「言葉がわかるんだろうなっていうのは感じていたけれど、まさか返事をもらえるなんて思わなかったから、とっても嬉しい」
 すくように指で毛を撫で、嬉しそうに笑う。
 お前ほんと素直だな。
 普通もっと驚かねぇ?
 ……まぁいいか。どうせ夢だし。
 現実らしからぬことが起きたら、自分の願う方向へ持っていこうとするのもまぁわかる気はするしな。
 きょうだいもない葉月にとっては、こんなふうに恭介さんじゃない相手と話せることは素直に嬉しいんだろう。
「ユキは今年で2歳でしょう? だから……わ、たーくんと同い年なんだね」
「っ……」
 スマフォで検索したらしく、葉月が俺を見て笑った。
 犬って、2歳で人間でいうところの24なのか。
 すげ。
 まさかそういうところひっくるめてリンクしてンだとしたら、呼ばれた気がして少し怖いけどな。
「……ふふ。この人が、たーくんだよ」
 写真フォルダを開いた葉月は、11月に帰国したときに撮った写真を見せた。
 いつの間に撮ったのか知らない、俺が寝てるヤツ。
 そして……帰る前に羽織と3人でお袋に撮られたもの。
 眺める横顔はひどく愛しげで、ああこんな時期からこういう顔してたのかと思うと多少はいろいろ考えるもんだな。
「好きな人なの」
 ぽつりとつぶやくと、葉月はスマフォをしまった。
 視線は空へ。
 それこそ、日本とは規模の違う広い広い青空が広がっているが、繋がっているという意味でいえばひとつか。
 今日はスカイメッセージもなく、細く薄い雲だけが伸びている。
「今月の……ちょうどたーくんの誕生日に、日本へ行くことになってるんだよ」
 あのとき、俺にとっては唐突だったが、帰国を考えていた葉月や恭介さんにとっては計画のうちそのものでおかしくない。
 まだ、このときの葉月は知らないんだろうな。
 恭介さんが美月さんを想っていたことも、そして……俺との関係が大きく変わることも。
 ……俺だって想像もしなかった。
 突然帰国した葉月から、直接好きだと言われることもな。
「ユキは、誰かに言葉を教わったの?」
「…………」
「ということは……普段の会話を聞いて覚えたのかな?」
 まあそっちのほうがそれっぽいだろ?
 つい答えはしたが、背景なんてまったく考えなかったからな。
 答えながら構築してくのは、なかなか骨が折れる。
 ……ま、バレたところで何も問題ねぇだろうけど。
 バレていいことと、悪いことの差さえきっちり把握してりゃ平気だろ。
「お父さんは口が堅い人だけど、このことは話さないほうがいい?」
 もちろん。
 うなずくと同時に尻尾を振ると、ちょうど葉月の腰元へぱさりと当たった。
 恭介さんにバレたら、確実に引き離される気しかしない。
 それどころか、うっかり目の前で舐めた日には『お前俺の忠告を無視するなんていい度胸だな』とガチギレされそうじゃん。
 こういうのは、内緒だからいいんだろ?
 そんな意味も込めて見つめると、くすくす笑ってから『わかった』と葉月がうなずいた。
「でも……あの。……あのね? じゃあ……昨日のあれは……」
 ふわりと葉月のカットソーが風になびいた。
 きっちりインナーを着ているおかげで、腹は見えていない。
 そういう自衛は大事だぞ。
 ……多少期待はしたけどな。
「だって、昨日のことは……あなたには必要ないことでしょう?」
 さっきまでとは違い、かなり歯切れ悪く葉月がささやいた。
 内容が内容だからなんだろうが、ひそめたやり取りだからこそ一層雰囲気が変わる。
 それもあってか、葉月はうっすら頬を染めるとどこか困ったように唇を噛んだ。
「生物学的に言えば、あなたは犬で私は人で……その、あれはそれこそ……人の行為っていうか……。あんなこと、どうして知ってたの? 何かで見た?」
 どう答えればいいもんかとは考えたが、まぁあのテの知識を得るのはメディアが媒体だろ。
 テレビか雑誌かはたまたネットか。
 ソースはなんであれ、“見て覚えた”が一番それっぽい。
 ……ま、実際そうだし。
 つか、そういう聞き方できるってことは、お前も多少なりはそういう知識詰め込まれてるってことなんだな。
 それはそれで聞いてみてぇし、おもしれぇけど。
「っ……それって……ぅ、あ、えっといいの、言わなくて。その……もう、こんなの困る」
 それこそ、頬は真っ赤。
 俯きながら手を頬へ当て、唇を噛む。
 ……えろいんだって。だから。その姿が。
 ため息をつく代わりに片足をふとももへ乗せると、困ったように見つめた。
「えっと……あのね? 私には必要ないことなの」
「…………」
「だからその……あんなふうに、してくれなくていいんだよ? あの……ああいうことは、人同士がっていうか……好きな……」
 小さくため息をついてから切り出した葉月は、途中で何かに気づいたかのように口をつぐんだ。
 まじまじと見つめ、『もしかして』とつぶやく。
「あなた……私のこと、好きでいてくれるの?」
 なるほど。そういう結論に至ったか。
 “好きな人同士がすること”とでもインプットされてるのか。
 実際がどうかよりも、葉月の中ではその先にあることがアレなんだろう。
 まぁ、間違いじゃねぇけどな。
 少なくともこの時期に帰国したお前のことを、俺はこの対象には見なかったんだから。
 お前で想像するとか、それこそありえなかった。
 羽織と同じで妹と同義だったからな。
 なのに……ころりと変わった。
 むしろ、どんな反応するか気になったせいで、1月はンなそぶり見せずキスしたんだから。
「……ありがとう、ユキ。私もあなたのこと、大好きよ」
 目を見たままうなずいてやると、葉月は一瞬目を丸くしたものの、すぐに柔らかく笑った。
 その顔は、正月にヨシに対しているときと同じように見え、俺に見せた顔とは少し違う気がする。

 好きに違いはあるのかな?

 いつだったか、葉月に聞いたセリフが脳裏をよぎる。
「生物学的には違うから、違う形でしかお付き合いできないけれど、あなたとは仲良くなれると思うの。だから……昨日みたいなことは、しなくていいんだよ?」
「…………」
「ユキ……もう、どうして? 誰かに、するように言われた?」
「…………」
「……あのね? こうしてそばにいてくれるだけで十分なんだよ?」
 葉月の問いすべてに首を振ると、少しずつ困った色を濃くした。
 言葉がわかると思い込んでるコイツにとっては、すべて望んでない対応だろうよ。
 だが、約束はできない。
 悪いな。
 ある意味、趣味みてぇなもんか。
「っ……! ユ、キ……」
 袖をまくったことで見えている腕を舐めると、小さく肩を震わせた。
 声が変わる。
 慌てたようにあたりを見回し首輪へ触れると、『だめ』とささやくがその言い方じゃ、止まらねぇぞ。
 公共の場で手を……いや、こんなふうに舐めても眉をひそめられずに済むってのは、ある意味ペットの特権だな。
「ぁ……や、ねぇっ……ユキ、だめ……!」
 昨日の熱を十分覚えているのか、漏れた吐息は普段より潤んでいて。
 はー……えっろい。
 さすがにここでやるつもりはないが、ンな反応されると多少弄りたくはなる。
 これ以上されないようにと口元へ手のひらをあてがわれたが、逆だぞ。お前。
 指の間を丁寧に舐め取ると、小さく声を漏らしながら慌てて首輪をつかんだ。
「は……ユキ、だめったら。ねえ……あのね? 違うの、こんな……もう。はしたないじゃない」
 真正面から目を合わされたが、とてもじゃないがンな顔には見えない。
 眉尻を下げ、しどけなく唇を開き……あー、シてぇだろ。くそが。
 ンな顔、こんな場所でするな。
 とは思いながらも、魂の入れ物さえ違えど“俺”に向けていることは多少おもしろくもある。
「お願いだから……こんなふうにしないで?」
 昨日とは違い、いかにもな場所を舐めたわけじゃないにもかかわらず、俺を抱き寄せた葉月は十分息が上がっていた。
 真面目だもんな、お前。
 覚えるの早すぎだ……が、優秀な証拠だろうよ。
「……あんなの……初めてなんだから」
 ぽつりと漏れた言葉で顔を見ると、唇を噛んだ。
 まさに、反芻レベル。
 視線を逸らすと、慌てたように口元へ手を当てた。
「……自分があんなふうに感じるなんて知らなくて……とてもいやらしくて……だから、その……いけない気がするの」
 性に対する嫌悪にも似た感情だろうが、もしかしたら男女で差があるのかもな。
 割と早い段階で知識だけはあったし、中学に入れば周りもザラ。
 とはいえ女子がどうだったかは興味もなく、話を振ったことも振られたこともない。
 まぁ、基本つるんでるの男子ばっかだったしな。
 あのころは、数人集まるだけで空気がよどんだ。
「だって、誰にも言えないでしょう? あんな……友達に聞いてたことを、まさかユキにされるなんて思わなかった」
 ……へぇ。
 友達には聞いたことあんの? アレを?
 一体そのときどんな顔で、どんなふうに聞きながら答えたのか、いつか問いただしてみてぇな。
 そういうのからは縁遠そうで、ほとんど知らなさそうなのに……まぁさすが外国ってことにしとけばいいか?
 いや、あながち絵里ちゃんとかすげぇ詳しそうだから、場所を問わずなんだろうけど。
「……あなた、自分のこと“人”だと思ってるんだもんね」
「…………」
「でも……いいんだよ? してくれなくて。その……えっと、喜ばない、から」
 どう言えば考えあぐねたように、視線を逸らす。
 喜ばないってのは少し違うよな?
 怖い、ってのもあるんじゃねぇの。
 それこそ、次されたらどうかなりそうで。
 ……いや。
 もう、十分経験はしたからこそ、だろう。
 予期しなけりゃ、腕を舐めただけでンな反応はしない。
 欲しい、って思う自分に嫌悪ってところか?
 ああ、そういやお前は十分真面目なヤツだったな。
「……はぁ」
 さすがにこれ以上ココで繰り広げるわけにもいかず、仕方なく顎をふとももへ乗せる。
 細い指が頭から背中を撫でたが、またため息をついた。
 ……ま、しばらくは悶々とすればいいんじゃねーの。
 “俺”について悩む時間にかわんねぇし。
 目を閉じると風が心地よく、ああ十分ここで寝れるなと思った。

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