「マジか」
あのコーヒー飲めば、確実にリセットできるしそうしたいと期待したにもかかわらず、やや車を飛ばしてあの店へ向かうと火曜が定休とわかり、再びくじかれた。
もともと、この店をアテにしたのと昨日久し振りに苦しくなるほど食ったこともあり、朝飯を買わなかった。
おかげで、二度手間三度手間につながって、勝手に期待したクセに思い通りにならず舌打ちが出る。
仕方なく駐車場で転回して道へ戻り、突き当たりの国道へ。
だが、そこへ出るまでがそもそも渋滞しており、前の車のテールランプを見ながら大きめのため息が漏れる。
「…………」
つか、こっちの信号変わんのはえーだろ。
側道だから仕方ないとは思うが、国道の進み具合に対してこちらが遅々として進まず、イライラが募る。
あー。こんな混むのか、この道。
信号が変わり、国道自体が流れ始めるも、どの車もスピードはゆるめで混雑状況がありありと伝わってくる。
ただでさえ混む道なのに、今日は雨。
ダメだ。時間が掴めねぇ。
実家から大学までも、雨の日は当然混雑する。
だが、それを見越して出る時間は変えており、ストレスはほぼなかった。
一方、こっちはな……正直、普段のときでさえちょうどいい時間はまだ掴めておらず、雨の日はなおさら。
ギアに手を置いたまま時計を見ると、明らかにコンビニへ寄ってる時間はなさそうで、またため息が漏れる。
昨日とは、まるで違ういかにもな“日常”にぶちこまれ、やる気も何もかもがマイナスまで引っ張られたような気がした。
「瀬那君、ちょっと痩せた?」
「え?」
やっと再開した学食での安定的なランチ。
ミックスフライ定食を注文し、水ではなく温かい緑茶を湯呑みへ注いで受け取りを待ってると、顔なじみのおばちゃんが眉を寄せた。
「いや……ってまあ、体重はかってないんでわかんないっすけど」
「ちゃんと食べてる? それとも、お仕事忙しいの?」
「いや、最近はそんなでも。まあ、ぼちぼち定期試験なんで学生対応は多いすけど、でも別に……え、具合悪そうとか?」
「そうねー、顔色はあんまりよくないかもね。いつもみたいな元気さもないし。何か嫌なことでもあった?」
「嫌なことは……まあ割と。でも、連休はストレス発散しましたよ」
「それならいいんだけど、若いからって無理しちゃだめよ? たまには好きなことして、リフレッシュしてね。はい、ご飯大盛りにしとくから!」
「あはは。あざっす」
ぼーっとしてた、ってのはある。
てのは、昨日の夜の出来事がある意味お伽話かのように非日常的で、勝手に対比してるせいもあるだろう。
連休だったが、ぶっちゃけ休めてはない。
そのせいか午前中はやたら欠伸が出て、俺に気遣い週間が続いているらしき野上さんには何度か柔らかめに注意された。
「…………」
とはいえ、顔色がとか言われても自分ではさっぱり。
無自覚だし、まあ疲れてはいる気もするが、それは間違いなく今朝のストレスのせいだろうしな。
とはいえ、気遣われる言葉が思った以上に沁みたからこそ、ああ自分は疲れてるんだなと思った。
あと1日。
今日さえクリアすれば、明日は休み。
だが――食料品もなければ、また洗濯をしなきゃいけない。
休みなのに、だからこそねばならないことも同時にあって、またため息が漏れる。
朝ごはんだけでなく、夕食も自分で用意しないといけない。
何か起きたとき、すべて自分ひとりでどうにかしなきゃいけない。
そして、予想に反したことが起きたとき、愚痴る相手がいない。
……どれもこれも、些細なことなのに積み重なると案外パンチあるもんなんだな。
飲み慣れているのに、違うと感じる緑茶。
温かいから違うとか、そういうレベルじゃない。
甘みより先に渋みがくるのが、違うと思う。
……昨日飲んだ緑茶は、うまかった。
温度もそうなら、味も、濃さもパーフェクト。
人間、慣れってのは大事なうえに貴重なもんなんだな、と改めて思う。
「…………」
メンチカツのあと、メシに続いて味噌汁をひとくち。
一通り食ったものの、箸が止まった。
初めてじゃない。
一昨日の夜に続いて、二度目。
違う、って思うんだよ。なんでか。
付け合わせにある、キャベツの千切りとポテトサラダも、この間自分が買った惣菜と同じ色合いで普段とは異なり最初に箸を付けられなかった。
メニュー的には好物な部類に入るし、普段ならまったく躊躇なく口にする。
だが、ここ数日……いや1週間近くで食べたメニューのほぼすべてが、同じ後味にしか感じなくて『味気ない』を実感した。
手作りだからなのか、それとも環境が違うからなのかはわからないが、実家で当たり前のように食っていたころのメニューばかりをつい選んでいたにもかかわらず、味が違いすぎて『あれ?』って思ってるんだろうな。きっと。
「はー……」
昨日の夜は……って、こればっかだ。
どうしたって比べるのは、久しぶりに食べた“手料理”ならではの味。
手料理には愛情がかけられている分うまく感じるとはよく聞くが、あながち嘘じゃないんだろうよ。
学食の飯もうまいし、普段ならきっと当たり前のように食ってたはず。
だがそれは、朝と夜で味覚がリセットされるから、なんだろう。
“飽きた”と思わない程度に既製品から離れている、当たり前じゃない日常のおかげ。
「…………」
もともと、食い物は残さないタチ。
どんなに自分の予想に反したものであっても、手をつけた以上は食うを貫いてきた。
インスタントの味噌汁とは違い、ちゃんとだしの味はする。
それでも、頭なのか身体なのかわからないが、『違う』と判断もする。
昨日の今日であまりにも違う日常に差を感じているのか、それとも当たり前に毎日食ってたあの味が食べたくなってるのか、単にありふれた定番メニューに飽きたのかはわからないが、飯粒ひとつ取ってみても、どこかしらでやっぱり実家のと比べてるんだろうな。
昨日の夜だってそうだった。
味付けは好きだし、うまかった。
それでも、どこかしらで……アイツの作った同じメニューと重ねて考えていた部分がある。
アイツの飯はうまいと思ったし、けどどこかでアレが当たり前だった。
口をきかないどころか顔を合わせなくなった週でさえ、葉月は当たり前のように俺のために朝飯を用意してくれていた。
些細な味の違いで、お袋と葉月のどっちが作ったメシなのかわかるようにもなった。
好き勝手やれて、誰にも文句言われず過ごせる今の生活は、楽しいと思っちゃいる。
一方で、つい実家での当たり前の生活と比べる自分もいる。
あーあ。最悪。
気づかないよう蓋し続けてたのに、結局自分でひっぺがしてんじゃねーか。
やらなくてもいいと割り切ればいいのに、買い物や洗濯を含めた日常が、ほんの少しだけめんどくせぇと思ってしまった。
そう思い始めたあたりから、モチベーションが下がり始めたってのに。
「…………」
とっとと食って戻らねーと、午後に支障が出る。
金曜、溜まってた仕事のすべてをやり終えたと余裕だったのは、ほぼ一瞬。
当たり前だが週明けには新たな仕事が追加され、終わりはない。
まだまだ8割残っているランチを見ながら、また小さくため息をついていた。
「あー……疲れた」
まだ週は始まったばかりどころか、通常勤務をたった1日こなしただけなのに、疲労感が半端なかった。
朝からリズムが崩れたせいで、余計に疲れているのはあるだろうな。
新しいことは好きだが、自分なりに咀嚼して慣れに変えるまでの間は、思ったよりも負担になるらしい。
家に帰っても結局することがないという理由から閉館作業までしたが、昼間詰め込むように食べたせいでか殆ど腹が減らず、結局買い物せずに帰ってきた。
スーツから着替え、久しぶりに湯船を張るべくキッチンにあるパネル前へ。
そのとき、横着しないでキッチンの明かりをつければよかったのに、しなかった。
たった少しの手間を惜しんだせいで、痛い目にあうってわかってたら間違いなくやっただろうにな。
「ッてぇ……!!」
リビングとキッチンを隔てるドア枠へ、足の小指が引っかかった。
激痛が走り、久しぶりにデカい声が出る。
たまらず壁へもたれ、箇所を見る……あーまじか。
わずかばかり爪が欠け、血が滲んでいた。
みるみる粒が膨れ、垂れそうになったのを見て慌ててティッシュを手にする。
が、咄嗟にこの家にないモノを思い浮かべ、気持ちがたちまち萎えた。
絆創膏なんて、あるわけねーじゃん。
俺が買ってねーし、何よりこんな想像できなかった。
「……くっそ……」
ほんの小さな傷なのに、全身へ伝うから厄介だ。
湯張りのスイッチを乱暴に入れ、リビングへ戻るもソファに辿りつけず、壁際へ腰を下ろす。
生活が成り立つってのは、毎日毎日のちょっとした積み重ねの連続なんだろうな。
必要なものが何かなんて、最初の時点じゃわからない。
そのときになってわかるとか、経験値少なすぎだろ。
『だから言ったろ、実家のほうが楽だって』
瞬間的に、勝ち誇ったような祐恭の顔が浮かび、ジンジンと伝わってくる痛みとともにイラッとして舌打ちが出た。
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