「……ユキったら、そんな顔しないで?」
 だから生まれつきだっつの。
 俺と同じく、目つきは悪い犬種。
 だが、確かに今は気持ちテンションが下がっているからか、まなざしはいつもより鋭いんだろう。
 床へ膝付いた葉月に、わしわしとバスタオルで拭かれている今。
 案の定のシャワータイムは、ある意味修行だった。
 ……息できねぇっつの。
 自分のタイミングで息継ぎできるって、大事なんだな。ほんと。
 葉月とは違い、恭介さんはそのままシャワーを浴びずにここをあとにした。
 どうやらリビングにいるらしく、ニュースの音だけが届いてくる。
「ごめんね。だって……お父さんがいたら、絶対許してくれないと思って」
「…………」
「あなたが叱られるのも嫌だし……それにほら、バスルームそんなに広くないでしょう?」
「…………」
「……もう、ユキ。許して?」
 一切目線を合わさずにいたら、最後の最後には葉月が困ったような顔して下から覗きこんできた。
 まぁぶっちゃけ、別に怒っちゃいない。
 葉月の言うとおり、恭介さんがいる状況じゃまず許されなかっただろうし、さすがに風呂場でヤったら歯止めもきかなさそうだしな。
 それでも、見るだけ見れたらまた違うじゃん。
 ……夢だからしょうがない。
 何もかも、夢のせい。
「えっと……嫌じゃなかったら、一緒に寝よう?」
「…………」
「もう、ユキったら本当に全部わかってるのね」
 ぽつりと聞こえたセリフで真正面から見つめると、くすくす笑いながらタオルで撫でた。
 この間はきっちりドライヤーまでされたが、今日は自然乾燥で十分。
 つか、暑い。
 濡れてるおかげで夜風が心地よく、このままでいても問題ねぇだろ。
「…………」
 リビングへ向かうと、ソファ前のスペースに恭介さんがいた。
 つっても、マット敷いた上でまぁきれいなプランクをキメており、ああだからあの姿勢かと納得もする。
 どうやらテレビは音だけで拾っているらしく、視線を落としている彼はもしかしたら俺がここにいることにも気づいてないかもしれない。
 ……ふぅん。
「っぐ……おま……」
「あ。もう、ユキったら。重たいでしょう?」
 背中へ前足を乗せると、わずかに揺らいだものの姿勢は崩さなかった。
 さすが恭介さん。
 2月に訪問したとき、勤務帰りによくシェインさんとジムに行くと聞いただけでなく、俺も少しばかり自宅筋トレに付き合った。
 が、ここまできれいなプランクはできてない。
 途中でなぜか耐久勝負に発展したが、普段ほとんど筋トレらしいことをしてないせいか先に音を上げた。
 ……てことは。
「ユキ……お前覚えとけよ」
 背中へ飛び乗ると、それはそれは怖い声が聞こえた。
 あー、体重どんくらいあんだろ。
 20は軽く越えてるだろうが、こんだけの負荷かけてもオッケーとか逆に怖ぇ。
 確実にチカラじゃ勝てねぇな。
 いや……今の俺じゃ、ほかのどの面でも敵わないかもしれない。
「っ……はー。頼んでないぞお前」
 起き上がろうとしたのを察知して降りると、あぐらをかいて軽く睨まれた。
 だが、ソファにいる葉月の足元へ逃げると、当然それ以上は何も言われず。
 すげぇ安全基地だな。
 恭介さんにとって、コイツのスペースはよっぽどの威力を発揮するらしい。
「……どうした?」
「小さいころは、私もユキと同じことしたなぁって思って」
「ああ……そうだな。あのころはちょうどいい重さだった。でも、今じゃ立派にきれいなプランクやるじゃないか」
「でも、まだ足りないかな。もう少しがんばらないといけないね」
 え、まじで?
 筋トレからは縁遠い存在だと思っていた葉月の口ぶりに、思わず喉が鳴る。
 ……お前がプランク? マジで?
 それこそ、腕立て伏せも腹筋も無理そうにしか見えないのに、ああそういうこと?
 細く見えても、体幹しっかりしてンのか。もしかして。
 意外な発言に、少しばかり焦る。
 あー……俺もやろ。
 アホみたいに身体を鍛えまくった学生時代から数年しか経ってないにもかかわらず、筋肉が落ちた実感はあるからこそ、改めて自覚するにはいい機会になった。
「あ、片付けなくていいよ。私も少しだけストレッチしてから寝るから」
「それじゃあ、頼むな」
 マットを片付けようとした彼に葉月が声をかけ、代わりにそこへ座る。
 ……ああ、それでその格好か?
 パジャマではなくTシャツとハーフパンツで珍しいなと思ったが、理由があったらしい。
 つか、ほんとお前……俺が抱いてた勝手な印象をことごとく打ち破るな。
 おもしれぇ。
 ゆっくり息を吐きながら、足を開いてぺたりと身体を床へつけたのを見ながら、笑う代わりに息が漏れる。
「わ! もう、びっくりするでしょう?」
 背中を押すように前足をかけ、のしかかるように体重をかける。
 そう言ってるけど、全然余裕ありそうじゃん。
 身体をねじって俺を見た葉月は、小さく笑うと体側を伸ばした。
「っ……ユキ、だめったら」
 ちらりと見えた脇腹を、ほんの少しだけ舐める。
 慌てたようにTシャツの裾を押さえるも、丈が短いこともあってか十分じゃない。
「やだ、もう……ユキ、くすぐったいよ」
 昼間見たときと違いがっつり素肌そのもので、往復するとくすぐったそうに身をよじる。
「っ……」
「お前、今夜は外で寝るか?」
 首輪をわしづかまれ、一瞬息が詰まった。
 てっきりシャワーへ消えたと思っていた恭介さんが、それはそれは怖い顔してすぐここにいて。
 あー……やべぇ。詰んだ。
 悲鳴にも似た声が漏れたが、葉月は苦笑するだけでさすがに庇ってはくれそうになかった。

「葉月。ユキはどうした?」
「え? もうベッドに寝てるよ」
「……お前の?」
「うん」
 ドアが開いているせいか、階下での話し声がうっすら聞こえる。
 昨日をかんがみて、今日はひとあし先に葉月の部屋へ潜入済み。
 さっきのを見られた手前、葉月と一緒に部屋へ入るのは確実に許されなさそうだとふんでの先手だったが、功は奏した。
「アイツ、夜中にお前のこと舐めるつもりだろう。ダメだ。今夜は別の部屋で寝なさい」
「……もう。そんなことしないったら。ユキだよ?」
「さっきも隙あらばだっただろう! 完全に“男”だぞアレは。犬じゃない」
 あーさすが父親。拍手もんだぜ。
 たとえ犬相手であっても、愛娘には許せない部分をきっちりわきまえての発言。
 ……これじゃ、俺がすでに手ぇ出したと知ったらいろんな意味で終わりしか見えない。
「…………」
 さすがに電気はついておらず、月明かりのみ。
 ただ今夜は雲がかかっているせいか、部屋の中にも光は届いてなく、空が少し白く見える程度。
 今日、相当歩いたせいか、さっきからあくびが止まらなかった。
 すぐそこにある時計はまだ21時手前を指しているが、このままじゃうっかり寝るレベル。
 ……眠い。
 こんな時間に寝るなんて、恭介さんと暮らしてたころにもあったかどうかだが、下のふたりはまだ話していて上がってくる気配がなく、つい目を閉じたせいでうっかり意識が軽く飛んだ。

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