「……お前な。犬ならボールを追いかけてこい」
 え、なんで?
 腹ごなしをしたあとは、遊具などがほとんどない広場へ移動。
 恭介さんは、置かれていたボックスからソフトボール大の柔らかいボールを取ると、『Fetch』とあっちへ放った。
 だが、そもそもその言葉の意味がよくわからず……てかまぁ、ボール投げられりゃその意味だとわかるけどよ、だからってなんでこの暑い中走らなきゃなんねぇのか。
 冗談キツいって。
 芝生だし木陰がいくつもあるが、暑いものは暑い。
 ほかの犬たちは飽きもせず走り回っているが、俺はごめんだ。
「ユキ。取ってこい」
「…………」
「お前の足なら3秒で着くだろ」
 恭介さんががっつり放ったボールは、はるか彼方。
 もはや、白い点にしか見えない。
「まったく。食べてばかりだと太るぞ」
「ユキも遊んだらいいのに」
 準備よく、葉月は持参したシートをすぐここの木陰に敷いた。
 腰を下ろし、ちょうど目線が同じになったところでいつものように首をかしげる。
「行っておいでよ」
 ね?
 柔らかい顔で念押しされ、仕方なく……まぁその前に恭介さんがもう一度あっち指さしてたけど。
 行きゃいいんだろ、行きゃ。
 ため息をつくかわりに舌を出し、闊歩(かっぽ)さながらにボールへ向かうと、草の青い匂いがした。
「そのぶんじゃ、フリスビーを放ったら俺が行くハメになりそうだ」
 走らずに往復し、ボールを彼の手のひらへ。
 かなり柔らかい素材のコレを、よくもまぁあそこまで放るモンだぜ。
 野球をやってたのは俺と同じく中学までだと聞いていたが、その肩は十分衰えちゃいないらしい。
「まったく。そのぶんじゃモテないぞ、お前」
 広場では、ほぼほぼ犬種ごとに集まっていて、飼い主同士のコミュニケーションも十分取られている。
 リードをつけてない連中ばかりだから、すぐここに座るふたりのところにもコーギーとシュナウザーが寄ってきていた。
 モテる必要なくね?
 まぁ、“ユキ”の願望にはあるだろうが、俺には皆無。
 ただ、当たり前のようにシュナウザーを抱っこして膝へ乗せた葉月を見たら、ため息をつくかわりに身体は動いた。
「っ……ユキ」
「なんだ。妬いてるのかお前」
 腕の下から顔をつっこみ、鼻先でシュナウザーを押す。
 ガタイも何もかも違うとあってか、一瞬目は合ったがすぐに飼い主の足元へ滑り込んだ。
「男の嫉妬はみっともないぞ」
 なんか前にも誰かに言われた気がするけど、今はなかったことにしとく。
 どうせ構うなら、目の前のこっちを構えばいいだろ。
 恭介さんは叩くように頭を撫でたが、シュナウザーの飼い主へ『He's so gealous』と笑った。
「葉月はやらんからな」
「…………」
「諦めて、同じハスキーを選べ」
 きっとこの会場では、ブリーディングも兼ねてるんだろう。
 話している中、スマフォでの連絡先交換をしている風景があちこちで見られる。
 ……てか、勝手に交配していいわけ?
 シェインさんとの約束を知りはしないが、恭介さんはどっちかってぇと勝手に感があるんだよな。
 あとで……つーか、明日叱られるヤツじゃねぇの?
「ユキも遊んでおいでよ」
「…………」
「そんな顔しないで。ね?」
「…………」
「……もう。ユキったら」
 頭から喉元まで撫でられるのに乗じて首を振ると、葉月はくすくす笑った。
 かと思えば、葉月へすり寄るように黒のラブラドールがおり、軽めにけん制しておく。
 笑うな。とりあえず、お前は俺でいっぱいンなっとけって。
「He's going to be your knight」
「Ya.He's my white knight」
「So cool」
 茶化したように、シュナウザーの飼い主が肩をすくめる。
 葉月は葉月でどこかまんざらでもなさそうに笑い、俺の頭を撫でた。
「ふふ。ユキは、私を守ってくれてるのね」
「ちっともそうは見えないけどな」
「もう。お父さん、ユキに少し冷たいよ?」
「こんなもんだろう」
 葉月の足へ顎を乗せたまま横になると、がっつり恭介さんの足を踏む形になった。
 暑苦しい、とどかされたものの、親子で撫でられ気分は悪くない。
 ……ふたりとも、ホント生き物好きなんだな。
 結局、会場ではその後も犬用ウィンナーだのなんだのといろいろ食わされたが、20mダッシュやフリスビーロングキャッチ大会なんかは当然振り向きもせず。
 恭介さんはしきりに『お前そんなに動かないヤツだったか?』とけしかけようとしていたが、てこでも動かないのを見てか最終的には諦めたらしかった。

「……それにしても、あれだけ食べたのによく食べるなお前は。ちっとも動かなかったくせに」
「消化が早いんじゃない? ふふ。そういうところも、たーくんに似てるね」
「“ユキ”がつく同士、いろいろ似すぎだ」
 いつもよりは遅い時間の夕食となったが、恭介さんは珍しく飯を食べずにおかずで飲んでいた。
 あの会場では飼い主向けにも様々なメニューが展開されていて、今目の前にある緑の瓶ビールもそのひとつ。
 葉月は会場でほとんど食べなかったが、夕食は相変わらず小皿に盛る程度だった。
「ああ、そうだ。お前にもやろう」
 冷蔵庫に向かった彼が、もう1本別の瓶を手に戻ってきた。
 かと思えば、隣に立ったままさっき水を飲んだばかりの銀のトレイへ並々と注ぐ。
 ほのかに泡立つ、濃い茶色の液体。
 ……え、まさか。
「ユキが飲んで平気なの?」
「犬用のビール、最近いろんな店が出してるらしいぞ」
 ビールといっても、瓶にはがっつりノンアルコールの文字がある。
 匂いは少し甘い。
 見た目は苦そうだが、どんな味かはさっぱり想像がつかない。
「…………」
 ほんの少し舐めてみると……あー、なんかこれどっかで飲んだことある。
 少し苦味が先にくるも、あとには麦芽っぽい甘さ。
 ……なんだっけな。
 なんか、こういう匂いのジュース昔なかったか?
 特別うまいわけじゃないが、マズいわけでもない。
 昔むかしの記憶を辿るように舐めるのを“美味い”と思われたらしく、恭介さんはさらにトレイへ注いだ。
「先に入っちゃっていい?」
「ああ。今日は俺が洗おう」
 先に食べ終えた葉月が席を立ち、食器を下げた。
 ……入る?
 何に?
「っ……」
「お前は食事中だろうが」
 一瞬目が合ったときの反応で気づいたものの、それより早く恭介さんが首輪をつかんだ。
 あー……しくった。
 どうりで、葉月がなんともいえない表情でこそこそ行くと思った。
 ほどなくしてシャワーの音が響いたものの、椅子へへたりと尻尾が垂れたのを見られたらしく、恭介さんは鼻で笑った。
「俺が生きてるうちは、葉月と風呂に入れないな」
 てことは、恭介さんに洗われるってことか。
 はー……。
 別に一緒に風呂へ入るのが嫌なわけじゃないが、きっと彼はざっくり洗うんだろうよ。
 てか、シャワーのかけ方とか全力っぽいじゃん。
 この時期なら水で十分だが、気分の問題ってのはデカい。
 あー……結局、風呂の様子見れなかったな。
 せめて夢ならありえないことをしたかっただけに、ため息にも似た息は漏れた。

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