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「もう、たーくん! どうしてペットボトルが燃えるゴミの袋に入ってるの?」 「なんでって言われても」
 「それに、紙パックも……! もう! 分別しなきゃ持っていってくれないんだよ?」
 「いや、持ってってくれてんじゃん。下になかったろ? 1個も」
 「そっ……あのね。そういう問題じゃないでしょう? 資源ごみは資源ごみでわけておかないと、リサイクルにならないんだよ?」
 「そりゃわかるけど、しょーがねーじゃん。めんどくせぇ」
 「たーくん!」
 「あー、掃除掃除」
 これ以上あーだこーだ言ったら、本気で怒りそうだからやめとくのが吉と見た。
 てか、実家でも分別しない俺がひとり暮らししたからってするわけねーじゃん。
 ペットボトルも捻り潰せば小さくなるし、紙パックも同様。
 だいたい、『燃えるゴミ』なんだからよくね?
 「はー、疲れた」
 少ないながらも持ってきた荷物と本をまとめ、仕方なく棚を雑巾で拭いていると、葉月がベランダへ向かった。
 手には浴槽の蓋。
 ……何する気だアイツ。
 「終わった?」
 「まあ」
 「じゃあ、大丈夫だね」
 「何が?」
 「え? 終わったんでしょう?」
 「そりゃ終わったけど……全部か?」
 「うん。あとは乾かすだけだから……えっと、ほかにまだ何か残ってる?」
 はー。
 分担というほどじゃないが、俺は基本この部屋から出てない。
 炊事はしなかったからキッチンもほとんど汚れてはなかったが、葉月はシンクを洗ったあと風呂場で何かしてたのは知ってる。
 が、まさかもうそっち方面全部終わったとは。
 俺が取り掛かるよか早いのは、やり方を知ってるからなのか手早いからなのかどっちだ。
 ……考えるよりも早いだろうが。
 「ねえ、たーくん。お惣菜やお弁当の容器あるでしょう? あの透明のフタって、何ゴミか知ってる?」
 「燃えるゴミ」
 「レシートは?」
 「それこそ燃えるゴミじゃん」
 「じゃあ、空きカンは?」
 「あれはさすがに燃えねぇだろ」
 ソファではなく、すぐそこの床へ腰を下ろしながら、葉月がタオルへ手を伸ばす。
 あー、それさっき畳もうと思ってやめたやつな。
 よくね? どーせバッグに入れて持って帰ンだし。
 「もう……なんのためにゴミのカレンダーがあると思うの?」
 「そりゃ、種類ごとに収集するためだろ」
 「じゃあ、そんなに燃えるゴミは多くないはずだよね?」
 「……お前マメだな」
 「そうじゃないでしょう?」
 そういや、この部屋へきた初日はスーツだったな。
 どーやって持って帰ろうかと思ったが、単純に着て帰ればいいのか。
 つか、目の前で適当に畳んでバッグへ突っ込んだら、さすがの葉月も本気で怒りそうな気がした。
 「はい、忘れ物しないようにしてね」
 「おー、さんきゅ」
 タオルと一緒に渡されたのは、ジャージとスウェット。
 シワがどうのなんて気にする必要のない服にもかかわらず、葉月はひとつひとつきちんと手をつけた。
 それこそ、ちょっと前の“当たり前”に、受け取りながらまじまじと視線が向かう。
 「お前、いつも俺らのために時間犠牲にしてたのな」
 「え?」
 「自分のことする時間、なかったろ」
 手間をかける人間がひとり減ったからといって、単純に比例して時間が減るわけじゃないだろうが、それでも少しは違ったならそれでいい。
 料理にしろ、洗濯にしろ、掃除にしろ。
 単純計算にはならないだろうが、それでも、俺がいなかったことで平日と同じ時間に土曜の朝食を用意しなくてよかったはず。
 葉月がこっちへ来た理由は、大学の手続きをするためと、春からの生活を整えるため。
 もうひとつ、恭介さんがしたがっていたことを俺は教えてもらったが、葉月がどこまでそれを知っているかはわからない。
 だが、葉月は不思議そうにまばたくと、いつもみたいに小さく笑った。
 「そんなことないよ。好きな時間だから」
 「好き? 家事が?」
 「んー、家事も好きだけれど……たーくん、いつも感謝してくれるでしょう? ありがとう、って」
 「……俺が?」
 「うん」
 そう言われても、正直記憶にない。
 いちいち口にしてる気がせず、葉月の超前向きな思考ゆえじゃないのかと一瞬訝る。
 「当たり前に思ってくれていいのに、何をしてもたーくんは感謝してくれたじゃない。お昼だってそう。ごちそうさまって、おいしかったって言ってくれたでしょう?」
 「いや……でもそれって、普通じゃね?」
 「そんなことないよ。たーくんにとって、そういう言葉が出ることが普通なのは、これまでの生活と……優しいからだと思う。人に感謝する気持ちを、ちゃんと持ってる人の証っていうのかな」
 当たり前のことを、そうじゃないと言い、人に対してもそう捉える。
 それ自体が価値観てやつなんだろうが、葉月は嬉しそうに笑った。
 「伯父さんも、伯母さんも、羽織もそう。みんな私に『ありがとう』って言ってくれて、普段の生活でもお互いに口にしているよね」
 「……全然気にしてねぇけど」
 「見ていて気持ちいいなって思うの。同じように私も、言ってもらえることがとっても嬉しい」
 そんなもんか、とは思う。
 一方で、『言葉は受け取った相手のもの』という女将の言葉も蘇る。
 小さいころからの育ちは、確実に今の自分にも影響している。
 根底の部分は、そう変わらない。
 葉月の場合もそう。
 人に喜ばれ、感謝されることは、葉月にとって大切な判断基準なのかもしれない。
 自分を大切に想ってもらえている、という何よりの自己肯定感として。
 「……もうこんな時間か」
 「え? わ、外真っ暗だね」
 まだ17時前だというのに、冬の時間はやっぱはえーな。
 結局、午後は掃除で大部分費やした。
 ……ま、途中でお袋が買ってきたプリン食ったり雑誌読んだりしてた時間がなくもねーけど。
 「送ってくけど、その前に一軒うまいコーヒーの店連れてってやるよ」
 立ち上がりながらテレビを消すと、葉月が意外そうな顔をした。
 あー、確かにあんま外食しねぇからな。
 こっちに来てからは、家で食うほうが少なかったけど……とか言ったら、それはそれでまた怒られそうだからやめておく。
 「俺は飯食うけど、ケーキとか……あーフルーツなんちゃらってのもあったぞ」
 「ふふ。楽しみ」
 葉月は普段、夕食をほとんど食べない。
 それは向こうにいるころからもそうらしく、我が家では当たり前として取っている。
 まったく食わないわけじゃないんだけどまあ……なんかしらあんだろ。
 理由を聞いてはないが、お袋は聞いてるらしく、だからこそ『自分から話してくるまでは聞くな』とも釘を刺された。
 「ほら。遅くなんねーうちに行くぞ。じゃねぇと、お袋がめんどくせぇ」
 「あ、連絡しておくね。帰りのこと心配してたから」
 「おー」
 鍵と財布を手に、玄関へ向かう。
 そのとき、カーテンを引かなかった窓には立ち上がった葉月と俺の姿が鏡のように映っていた。
 
 「だから、絡んでくんなよ。そーゆーときこそ、空気読まねぇ?」
 「ンでだよ、いーじゃん。楽しそうだから声かけてやったのに、そーゆーこと言っちゃいけないんだよ?」
 「うわ、すげぇ小学生みてぇ」
 「しょーがねーじゃん。今日の中休みと昼休みに、そーやって俺ンとこ言いにきた女子がいたんだから」
 モーニングをやっているあの店へ足を運ぶと、カウンターには先客がいた。
 入った途端に目が合い、引き返そうと思ったにもかかわらず、デカい声で呼ばれ……仕方なく並びで座る羽目になった。
 つか、どこにでもいるなホントに。
 そもそも今日は平日でこの時間確実に仕事だろうに、よりによって出張からの直帰で『ちょうどよかった』らしい。
 俺にとっちゃ、全然ちょうどよくねぇけどな。
 「お待たせしました」
 「うわ、すっげぇ……うまそう」
 「うまいぜ、それ。おろし玉ねぎのソースもいいけど、まずそこにある岩塩で食え」
 「いいじゃん、俺がどうやって食おうと」
 「うまいから食えっつってんじゃん!」
 運ばれてきたハンバーグプレートには、バターライスが添えられていた。
 クレソンと人参のグラッセに、マッシュポテトといういかにもな付け合わせだが、香りがまず違う。
 はー、やっぱ惣菜とは全然違うな。
 家を出るときはさほど腹が減ってなかったにもかかわらず、香りで小さく腹が鳴った気がした。
 「はい、どうぞ。中のフルーツも召し上がっていただけますから、よければフォークとスプーンも使ってくださいね」
 「ありがとうございます」
 葉月の前に運ばれてきたのは、ガラスポットに季節のフルーツがたっぷり入っているフルーツインティーと、白イチゴのタルト。
 果物を食う習慣がほとんどない俺と違って、葉月は目ざとくそのふたつを注文した。
 「それにしても、鷹塚先生のお知り合いとは……どうりで似てると思いました」
 「げ、似てないっすよ。勘弁してください」
 「いや、そこは喜べよ! 俺に似るなんて恐悦至極だろ」
 「マスター、普段からあの人あんな喋るンすか? 営業妨害じゃね?」
 「うわ、感じ悪。マスター、そいつにコーヒー出すのやめようぜ。俺が代わりにいくらでも飲むから」
 「そーゆーのがガキっぽいんだよ」
 「うるせぇ!」
 なんでも、彼の家はこの2階だとかで、週の半分以上顔を出しているらしい。
 よりによって、こんなときに会わなくてもいいのに、どんぴしゃすぎだろ。
 まあ、いーけど。面白いから。
 「で? たーくんはいつになったら、隣の彼女紹介してくれんだよ」
 「うわ、マスターこれすげぇうまい。岩塩だけだと、肉の味がわかる」
 「だろ? 俺に感謝しろ。つかスルーとかお前、ほんといい度胸してんな」
 箸でハンバーグを切ると、テレビ番組同様に肉汁があふれた。
 はー、うま。
 うちのハンバーグも美味いが、やっぱ長年客掴んでる店は違う。
 「初めまして、鷹塚です。孝之には、普段からすげぇ世話になってる」
 「ふふ。こちらこそ、お世話になってます。瀬那葉月です」
 「瀬那……?」
 「はい」
 「っ、おま、勝手に……いってぇ!」
 俺の背を通してやりとりされた自己紹介。
 だが、次の瞬間思い切り背中を叩かれ、場違いなデカい声が出る。
 「いってぇな、ンだよ!」
 「お前馬鹿じゃねぇの? っとにふざけんな!」
 「はァ?」
 じんじんと残る痛みで壮士を睨むと、相変わらずスイッチ切り替えたかのように真顔で怒鳴られた。
 「何でそんなキレらんなきゃなんねーんだよ」
 「こんなかわいい子、ひとりぼっちにしてんじゃねぇよ! 飲みなんかこねーでとっとと家帰れ!」
 「いーじゃん別に、俺がどこで飲み食いしてよーと。壮士に関係なくね?」
 「あンから言ってんだろ! 嫁さん大事にしてやれ!」
 「ぶ!! 馬鹿か! ちげーよ!」
 「違わねぇだろ! お前の苗字名乗らしといて、まじふざけんな!」
 全然違うし、そもそも論点がずれてる。
 が、まあ確かに勘違いすんだろーよ。同じ苗字ならな。
 だが、あえて否定して詳細まで事細かに説明すると確実に帰れないレベルまで引っ張られそうなので、もう適当にあしらうことにしよ。
 「葉月ちゃん、いくつ?」
 「今、じ……っ」
 大きめのひとくちを頬張ったところで聞こえた発言に、そっちを見ず葉月の口元へ手のひらを当てる。
 言わなくていい。つか、コイツに個人情報バラまくな。
 ちらりと目だけでそう伝えると、まばたいたもののくすくす笑う。
 「邪魔すんなよ!」
 「飯の最中に気が散る」
 「さてはお前、なんか隠してんだろ」
 「隠してねーっつの。お前も、ほっといて食え。なんちゃらティー冷めんぞ」
 「もう……たーくん、失礼だよ?」
 「いーんだよ。ほっとけ……ってだから! 人のこと叩くなっつの! お前教師だろ!?」
 「やっぱ俺の言ったとおりじゃん。かわいいだろ? な、たーくん」
 「……うぜぇ」
 誇らしげに笑われ、大きめに舌打ち。
 すると、それをまた葉月にたしなめられることになったが、壮士はからから笑いながら緑茶ハイのグラスを空けた。
 「つか、全然傷じゃねーじゃん。もっとエグってやりたくなる」
 「なんなんだよもー、暇なら家帰れって」
 「残念。俺んちこの上だし。あ、マスターお代わり」
 「かしこまりました」
 カラカラとグラスを振る壮士を見て、マスターが笑う。
 と同時に、キッチンからあの彼女がお代わりグラスを早くも持って出ており、どんだけ熟知されてるのかと小さく噴いた。
 「あ。こないだ言った伊豆、来月の始めに行こーぜ」
 「あのな。かわいい嫁置いて遊ぶなっつの。俺とやっさんで行くからお前は留守番」
 「ンだよ、喋んなくていいときは絡みまくってくるくせに。いいじゃん、暇だし」
 「暇じゃねーだろ! 葉月ちゃん、もっと怒ったほうがいいぜ? コイツ、自分のことしか考えてねーから」
 「ふふ。一緒に出かけてあげてください」
 「っはー……っとによくできた嫁さん。なんでお前なの? 馬鹿なの?」
 「人のことを、馬鹿って言ったヤツが馬鹿だって定石知らねーの?」
 「あーやだやだ。センセに説教垂れるとかホントお前どうかしてる」
 グラスを傾けながらゲラゲラ笑われ、つられてこっちまで噴きそうになった。
 にしたって、『出かけてあげて』ってなんだよ。
 俺は小さい子か何かか。
 「ま、家もわかったし平日かわいそうだからたまにはピンポンしてやるよ」
 「来るときは金だけ持ってこいよ。飯はマスターがなんとかしてくれるから」
 「拒否しねーんだ」
 「あ、そゆこと言う? お前、せっかく俺が素直に迎えてやろうとしてんのに」
 「はいはい、あざす。あ、マスター、コーヒーお願いします」
 「お待ちください」
 くすくす笑ったマスターが、磨いていたグラスを置くとサイフォンへ手を伸ばした。
 朝とは違い、料理の匂いのほうが強い店内。
 だが、ほどなくするとあのいかにも“いい香り”と思えるコーヒーの香りがし、普段飲まない葉月でさえも『いい香り』と小さく笑った。
 
 
       
 
 
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