「感想は?」
「感想……って?」
「初めてだろ? ラブホくンの。お前とはこねぇ場所だしな」
足を組んだ彼は、上着を脱いでテーブルに置いた。
ネクタイを緩め、音を立てて抜き取ると、たーくんは髪に触れた。
絵里ちゃんが巻いてくれた部分は、まだ十分に艶を持っている。
指を絡めるようにされ、感触がくすぐったいのもあって少しだけ笑みが浮かぶ。
「もう来ないの?」
「ウチがあんじゃん」
「えっと……そういうこと?」
「いや、そうだろ。どうしても来てぇなら次も考えるけど、必要ねーだろ。それこそ、こんなとこで金遣うより、よっぽどいい宿あるし」
……そういうことなの?
ラブホテルがどんな場所はなんとなく知っていたけれど、でも……そっか。必要のない場所だって判断されてるんだね。
確かに、たーくんとは……ここでなければいけない理由はない。
でも、それはこれまでの人たちも同じじゃなかった?
彼がどんな人とお付き合いしてきたのかは知らないけれど、私と同じようにここじゃなくてもいい人はいたんじゃないのかな。
「…………」
ああ、いけないのに。
そんなことばかり考えて、勝手にひとりで寂しがるなんて。
誰と比べても意味はないし、必要もないことなのに、どうしたんだろう。
らしくない、よね。こんなの。
「よ……っせ」
「っえ!」
身体を起こしてすぐ、たーくんは両手を私の脇へ差し入れたかと思いきや、そのまま引き上げた。
まるで、小さい子が抱っこされるみたいに。
一瞬身体が浮いたように思えて、驚きから声が出る。
「た……くん……」
「あ?」
身体の位置が変わり、彼の膝の上に乗っている状態。
え……え?
いつもと変わらない顔の彼を見たまま、うっすら唇が開く。
だって……だって今、どうやったの?
腕だけで持ち上げられるなんて思わなくて、とても驚いた。
「で? 俺見てどう思う?」
「たーくんを?」
「さっき聞いたろ、お前。制服着てンのが、かわいいかどうかって」
「あ……」
今は、さっきまでと反対。
私のほうが高い位置にいるから、たーくんを見下ろす格好になる。
こんなふうに、たーくんより高い目線なんて、そうそうない。
そのせいか彼の両肩に手を乗せたまま、ぱちぱちとまばたく。
「えっと……そういうつもりじゃなかったんだけど」
「違うのか?」
「んー……制服がっていうか、その……私が、かな」
きっと言い方に難があったんだろう。
思いはうまく言葉にしないと相手に伝わらないのね。
私が聞きたかったのは“自分自身を見てどうか”だったけれど、あんな格好をしたことも影響したんだろう。
……あ。そうか。
伝えなければ意味はないんだ。
私に必要なのは、察してもらうことじゃなくて、彼の言葉で答えをもらうことなんだから。
「いつもは、普段の服で出かけるでしょう? だから、こんなふうにスーツでお出かけするのは、少しだけどきどきするかな」
「へぇ」
胸元にある細いリボンに手を伸ばした彼は、指先で弄るとリボンのうしろにあったボタンを外した。
……もう。
ちょうど目線の高さに胸元があって、それだけでもどきりとするのに、こんなふうにされたら意識するでしょう?
きっとわかっていて動いてるんだろうけれど、意識してしまうとどきどきは一層強くなる。
「ねぇ、たーくん」
「あ?」
「私のこと……かわいいって思ってくれた?」
「いや、普段から思ってるっつの」
「え……」
「大体お前、誰の女だと思ってんだよ。自信持て。俺が選んだんだぞ」
最後の言葉が耳から頭に届くまで、少しかかったような気がした。
でも、聞き終えた途端、目が丸くなる。
「……なんだよ」
「だって、その言い方……もう。たーくんったら」
笑ったのがいけなかったのか、瞳を細めて舌打ちされた。
だけど、やっぱりおかしさは残ってしまったらしく、首を振るもくすくすと笑みは漏れる。
「それじゃ、たーくんがすごい人みたいじゃない」
「……あのな。俺を誰だと思ってんだよ」
大きすぎる彼の言葉に、もう1度笑う。
確かに、たーくんはすごい人だと思うよ?
でも、それを自分で言っちゃうなんて。
……たーくんらしいと言えば、そうなのかもしれないけれど。
「つか、前も言ったろ? かわいいって。聞きてぇならねだっていいぜ。いつでも言ってやンから」
「っ……」
鼻で笑ってすぐ、たーくんが目を見た。
いつもと違って、私のほうが見下ろす側。
角度が違うこともあるけれど、ストレートに伝えてもらえたことはとても嬉しくて、頬が緩む。
ああ、もう。どうして。
本当に、予想外の言葉をたくさんくれる人なんだから。
「もう……かっこいいんだから」
「どこでそうなる」
「ふふ。たーくんはいつもかっこいいよ? とっても」
私にできることは少ないけれど、肩へ置いていた手をそっと移動させ、いつもしてくれるように頬に触れる。
自分とは違う感触。
でも、すべすべでとても心地いい。
「で?」
「え?」
「もっとあんだろ?」
小さく笑われ、意外さに目が丸くなる。
もっと……って、言葉がだよね?
んー。そうだなぁ。
こんなふうにねだられることはまずなかっただけに改めて考えてみると、たーくんも私の肩に触れ、ジャケットを脱がすように滑らせた。
「へぇ。半袖か」
「うん。真冬でも、こっちほど寒くはないから」
裾に入っているのと同じ紺のラインが、袖にも入っている。
ぱっと見るとマリンカラーにも見え、あちらでもかわいいと評判の制服だった。
「えっと……誰にでも優しくて、ちゃんと自分がある人で、いつもがんばっていて……」
「ふぅん。ほかには?」
「ふふ。とってもステキで、誰にも負けない、たくさんの人に自慢できる私の憧れの人だよ」
普段とはまるで違う言葉に、笑みは浮かぶ。
どれもこれも本当のこと。
私にとってはもったいないほどの人で……大好きな人だ。
「かわいい」
「ッ……!」
「かわいくて、優しくて、穏やかで、まっすぐで……きれいで」
「た……くん……」
「自慢どころか、ンなもんしなくても勝手に注目される、目立つ女だ」
笑ってはいるけれど、普段とほとんど変わらない表情。
どれもこれも目を見て言われ、反対に眉尻は下がる。
だって……もう。こんなふうに言ってくれるなんて、思わなかった。
思わず手の甲を口元へ当てると、たーくんは手首をつかんで『顔赤いぞ』と笑う。
「そういう顔すんなら、なかなか悪くねぇな。いくらでも言ってやるよ」
「……もう」
嬉しい気持ちはもちろんあるけれど、恥ずかしいほうが強い気もする。
うつむくと、彼へまたぐように座っているせいか、スカートの裾がかなり上までずれていて、下着のラインが見えそうになっていた。
……やだ。
気づかなかったけれど、なんだかこんな格好って……いけない気がする。
「っ……」
ボタンを外したワンピースに手を伸ばし、肩口が広げられる。
下着のストラップが見え、それこそ……もう。恥ずかしいじゃない。
今脱がされてしまったら、目の前に胸が露わになる。
そんなことになったら、顔が赤くなるだけじゃ済まないはずだ。
「ねぇ、たーくん……っ」
「なんのためにここへ来たと思ってンだよ。どうせ脱ぐんだから、今でよくね?」
「っ……そ、いうことじゃ……」
慌てて手に触れ、制すように力を込める。
でも、たーくんは視線も手も動かさなかった。
するりと大きな手のひらが両肩を撫で、胸元まで落ちる。
……もう。
胸で止まったのをおかしそうに見られ、恥ずかしさから唇を噛んでいた。
「ねぇ、だって……まだ、お風呂……」
「いいじゃん別に。ンなこと言ったら、俺も同じだ」
「そうだけど……」
この時期とはいえ、きっと無意識のうちに汗はかいているはず。
ちらりとお部屋を見たとき、左手にバスルームがあったから、どうせならきちんときれいになってから手を伸ばしてもらいたい。
しかも、部屋とは違う場所。
部屋に入ったときからオレンジに近い暖色の照明はついたままだったし、消せないのならばなおのこと、きれいな状態でいたかった。
「なんなら入ってもいいぜ? このまま」
「え?」
首筋から鎖骨を辿る指先が、ほんの少しだけ冷たい。
確かめるというよりも、まるで試すかのような口ぶりで、こくりと喉が動いた。
もう片手はワンピースの裾から足を撫でていて、ぞくりとした感触に声が漏れそうになる。
「にしてもお前は、俺の初めて持ってくな」
「え?」
「ここでしねぇのもそうなら、ヤる前に風呂入らないとか、まずねぇぞ」
「っあ……」
胸で止まったワンピースをお腹まで下ろされ、彼の目の前に胸が露わになった。
ブラジャーはつけているものの、明るいところで見られるのは……これが初めてかもしれない。
思わず腕を抱えるも、かえって寄せる形になってしまい、たーくんは『えろい』と笑った。
「……これまで、こういうところ以外でしたり、しなかったの?」
「は?」
「えっと……その、付き合ってる人のお家、とか」
さっき考えたことをどうしようか悩んだけれど、聞いてみてもいいかなと思ったの。
嫌がるようならやめようと思ったけれど、たーくんが先に教えてくれたことで、タイミングはできた。
ブラの縁をなぞるように手を伸ばした彼は、まばたくと思い出すかのように視線を逸らす。
「あー……まぁ一人暮らししてるヤツもいたけどな。基本、家に入らねぇようにはしてた」
「え……どうして?」
「保険みてぇなもんだろ。テリトリー内だとめんどくせぇことになりそうじゃん。金で済むならそれで十分。利害が一致してただけだし、踏み込む必要性を感じなかった」
合理的というか、現実的というか。
さらりと返され、彼らしいなと思う。
「じゃあ……今日してくれたみたいなデートは?」
「は?」
「……いつもこんなふうにデートしてたのかなって……ごめんね、少しだけ思っちゃったの」
おいしいご飯を食べて、ライトアップされた桜を見て……そして、こんなふうにホテルへ行って。
私は初めてだけど、彼にとっては当たり前なのかなと思ってしまうこと自体がナンセンスだとは思うけれど、聞いてみたかったの。
まじまじたーくんを見つめたままでいたら、さっきと同じように視線を一度外すと、撫でるように首筋へ手のひらを置いた。
「デートって……そもそもその言葉がしっくりこねぇんだよな」
「え?」
「飯食うとしても、あんなふうにじっくり食うことなかったし。そもそも、会ってすぐヤって解散的な」
「…………」
「……そういう顔すんな。失礼だぞ」
「だって……もう」
いいのかわるいのか、聞いておいて申し訳ないけれど、咄嗟に判断できなかった。
相手の方には、どこか申し訳ない気持ちもある。
けれど、『利害の一致』とたーくんが口にしたのと同じように相手の人も思っているのなら、そのほうがさしつかえないのかな。
……だから、不思議なんだよね。
たーくんとお付き合いしてきた人たちのことも。
私にとっては、触れてほしいのは彼だけだから。
でも……そっか。じゃあ、ほかの人と違うんだね。
これまで何度も限定を口にされてはきたものの、新たに聞くことができて、素直に嬉しい。
どうやら表情には出ていたらしく、頬に触れた彼は『そういう顔すんな』と小さくため息をついた。
「っ……くすぐったい」
「イイ高さだぞ」
「……え……?」
「つか、えろい」
「……もう。たーく……っ!」
口角を上げて笑った彼が、背中に手を回した。
ぷつりと締め付けが消え、胸が露わになる。
「ぁ、や……っ」
「邪魔だ」
「たぁ、く……っ!」
慌てて隠そうと手が動くも、腕をつかんで阻止された。
本当に、目の前。
たーくんの鼻先、触れてしまいそうな距離に胸の先が見え、かぁっと身体が熱くなる。
まだ触れられてもいないのに、つんと上を向いているそこがはしたなくて。
大きな手のひらが背中へあてがわれてすぐ、躊躇なく唇を寄せたのが目に入り、ぞくりと背中が粟立った。
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