「お? はいはい。どうした?」
 スマフォを取り出して耳に当てると、鷹塚先生は片耳をふさいだ。
 かなり音の溢れている場所だけに、聞き取りにくさは強いだろう。
「いや、お前がどうしただっつの。今休憩か? はァ? いい身分だな。ある意味羨ましい」
「……え?」
「ああ見た? いいだろ。すっげぇかわいい女子高生見つけてさ、そりゃ写真撮るしかねーよな。は? ナンパじゃねぇよ。本人の許可とってンし。何より、人妻に手は出さない主義だから安心しろ」
「っ……」
 私を見て笑った彼が不思議だったものの、セリフの端々から“まさか”の想像が走る。
 前回、たーくんと3人でご飯を食べたときも、鷹塚先生は私のことを『嫁』と口にしていた。
 それは異なる形容だし、決して正しくはない。
 あのときと違って右手には彼にもらったリングがあるけれど、位置が違うんだから十分気づいているだろうに、鷹塚先生は改めなかった。
 今はちょうど、15時を少し過ぎたところ。
 そういえばたーくんは、この時間に15分ほどコーヒーブレイクをすると言っていた気がする。
「アイツ、っとに持ってんなー」
「え?」
「今日は午後県庁に出張で、今駅なんだってさ」
「そうなんですか?」
 今朝、家を出るときには何も言ってなかったことを聞き、思わずまばたく。
 駅にいる。
 ということは……駅までは車?
 朝はいつものように車で出勤したから、帰りもそうだろうけれどこのあとの行動はつかめない。
 直接聞いてみてもいいけれど、でも、それをしたら鷹塚先生と一緒にいることを伝えるようなものだし……ええと、どうしたらいいかな。
「葉月ちゃん、帰りの足ある?」
「あ……友達とバスできたので、帰りもそのつもりです」
「そっか。ないならアイツ呼んでもおもしろいかなと思ったけど、そんじゃやめとく」
「ふふ」
 さっきとは違い、どこかからかうように笑った彼につられ……るも、ふいにバッグが震えた。
 ……えっと。もしかして。
「…………」
 スマフォを取り出すと、そこに表示されていたのはたーくんの名前で。
 鷹塚先生を一瞬見たことはどうやら大きな意味になったらしく、さっきよりもずっといたずらっぽく笑うと私の手からそれを取り上げた。
「あっ」
「もしもし。俺。俺だけど」
 ゲームセンター特有の音があるものの、比例するように彼の声も大きくなる。
 だけど……どうやらたーくんも大きな反応をしているようで、わずかに聞こえる声はいつもよりずっと大きなもののように聞こえた。
「あはは。だから言ったろ? すげぇかわいい女子高生ゲットしたって。は? 馬鹿だなー、とっとと来いよ」
 からから笑う彼に対し、たーくんが相当な勢いで話してる……ように聞こえる。
 鷹塚先生がスマフォを耳から離したとき、それなりの声がした。
「お前、犯罪だぞ? ガチの制服プレイとかアウトじゃん。いかがわしい」
「っ……」
「だいたい、前も言ったろ? こんなかわいい子ひとりでフラフラさせといたら、拉致られるって」
 決して穏やかではないセリフながらも、鷹塚先生はからから笑うとスマフォを目の前へ差し出した。
 スピーカーではないものの、十分にたーくんの声は聞こえており、今耳に当てたら少し頭が痛くなりそうな気はする。
「ごめん、俺もほか回んねーとまずいんだわ。このへんで退散」
「お疲れさまです」
「いや、ここにきたおかげで、いいモン見れたし楽しかった。孝之にはまた連絡するって伝えといて」
「ふふ。わかりました」
 どうやら自分のスマフォに着信があったらしく、ちらりと目を落とすとそちらを耳に当てた。
 笑顔で手を振りながら、この場をあとにする。
 小さく頭を下げて鷹塚先生を見送り……ああ、電話がきてたんだっけ。そういえば。
「もしも……」
『お前今どこで何してンだ』
「っ……えっと、お買い物を……」
『ひとりじゃねぇよな』
「羽織と、絵里ちゃんと一緒にいるよ」
『は?』
「今日、約束してたの。あ、おやつにドーナツ買って帰ろうか?」
『……あのな』
 確実に呆れてるんだろう。
 見ずとも今の表情が目に浮かぶ。
 呆れたようなため息をついたものの、すぐに小さく舌打ちが聞こえた。
『ンで冬女の制服なんか着てンだよ。馬鹿か! 目立つだろ!』
「それは……ごめん、なさい」
 たーくんの背後に音はなく、どうやらこことは違って静かな場所にいるだろうことがわかった。
 しかも、これだけの声量と言葉を遣えるということは……間違いなく、彼の車の中だろう。
 でも……目立つ、かな?
 周りには何人も同じ制服を着ている子はいて、私だけが異なる着方というわけでもなく、十分紛れる気はする。
 実際、ゲームセンターでは誰かと目が合うことはほとんどなかった。
『迎え行くからそこを動くな』
「っ……」
 わかったな。
 念を押すように低い声が続き、見えないだろうにこくりとうなずいて返事をする。
 ほどなくして通話は切れたけれど、耳にはまだ彼の大きな声が残っているような気がした。
「ねぇねぇ葉月ちゃんっ、さっきの人誰!?」
「知ってる人?」
「え?」
 電話の音とは違う音の中へ戻ってすぐ、絵里ちゃんと羽織がかけてきた。
 絵里ちゃんは少し大きめのぬいぐるみを抱いており、無事に取れたことがわかる。
「たーくんのお友達なの」
「へぇー! 顔見たかったなぁ。イケメンな匂いしたんだけど、どお?」
「ふふ。すてきな人だよ」
「やっぱり!? あの後ろ姿、絶対そうだと思ったのよねー。くあー見ておけばよかった!」
 まさに目をきらきらさせながら、絵里ちゃんは大きなジェスチャーを見せた。
 きっと、誰が見てもすてきだと思うんじゃないかな。
 たーくんよりも年上だと聞いているけれど、誰に対しても隔てなく接するところや、屈託なく笑うところはとても魅力的だと感じている。
「さて。そんじゃま、満喫したしそろそろ帰る?」
「あ……たーくんが迎えにくる、って」
「え? お兄ちゃんが?」
「んまぁ! それじゃあばっちりこの目で、たっきゅん萌え萌え作戦の結果が見れるってこと!?」
「あ、そっか! お兄ちゃん絶対褒めてくれると思うー!」
 彼のことを伝えたら、ふたりはとても嬉しそうに笑った。
 でも……その顔を見ながら、申し訳ないけれど一緒に喜べないのは私。
 ……たーくん、怒ってたんだよね。
 褒めてくれることはなく、叱られるの一途だと思う。
 だからこそ、どうか目の前のふたりは叱られてしまいませんように。
 『絶対かわいいって言ってくれる!』と盛り上がるふたりを見ながら、そうなったらいいなとは思いながらも、たーくんの到着を素直に喜べない部分も少しだけあった。

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