありえない出会いもあるし、うまい店も見つかるし。
 だけど、もしかしたら無意識のうちに出会いを求めて外へ出ていたのかもな、とも思った。
「でもほら、ひとり暮らしヒマだぜ? 平日はいっぱいいっぱいだけどさ、休みになるとダメ人間って言われたことあるもん。俺」
「まじすか」
「うん。平日はそれこそ21時過ぎまで残ってることあるし、出勤時間前から家出ることも全然苦じゃないけどさ、休みになるとなー。反動っつーか、ほんっとなんにもしないで終わる日ある」
 タバコを持ったまま遠い目をしたものの、表情は明るい。
 ブラックというよりは、好んでやっているように見えて、そのあたりもああ自分と似てるなと思った。
「忙しいんすか? 仕事」
「この人、先生なんだよ。小学校の先生」
「まじで! どうりでコミュ力ハンパねぇと思った」
「あーよく言われる。でもさ、俺も同じこと思ったんだよ。仕事何してんの?」
「司書っす。大学図書館の司書」
「え、司書!? 図書館の先生じゃん!」
「あはは。学校に勤務したらそうっすね」
 さらりと店長が教えてくれた事実で、ものすごく納得した。
 こう、人をほっとかないというか、うまく巻き込むというか、そういうところはまさに教員。
 なかでも、小学校教諭と聞いてああなるほど、と思う。
 小学校の先生って、子どもの成長を喜ぶっつーか、ほんと、基礎を培うってのがあるからか、面倒見のいい人が多い。
 彼は典型なんだろうな。
 それこそ、高学年向きのばりばり指導もできちゃうタイプと見た。
「大学ってどこの大学?」
「七ヶ瀬」
「まじ!? 俺の母校じゃん!」
「え! 七ヶ瀬なんすか?」
「そーだよ、すげぇ懐かしい。てか七ヶ瀬の司書か! いや、縁だなー!」
「いや、それ以前に先輩っすよ。俺も七ヶ瀬っすもん」
「えぇ!? まじかよ、後輩!? あははは!! すっげぇ!」
 世間は狭いとよく言うが、まさかこんなところで同窓生と会うとは思わなかった。
 どうやら彼も同じことを思ったらしく、『まじかよ』を連呼したあと、店長へ生中ジョッキをふたつ追加した。
「何歳ですか?」
「30ちょうど。いくつ?」
「24」
「てことは、カブってはねぇんだな。いや、でもすっげぇ。っへー! ナイス出会い!」
「あははは」
 握手を求められ、当たり前のように手を出すと、がっちり掴まれた。
 だいぶ酔っ払ってはいるが、もしかしなくても、素もこんな感じの人なんじゃねーかな。
 そういうとこも、俺と似てるかもしれない。
「まあ飲め後輩! あ、今さらだけど名前は? ……っと、今年はとりあえず異動ないから。これ。初対面ですげぇテンションで突然釣り誘われたら怪しいだろうから、渡しとく」
「あざす。けど、同窓生って時点でだいぶ信用しますよ」
「まじかよ、なんだよいいヤツだなー」
 中ジョッキのひとつを渡してくれたあと、彼が財布から取り出したのは、名刺だった。
 そこには、冬瀬市立北小学校 児童指導担当教諭と記載されている。
「鷹塚って珍しい苗字っすね」
「そーだな。テストのときすげぇ大変だったよ。最初から時間取られる」
「苗字あるあるっすね」
 果たして財布に予備を入れてたかは定かじゃないが、探ってみると残り1枚名刺が入っていた。
 デザイン案を兼ねて半年前に作ったもので、少しだけよれっとしているが、個人的には気に入ってる柄。
「よろしく、先輩」
「おー、よろしくされるわ。あはは……ん、瀬那?」
「珍しい苗字つながり、すかね」
「それもそうなんだけどさ、瀬那ってどっかで見たな」
「まじすか」
「うん。どこだろ。どっかで見たんだよなぁ……あー……ちっと待て。思い出せねぇけど」
「そりゃセンセ飲み過ぎだって」
「だよなー。テンション上がってつい、いつもよりだいぶ飲んでる」
 名刺を中指と人差し指で挟んだまま、店長につっこまれて彼はからからと笑った。
 鷹塚壮士。
 なるほど、まさに名は体。
 人のいい“壮士”そのもので、ある意味すげぇなと感心もした。
「瀬那君、孝之君、たかちゃん、たっくん? どれがいい?」
「さらっと愛称出るとこ、さすが」
「まあ呼び捨ては追々するとして、最初はこんなとこでどーよ」
「あはは」
 指折りながら並べられたいくつもの愛称に、ビールを煽りながら笑う。
 正直どれでもいいし、瀬那と呼び捨てされてもそれはそれでと思った。
 だが、次の瞬間。
 彼は『あ』と大きな声を上げると、今朝、モーニングを運んできた彼女と同じくいい音でパチンと指を弾いた。

「たーくんは?」

「ッ……」
 まさかの愛称に、ぎくりと身体が反応する。
 『なんて呼んだらいい?』と聞かれたことは、これまでも男女問わずあった。
 だが、大抵は彼が先に挙げたものだけで、その呼び方は出なかった。
 だから、俺にとってそう呼ぶのはアイツしかいなくて、もしどこかでその呼び名を聞いたら、反射的に思い出していただろう。
 小さいころから俺のことをそう呼び、あとを追い、いつだって嬉しそうに笑っていたアイツを。
「いや……っえ?」
「悪い。えぐったろ」
 パシンと肩に手を置かれたかと思いきや、今の今までとはまったく違う顔で『すまん』とさらに彼が続けた。
 別に傷ついたわけじゃないが、もしかしたら顔に出たか。
 そういう機微を見逃さないとこは、いかにも小学校の先生だなと感心する。
「いや、そーゆーんじゃないんすけど。昔からそーやって俺のこと呼ぶやつがいて」
「へーぇ。かわいいんだ?」
「っ……なんで女ってわかるんすか」
「そんなかわいい呼び方、男はしねーだろ」
 新しいタバコへ火をつけながら、彼はニヤニヤと笑った。
 かわいい、ね。
 そういや、ハタからアイツを見たことはこれまでなかった。
 客観的に見たらどうなんだろうな。
 俺にはよくわからない。
「まあ元気出せって。出会いは突然やってくるもんだぞ。今日みてーに。な!」
「あれ、なんで俺励まされてんだろ」
「あははは! まあ飲め!」
 何度目かのセリフを聞きながら互いに笑い、同じく何度目かの乾杯をすると、カウンター越しに店長が『似た者同士じゃん』と同じく笑った。
「よし。やっぱ名前呼び捨てにしよーぜ。俺のことも呼び捨てでいいよ。許す」
「まじで。先輩なのに」
「いーって。俺さ、そーゆーの苦手なんだよ。つか、『さん』付けってなんか距離あんじゃん。タメ口でいい。そのほうが楽だろ」
「そりゃまあ。じゃあ壮士、連絡先交換しよーぜ」
「あはははは!! 変わりすぎだろ!!」
「いや、だって今いいっつったじゃん!!」
「言ったけどせめて躊躇しろよ!!」
「ぶは! ンだよそれ、どっちだよ!!」
 スマフォを取り出すと、同じように彼もまた背中をバシバシ叩きながら笑った。
 『やばい、久しぶりに腹いてぇ』と涙を浮かべながら笑うのを見ながら、ああそういやこんだけ笑ったのも久しぶりだなと気付く。
 メッセージアプリを立ち上げ、なぜか知らないが『全力で振れ』と言われたことで勝負に発展し、店長を含めた3人のグループが新設。
 ほかのグループでは設定してなかった、まさかのその場で撮った3人の酔っ払い写真が使われ、それもそれで爆笑を誘った。
「あー笑った。んじゃ明日、8時半にここ集合な」
「まじで。俺はいーけど、やっさん今日何時まで店開けてんの?」
「えー俺1時まで仕事。そっから片付けたら、寝るの3時近くじゃん。起きれないって」
「しょーがねーな。じゃあ俺が迎えにきてやんよ。ただし後部座席乗り心地保証しねーよ?」
「げー吐いちゃうかも」
「あー平気平気。酔いやすい子どもの扱いは慣れてんから」
「全然喜べねぇ」
「あははは」
 気づけばすでに0時過ぎ。
 もともと店に来たのが遅かったのもあるが、かなりの時間が経っていたことに素で驚いた。
 ま、それは二の次な。
 なんつったって、初対面でこんだけ話したうえに、まさか翌日遊び行くとかさすがに俺も初体験だから、そっちのほうがよっぽど印象強い。
「あ、明日から3連休か。じゃあいつでもいいじゃん。俺全部空いてるけど」
「連休? あー、成人の日か。え、成人式のあとって飲み会誘われねーの? こんだけテンション高かったら、教え子から声かかんねぇ?」
 ジョッキを呷ったのを見て声をかけると、しばらく考えた素振りをしてからからから笑った。
 成人式といえば、同窓会ってのが鉄板。
 うちの親父は何かと呼ばれてたような気もしてのことだが、彼は笑って首を振る。
「もーちっとだな。あと2年か。そしたら、初代教え子が成人だ」
「へえ。そしたら飲めんじゃん」
「だな。あー、すっげぇ。教え子と飲める日が来るとか、センセイ冥利に尽きる」
 きっと、彼には当時の教え子連中が見えているんだろう。
 酔っているだろうに、それはそれは先生っぽい顔つきで笑うと、『すげぇ楽しみ』とジョッキを手にした。
「明日と明後日としあさって、どれがいい?」
「あー、しあさっては仕事」
「まじで。祝日に働くとか、殊勝だな」
「いや、県のシンポジウムなんだよ。地域との連携ってやつで」
「今の流行りだな。連携って言葉」
 そう。祝日は普段なら間違いなく休みなのに、俺だけ出勤になった。
 まあ、ある意味楽しみでもあるからいいんだけど。
 シンポジウムといっても規模はさほど大きくなく、各図書館から来るであろう司書連中と数人会えるはず。
 ……となるとそのあと飲み会か。
 つっても、さすがに火曜はみんな通常勤務だろうから、遅くなんねーだろーけど。
 ふと数人思い浮かべていたら、ジョッキを空けた彼を見て、やっさんがコンコンとカウンターを叩いた。
「あのさー、もうほかにお客さんいないし。いっそふたりも片付け手伝ってくれたら、俺とっとと帰れるんだけど」
「んだよ、早く言えってそれ。っし、撤収撤収」
「うわ、すっげぇ先生っぽい」
「だって先生だもん」
 確かに、店内を見てみるとテレビがサッカーの試合を流しているだけで、俺たち以外に客の姿はなかった。
 すげぇ、全然気づかなかった。
 まあ、あんだけ騒いでたらうるせーだろーよ。
 って、この店が1時までだと知ってる連中なら、早々に帰ってもおかしくはないか。
「で? たーくんはいつ振られたわけ?」
「いや、フラれてねーから。つか人の傷えぐんないでくれる?」
「やっぱ傷なんじゃねーか。ちょ、詳しく聞かせてみ? センセーが答えてやるから」
「いやいいし。それよかグラス片して。俺あっちのテーブル片すから」
「んだよ俺に指示飛ばしちゃう? やっさん、こいつバイトで雇えよ。おもしれーぞ」
「副業おっけーなんだっけ?」
「いや、やっさんそこガチで答えちゃダメなとこ」
「あ、そっか」
「あははは!」
「素直か!」
 椅子から立ち上がった際フラついたが、それは彼も同じらしく、『あー飲み過ぎた』と言いながらテーブルへ手をついた。
 だが、こんな時間にもかかわらず笑い声は響き、フラついた足取りながらも片付け完了。
 つか、客なのに片付けるってどーなんだ。
 とか思ってたら、まさかの2割引清算をしてくれ、改めて器がデカイ人の繋がりはそういう方向へ繋がってくんだなと感じた。
「孝之お前、明日絶対こいよ。社交辞令じゃねーからな」
「いや、それは俺のセリフ。呑んで覚えてねーとか最悪だから」
「平気だって。記憶なくしたことねーから安心しとけ!」
「はいはい、ふたりともお疲れさん。とりあえず轢かれないように帰って」
 ひとりだけシラフのやっさんが、店のシャッターを下ろす。
 どうやら家の方向は真逆らしく、彼らは揃って反対側へと足を向けた。
「あー笑った。んじゃ、お疲れ」
「明日8時半だかんな! 遅れずに来いよ!」
「わーったっつの!」
 かなり離れた距離から声をかけられ、小さく噴き出す。
 どんだけだよ。構ってちゃんか何かか。
 そうは思うが、きっと俺も同レベル。
 こういうところを誰かに見られたら……いや、アイツならきっと苦笑して終わりなんだろうな、といつにも増して想像ついた。

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