「あ。もしもし」
『今どこだ?』
「クレープ屋さんのすぐそばにいるよ」
『……あぁ』
「? たーくん?」
 最後に聞こえたのは、いつもより低い声。
 だけど通話は切れてしまい、ディスプレイにも『終了』の文字が浮かぶ。
「たっきゅん、着いたって?」
「そうみたいなんだけど……」
 羽織と絵里ちゃんは、すぐそこの雑貨屋さんでアクセサリーを見ていたけれど、私がスマフォを手にしたことで戻ってきた。
 『すっごい楽しみ』と満面の笑みを浮かべ、羽織とそろってスマフォを取り出す。
 ……そういえばさっき、その瞬間を動画で撮影したいって言ってたっけ。
 それはかなり難しいと思うけれど、ふたりがあまりにも楽しそうで、二度ほど否定はしたけれどそれ以上は言えなかった。
「さーて。どっちからく……」
「……うわ」
「え?」
 目の前のふたりが、同じタイミングで向こうを見て目を丸くした。
 ……ううん、ちょっと違うかな。
 明らかに表情が強張っている。
 ちょうど、私の後ろ。
 同じようにスマフォを両手で握りしめたふたりを見て振り返ると、ちょうどこちらへ向かってたーくんが歩いてくるところだった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……えっと……」
 左と右。
 それぞれの表情を交互に見つめるも、誰も声を発しなかった。
 たーくんはいつになく表情が険しく、何も言ってないけれど……明らかに怒っているようには見える。
 普段、こういう顔をしていても聞けば『生まれつきだ』と口にはするけれど、今日は少し難しいかもしれない。
 絵里ちゃんは羽織の陰に隠れるようにし、たちまち羽織も悲鳴に似た声を上げた。
「……あ」
「帰るぞ」
「う、ん……」
 たったひとこと告げてすぐ、たーくんは私の腕をつかんだ。
 たちまち、羽織と絵里ちゃんがどこかほっとしたような顔をしたものの、たーくんが振り返った瞬間びくりと肩を震わせる。
「お前、どうせ祐恭ンとこだろ?」
「え!? あ、うん。今日は……お泊りするけど」
「なら、途中で下ろ――」
「やっ、あのっ、絵里と帰るから平気っ!」
 たーくんが言い切る前に、羽織はすごい勢いで手と首を振った。
 浮かべているのは笑顔だけど、どこか冷や汗を浮かべているようにも見える。
 ……ごめんね。
 叱られはしなかったものの、雰囲気はかなりぴりりとしていて。
 たーくんが先に歩き出したのを見てふたりを首だけで振り返ると、なぜかそろって両手を合わせていた。
 きっと、叱られちゃうとは思う。
 でも、ふたりが言われなかったことが私にとってはいちばん大切で。
 エレベーターのボタンを押したところでたーくんを見上げると、いつもと同じ横顔ではあったけれど、つかんだ手は少しだけいつもより力が入っていたような気がした。

「なんで冬女の制服着てンだよ」
「絵里ちゃんが貸してくれたの。とってもかわいい制服だから、嬉しかったよ?」
「……あのな」
 車の助手席へ座ったところで、たーくんは大きなため息をついた。
 『そうじゃねぇ』と言われ首をかしげるも、ちらりと見ただけでハンドルに手を当てる。
「えっと……」

 『たーくんに、かわいいって言ってもらえると思って』

 さすがにそのセリフを口にするわけにはいかず、どう伝えたらいいか少しだけ悩む。
 迎えに来てくれたとき、振り返ったらたーくんはとても驚いたような顔をした。
 鷹塚先生よりもある意味まじまじと、つま先から髪まで視線が向かったのはわかったけれど、特に感想は何も聞けていない。
 ……変かな。
 『なんで』ってことは、たーくんにとっては好意的ではない言葉のように感じ、ベルトをしながらもほんの少しだけ残念な気持ちがわく。
 髪を弄ってくれたのも、この服を貸してもらえたことも、私はとても嬉しかった。
 卒業式に行っただけの学校で、私の思い出はひとつもない場所だけれど、ふたりと共通の経験ができたことが特別な気持ちになったの。
「女子高生をしてみたかったのかもしれない」
「は?」
「ふふ。ほら、ふたりともこの制服を着て学校帰りに遊びに行ったり……デートしたり、いろんな経験をしてきたでしょう? 話だけで聞いていたけれど、なんだか少しだけ羨ましくて。仲間に入れてもらいたかったのかもしれないなって」
 ギアを入れたところで目が合い、一層笑みが浮かぶ。
 だって、楽しかったの。
 プリクラを一緒に撮れたことも、ドーナツを食べたり、雑貨や化粧品を見たり。
 向こうでも友達と過ごすことはもちろんあったけれど、制服のままどこかへ行くことはほとんどなかった。
 きっと、日本ならではの部分もあるんじゃないかな。
 これまで経験できなかったことだけに、今日叶ったことすべてはとても楽しくてまさに特別な1日だったと思う。
「制服のままデートなんて、アイツらまずしてねぇぞ」
「そうかな?」
「付き合ってンのがタメなら違うだろうけど、ふたりとも制服ねぇじゃん」
 ……確かに。
 言われてみれば、ふたりとも制服のまま学校帰りにデートできる人じゃなかったね。
 どうやら、この間見た夢の印象が相当強いらしく、たーくんに指摘されて小さく苦笑が浮かんだ。
 あのとき、彼も高校生だった。
 ふふ。絶対ありえないのにね。
 もしかしたら、あれこそが私の無意識の願望だったのかもしれない。
「だいたい、デートなら相手違うだろ」
「え?」
「アイツらじゃなくて、頼むの俺じゃねぇの?」
「っ……」
 駐車場から出てすぐの信号は、ちょうど青だった。
 右折のためミラーを確認したたーくんと一瞬目が合い、こくりと喉が鳴る。
 その、一瞬の顔が、普段と違って見えて。
 夕方にさしかかってきているからというのがあってかもしれないけれど、普段とはまるで違う言い方にどきりともした。
「……ったく。なんでよりによって壮士に見られンだよ」
「あ……ごめんね。たーくん、私のこと内緒にしてたんでしょう?」
「は?」
「えっと……歳を聞かれて、答えちゃったの」
 鷹塚先生は謝ってくれたけれど、たーくんが内緒にしていたのには意味があったんだろう。
 知られたくなかったのかな、って……思って。
 だけど、彼は特に大きな反応をすることなく、ギアに手を置いたまま『別に』と口にした。
「そのうちバレんだろうとは思ってたし」
「でも……」
「お前のせいじゃねぇって。単純に、18つったら確実にデカい声でわめきそうだなって思っただけだ」
 それは……なるほど。
 鷹塚先生の反応はまさに、たーくんの想像どおりだったんじゃないかな。
 『18!?』と言ったときの顔は、心底驚いたように見えたから。
「つーか、女子高生したいっつーけど、こないだまでホンモノだったろ」
「そうなんだけど……なんていうのかな。このタイプの制服じゃなかったから、着てみたかった気持ちはきっとあったんだと思うの」
 その結果があの夢にも反映されたんじゃないかな。
 ありえないことだったけれど、夢に見るほど無意識のうちでは着てみたかったのかもしれない。
 かわいらしいプリーツのスカートと、ふわりとした柔らかなリボン。
 自分が着ていたワンピースの制服とはまるで違い、明るい茶色のブレザーは遠くからでも目立つように思う。
「持ってこなかったのか?」
「あるけれど、さすがにもうあの服を着て出かけることはないでしょう? 卒業してだいぶ経つし、着るためっていうよりは、思い出として残しておきたいだけだから」
 部屋を片付けたとき、どうしようか悩みはした。
 白地に紺のラインが入っているワンピース。
 冬はジャケットを羽織るから、それはそれで雰囲気がまた変わる。
 日常では着れない形だし、今後二度と袖を通すことはないだろうとも思ったけれど、見るだけで学校の思い出が蘇ったせいか、手離すことはできなかった。
 きっと、数年経ったら思いは変わるんだろうな。
 それまでの間に、もっとたくさんの新しいことが増えていくだろうから。
「これじゃ単なるコスプレと大差ねぇぞ。お前、そういう趣味ねぇだろ?」
「コスプレって……もう。でも、かわいい格好ができるのは嬉しいよ?」
「そういうもんか?」
「だって……嬉しいじゃない」
 羽織と絵里ちゃんが言ってくれたことは、本当に嬉しかった。
 いつもかわいいふたりを見ていたから、余計に仲間入りできたことが嬉しかった。
 ちょうど信号が変わり、たーくんがギアを落とす。
 いつものように曲が小さく流れてはいるけれど、両手をスカートの上で重ねると、言おうとした言葉のせいか少しだけ力がこもった。
「……かわいいって思ってくれた、かな?」
 届かないかもしれない、ひとりごとに近いセリフ。
 だけど、ちらりと向けた視線が交わり、届いていたことがわかった。
「俺は別に、制服がどうのって趣味ねぇぞ」
「それは……そうかもしれないけれど」
 yesでもnoでもない返事をもらい、どう続ければいいか少しだけ悩む。
 でも……そっか。そうだよね。
 たーくんらしいな、とは思う。
 服装がどうのじゃないんだろう。
 ……ふふ。
 そもそも、同じ質問を瀬尋先生や田代先生にしたとしても、きっと彼と似たような答えが返ってくるんじゃないかな。
「どうせなら、着替えろ。服が違うだろ」
「え?」
「そしたら制服デートしてやるよ」
「…………えっ!?」
 大通りからいつもの住宅路へ左折してすぐを曲がれば、外灯も何もついていない我が家。
 まだ夕方ではあるけれど、いつもならとっくに私がつけている時間を過ぎているから、不思議な感じもある。
 羽織は泊まりと言っていたし、今朝、伯父さんと伯母さんも遅くなると聞いていたから、ついていないのは当たり前なんだけど、今聞いたセリフがあまりにも意外すぎて、なんだか妙に落ち着かなかった。
「これじゃ、そういうプレイにしか見えねぇ。お前は冬女の所属じゃねぇんだから、きっちりリアルでこい」
「でも……えっと、どうして?」
「見てぇから」
「っ……」
「そのために持ってきたんじゃねぇの?」
「な……違うったら、もうっ」
 さっきまでと違い、たーくんはいたずらっぽく笑った。
 でも……本当に?
 『見たい』なんてセリフを言われると思わなかったから、どうすればいいのか本当に悩んでしまう。
 たーくんらしくない、じゃない。
 ハザードを焚いたまま見られるも、唇を軽く噛んだまま返事に悩む。
 ……本当に?
 問うても同じセリフが聞こえそうな顔で、ああ今自分が試されてるんだとはわかる。
 デート、してくれるの? 制服で?
「えっと……少しだけ待っててくれる?」
「ああ」
 ドアに手をかけ、制服をしまった場所を逡巡。
 ……まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
 普段と違う格好だから、普段と違うことが舞い込むのかな?
 外階段を上がりながら鍵を取り出すも、ほんの少しだけどきどきしているのは事実だった。

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