「暮らしやすい場所だね」
「そーか?」
「うん。ほら、おいしそうなケーキ屋さんまであるよ?」
「……あー」
スーパーからの帰り道、先日はそれこそ3回も往復したにもかかわらず、俺はケーキ屋に気づかなかった。
通りに面しているわけではなく、路地一本入った場所。
だが、もしかしなくても視野はかなり狭まっていたんだろう。
車を出してもよかったが、天気がよかったこともあってか葉月は歩くことを選んだ。
大した量を買ってはないが、荷物はそこそこ。
それでも、レジ袋ではなくどこに持っていたのか見慣れたエコバッグを取り出したのを見て、ああやっぱコイツはマメなんだなと感心した。
「……あ? なんだよ」
「ふふ、なんだかたーくんの部屋みたいなんだもん」
「俺の部屋? まあ、ある意味間違いじゃねーだろ」
「そうなんだけど……なんていうのかな。家具も何もかも違うのに、ちょっとだけそう思ったの」
玄関の鍵を開けると、見慣れた“我が家”の廊下が伸びる。
奥の部屋の窓からは白い日差しが見え、晴れの日の日中はこれだけ明るい部屋なんだと初めて知った。
俺の部屋、ね。
買ってきた食材を冷蔵庫へしまう葉月を見ながら、同じく買ってきたばかりの冷茶のペットボトルを手にする。
朝食と昼を兼ねたメシは、パスタに落ち着いた。
ホントなら、正直昨日のように飯粒が食いたいところだが、今後も炊飯はしない。確実に。
そう思ったので、少量のパスタを選んだ。
味付けは任せることにし、支度を始めたのを見ながら……向かうのは洗面所。
出る前に洗濯をかけたお陰で、すでに乾燥まで終了済み。
「あ?」
中から洗濯物を取り出すも、そこには前回シワにまみれたワイシャツ類がない。
「どうしたの?」
「ワイシャツは?」
そういや、洗濯機を回したのは俺じゃなかった。
扉を開いたまま葉月を見ると、苦笑してからなぜかベランダを指さす。
「ワイシャツは、濡れたまま干すときれいにシワが伸びるんだよ」
「まじで?」
「だから、先に手洗いしたの。たーくんが持ってるの、形状記憶が多いでしょう? それは、あまり脱水しないで干してあげたほうがきれいに乾くの」
「へえ。知らなかった」
つか、お前はなんでンなこと知ってんだよ。
へたしたらお袋でさえ知らなさそうな家事知識で、素直に驚く。
「あ、置いておいてくれたら、私畳むよ?」
「いや、お前メシ作ってくれんだろ? やれるしやっとく。それに、きっちり畳まねーし」
「もう。せっかくきれいになったんだから、畳んだらいいのに」
「いいんだよ。俺流」
前回同様、乾いた洗濯物をソファへ放るも、声が飛んできたので仕方なくひとつずつ畳むことにする。
そのとき、反射的につけたテレビでは、奇しくも湯河原の特集が流れていて、結局手がおろそかになったのは言うまでもない。
「はい、どうぞ」
「あー……スープ飲みたかったんだよ」
「ふふ。よかった」
きのこと鶏肉ががっつり入った和風ベースのパスタに、じゃがいものポタージュ。
帰ってきてさほど時間が経ってないにもかかわらず目の前へ並んだメニューを見て、昨日何度も恭介さんが口にしていた『よくできた娘』を反芻する。
「いただきます」
「…………」
「たーくん?」
「お前さ、ひとりでメシ食うときもそーやって言うか? いただきます、って」
「言うけれど……どうして?」
「いや、単純な疑問」
両手でフォークを持った葉月が、当たり前のように口にした言葉。
……てことは、ひとりだからとかそうじゃないとかって問題じゃねぇのか。
習慣化されてるかどうか、とか?
俺の場合は、単純に“誰か”に向かって言う言葉だと認識されてるせいだろう。
作ってくれた相手に伝えるためのもの、って考えてるんだろうな。
「いただきます」
「めしあがれ」
フォークをパスタへ刺し、葉月を見てから口にすると、少しだけくすぐったそうに笑ってからうなずいた。
今まですごしてきた当たり前の日常は、当たり前じゃないってのがよくわかった。
多めに巻いたパスタを口へ運ぶと、予想よりも洋風ベースの味がして、素直にうまいと思う。
「うまい」
「よかった。調味料が少ないから、もっと単純な味になっちゃうかなって思ったんだけれど、ちゃんと具材からダシが出てるね」
「……そーゆーもん?」
「でしょう? どんな材料からもダシが出るから、組み合わせによって味が変わるの」
「へー」
結局、こっちでは自炊をしていない。
これでも料理はするし、自分が食う分程度はどうにかできる。
が、それはきっと材料も調味料も鍋類もなにもかも揃っている、実家ならではなんだろうな。
結局、あっちでも食うだけ食ったあとの片付けはしないことのほうが多かったし。
それが甘えってのもわかってるし、無責任ってもわかる。
こっちで自炊しなかったのは、最後まで自分のことを面倒みるまで腹括ってないだけ。
「お前、料理うまいよな」
「え……そうかな?」
「ああ。うまい」
「ふふ、そんなふうに言ってもらえたら嬉しいな。どうしたの? なんだか、たーくんらしくないみたい」
「失礼だぞ。褒めてやってんだから、ちったぁ喜べ」
「喜んでるよ? ただ、ちょっとだけ驚いたの」
「それが失礼だっつってんだよ。……ったく」
眉を寄せるも、葉月はくすくす笑って首を横に振るだけ。
俺が当たり前に褒めてやってんだから、ふつーに受け取れよ。
恥ずかしいだろ、ンなふうに言われたら。
「少しならお代わりもあるよ?」
「マジで。食う」
俺とはひとくちの量が違うのか、葉月の皿のパスタはほとんど減ってなかった。
残り1/4程度になった俺の皿を持ち、立ち上がってキッチンへ。
すぐに戻ってきたものの、小盛り程度に復活した皿――ではなく、スカートの裾を丁寧に扱いながら座り直した、葉月へと視線が向かう。
「え?」
「まつげ、付いてる」
理由を告げず顔へ手を伸ばすと、きょとんとした顔でまばたいた。
右目の少し下。
反射的に葉月が手を伸ばすが、検討違いの場所に触れる。
「どこ?」
「取ってやるから、目ぇつぶれ」
素直に目を閉じたのを見ながら、ふと……目的のモノではない場所へ意識が向く。
閉じたまぶたには、うっすらと施されたシャドウが光をまとう。
長いまつ毛。
柔らかそうな唇。
いかにもってくらい“キス待ち”に見える顔を見ながら、頬から顎へ指が伝う。
素直に従うとか、どんだけ俺のこと信頼してんだよ。
あーくそ。お前、かわいいじゃん。
見た目だけじゃない、声だけじゃない。
反応も、性格も、態度も……何もかもがそうらしいと気づいて、ああそういやこんなふうに思うのも久しぶりだなと感じた。
ヤるのが目的で、大事なのは身体の相性としか思ってなかったのに。
連れて歩き、話し、時間を共有することが、案外楽しいらしいと気づいて、何気ない時間も大事なんだとわかった。
「…………」
このままキスしたら、どんな顔すんだ。
それはそれで見てみたい気もするが、今したら先の展開が考えずとも読めるから、やめといてやる。
「……たーくん?」
「取れた」
「ん、ありがとう」
葉月が瞳を開いたのと同時に手を離し、パスタへ向き直る。
あーあ。もういいや。
昨日、恭介さんに言われた……つーか、どうやらハナから見透かされてたっぽいし、もう終わりでもいいだろ。
「帰る」
「え?」
「満足した。もういい、帰るわ」
くるくるとフォークへ巻きつくパスタを見たままつぶやき、がっつり頬張る。
すると、何も言わず葉月がフォークを置いた。
「じゃあ、お掃除しよう?」
「は? どこを」
「このお部屋、全部。次に使う人のために、ちょっとだけきれいにしよう?」
いいこと考えた、と言う代わりに両手を合わせ、にっこり笑う。
いや、お前……掃除ってマジで。今から? やんの?
もともと、そーゆーマメな行為を得意じゃない俺が好んでやるわけねーのに、よくもまぁそんな提案すんなお前。
目を細めてため息をつき、パスタへ。
だが、葉月は顔を覗き込むように首をかしげ、小さく笑った。
「ね? 一緒にやろう?」
「…………」
聞こえたのは、それこそまだ1ヶ月も経ってない、年末の大晦日にも聞いたセリフ。
寒空の下、窓拭きをやらない方向へ持ってこうとしたのに、お前はさらりと変えさせた。
「お前、俺を動かすのうますぎだ」
「え?」
「なんでもない。わーったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」
ため息混じりに答えたものの、うまく乗せられてる自分自身がおかしくて笑いが出る。
あーあ、っとに参った。
祐恭が見たら、指差して笑うだろうな。
「うまかった。ごっさん」
「よかった。あ、ちょっとだけ待っててね。食べちゃうから」
「ゆっくり食っていーぞ。それまでやんねぇで待ってるから」
「もう。先に始めてもいいんだよ?」
「一緒にやるつったのお前だろ」
悪いが、ンな殊勝な神経の持ち主じゃない。
皿を手にキッチンへ向かい肩をすくめると、相変わらず俺のことをよくわかってるらしく、葉月が苦く笑った。
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