「ずいぶん眠そうな顔をしてるな」
「ん……おはよう」
 昨日と同じ、翌朝の7時過ぎ。
 珍しく、ソファでうとうとしている葉月を見て、恭介さんは昨日とは違い白のTシャツにオーソドックスなパンツスタイルでリビングに現れた。
 それこそ、オフそのもの。
 仕事に行くときと同じくゴツい腕時計はしているが、シンプルないでたちだからこそ普段見ないような格好で目にはついた。
「ユキが一緒で眠れなかったんじゃないか?」
「っ……」
「どうした?」
「え、と……ううん。なんでもない」
 小さくあくびをしたところで、恭介さんはいたずらっぽく葉月を覗きこんだ。
 たちまち目を丸くし……たのを見られたと気づき、慌てて笑う。
 意味は違う。確実に。
 だが、そそくさとキッチンへ向かった葉月の背中を見たあとで、それはそれは怖いくらいの眼差しを俺に向けた。
「お前……何かしたのか?」
「…………」
「尻尾でごまかすんじゃない。何か隠してるだろう」
 何も。
 言う代わりにただただ尻尾を振り“お座り”で待つが、恭介さんは訝しげに俺を見つめたあと葉月のあとを追った。
 ……あー、なんかいろいろ聞いてる。
 でもま、どう考えたってアイツが口を割るはずがない。
 2日連続イカされたとか、ありえねぇだろ。それこそ。
 ましてやアイツは『いけないこと』と散々口にしていたんだから、口にすることに相当な抵抗があるはず。
 普段恭介さんが座るあのソファへ横になると、さっきの葉月よろしくあくびが漏れた。

「さて。そろそろ行くか」
「きっと、ユキ驚くんじゃないかな?」
「かもな」
 今日は平日のはずなのに、恭介さんはやっぱり着替えないままだった。
 あのいでたちにサングラスをかけ、財布とスマフォを手にする。
 あー……なんかすげぇチャラく見える。
 いわゆる、海外の“遊んでる外国人”に似た雰囲気ががっつりあり、隣を歩く葉月はどう考えても娘には見えない。
 ああ、そういや日本でもまだ恭介さんのこの格好は見たことなかったな。
 ついこの間のドライブは似た雰囲気こそあったものの、季節が真逆なせいかここまでの見た目じゃなかった。
 美月さん、知ってンのかな。
 ってまぁ、昔からの付き合いらしいし知ってるんだろうよ。
 今でさえ自称落ち着いた彼だが、学生時代はもっと雰囲気が違ったはず。
 流浪葉でバイトしてた当時、一体美月さんはどんな目で彼を見ていたのか。
 あー……今度聞いてみてぇけど、したらしたでまた貢ぎコースか?
 彼女は苦笑して『いらないのよ』と言いそうだが、そういう口実で物を贈ることを恭介さんは嫌がらない気はしてる。
「今日は涼しいね」
「ウォーキングには距離も気温もベストだな」
 いつもとは違い、恭介さんがリードを握る。
 だが、俺のすぐ隣には葉月が歩き、目が合うといつもと同じ顔で笑った。
 昨日の夜とは大違いだな。
 ……あー。口利けねぇのもストレスか。
 ま、うっかり本音が漏れて恭介さんに絞め殺される恐れがないのはイイけど。
「へえ。お前、ちゃんと躾けられてるじゃないか」
「ユキは、いつもそうだよ。ちゃんとペース守ってくれるから、とっても歩きやすいの」
 昨日も通った歩道だが、すぐそこの角で市街地方面へ曲がった。
 3人……じゃないけど、まぁ3人で歩いても十分な幅のある歩道だが、恭介さんのすぐ隣を歩いているからか、葉月はいつもと違って後ろをついてきている。
 どこへ行くのかは知らないが、ふたりは今日突然決めたわけではなく、何日か前から企画していたような話しぶり。
 中でも『酔っ払ったシェインがユキじゃない犬を持ち帰ろうとした』とも言っており、どうやら“俺”も初めてではないらしい。
「ふふ。たくさんお友達ができるといいね」
 ……友達? てことはなんだ。またドッグランかなんかか?
 別に俺は犬とまじりたいわけじゃなくて、できれば家でごろごろしてるほうがタチに合ってンだけど。
 どれくらい歩くのか、俺は聞いていない。
 それでもまぁ、いい運動って言うからにはそこそこの距離なんだろうよ。
 昨日とはまた違う色のスニーカーを履いた葉月は、何かを察知してか珍しく今日はスカートではなく膝下までのパンツを合わせていた。

「さすが混んでるな」
「犬好きな人が多いんだね」
 20分ほど歩いた先にあったのは、それはそれは広い公園。
 昨日のものとは比べものにならないほどで、人の数もやたら多かった。
 あちこちにバルーンや旗がなびいており、どうやらフードフェスタらしいが、俺たちと同じく犬を伴っている人間ばかりだった。
 ……あー、犬用フードってことか。
 もちろん人間用のテントもあるようだが、どちらかというと犬用商品がメインらしく、各ブースにはグルテンフリーだのアルコールカットだの様々な文言が並んでいる。
「ここから先は、リードなしでいいぞ」
 ちょうど、葉月の腰あたりまでの柵であたりは囲われており、言うとおり中には様々な犬種が首輪だけで過ごしていた。
 ベンチや遊具はもちろん、中にはプールまで。
 さながら犬のためのレジャーパークのごとき景色がそこには広がっているが、大小様々な犬種が入り混じっていても、みな躾はきっちりされているようで、無駄吠えもしていないヤツらばかりだった。
「ユキも遊んできていいんだよ?」
 どうやら恭介さんはフードを見に行ったらしいが、葉月はすぐここ。
 ……あの輪に交じってこいってか?
 10メートルほど先では、ハスキーの群れがボールを追いかけていて、さながらサッカーをしているようにも見える。
「っ……もう。どうしたの?」
 いや、お前は知ってるだろ?
 昨日だってドッグパーク行っても、お前のそばから離れなかったんだから。
 立ったままの足元へすり寄ってから、見上げる。
 すると、白いブラウスが風になびき、中に着ていた黒のキャミソールが見えて少しばかり残念なような安心したような気持ちにはなった。
「なんだ。遊びに行かないのか?」
 いや、何をしろと。
 戻ってきた恭介さんの手には、さながらパフェのようにアイスとクリームまで盛り付けられたワッフルがあった。
 すげぇ存外。
 彼は普段、まず自分から好んで甘い物を食べることはない。
 葉月から『一緒にサンデーを食べた』話は聞いたが、それは葉月のためだからだろう。
 案の定、それを見て葉月は少しだけ興味を引かれたらしく向き直った。
「ふふ。たーくんが喜びそうだね」
「そうだな。アイツなら朝から平気な顔して食べそうだ」
 ご名答。
 まぁ、さすがに自分から好んでアイス食わねぇけど、出されたら食える自信は十分ある。
「ほら」
 てっきり葉月へ向けられると思ったら、しゃがんだ彼が皿ごと目の前に差し出した。
 いや……え? 食っていいわけ? これ?
 どう見てもアイスと生クリームで、犬の食い物じゃない。
 確か、ワッフルって小麦だろ?
 犬に炭水化物ってよくねぇんじゃねーの?
「平気なの?」
「人が食べてもうまいらしいぞ。グルテンも乳も使われていないらしい」
 同じように目線を下げた葉月が、添えられていたスプーンを手にした。
 控えめなひとくちを取り、口へ運ぶ。
「ん。おいしい。ちゃんとアイスの味だね」
「出店するだけあるな。ほかにもいろんな味があったぞ」
 シロップこそかかっていないが、てことは十分甘いんだろうよ。
 ……へぇ。
 スプーンを伸ばしながら『おいしいよ』と俺に向かって笑い、恭介さんから皿を取るとこちらへ差し出す。
「ふふ。おいしいのわかるんだよね」
 舐めるというよりもかぶりつくようにすると、ああ確かにがっつりパフェじゃん。
 湿度こそなくからりとしているが、日差しはかなり強いこともあって、冷たさが十分心地いい。
 ……うまいな、これ。
「そんなに慌てて食べなくても、取らないから大丈夫だよ」
 すでに半分ほど消失したのを見て葉月は笑ったが、勢いあまって皿を持っていた葉月の指先にクリームが飛んだ。
「っ……」
 あいさつだろ? それこそ。
 ぺろりと舐め取って視線を合わせると、わずかに唇を噛んでから『もう』と小さく笑った。
 恭介さんは、スマフォを手にしていて気づいてない。
 セーフだな。
 底に敷かれていたワッフルにはクリームもアイスも十分染みていて、人でもうまいと思うレベルのものだった。
「あの量を短時間で食べきるところも、孝之そっくりだ」
「おいしかったみたいだね。よかった」
 恭介さん、実は気づいてる……わけねぇよな。
 葉月とは違い、大きな手のひらでわしわしと強めに頭を撫でられ、眩しさもあいまって目は閉じた。

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