「葉月ちゃんは、どうして孝之じゃなきゃダメなの?」
 菊池先生にそう言われたとき、私はなんて答えたんだっけ。
 ずっと好きだった人だから、だったかな。
 それとも……憧れていたから、かな。
 ……どうして私は、たーくんを好きになったの?
 どうして彼じゃなきゃだめなの?
「…………」
 好きだから、だけじゃだめなのかな。
 どうして好きになったのと言われても……気づいたら、そうで。
 そばにいてくれることが嬉しくて、彼が笑ってくれることで自分はもっと嬉しくなったから、じゃだめなのかな。
「葉月っ」
「え?」
「大丈夫?」
「えっと……何が?」
 もしかしたら、その答えがそもそも“大丈夫”じゃないのかもしれない。
 呼ばれただけでなく、羽織に腕を引かれてそちらを見ると、彼女はまた心配そうな顔をした。
 ええと……もしかして、ずっと呼ばれてたのかな。
 考えこんでいたせいで、いつからそうだったのか記憶が怪しい。
「ねぇ、キャベツってこんなに必要?」
「え? ……っわ!」
 羽織が見せたのは、私がまさに今刻んでいたキャベツの千切り。
 スプラウトと合わせて、揚げ物への添え物にしようと思っていたものの、気づいたらボウルにいっぱいだった。
 ……これじゃ、羽織が心配して当然だよね。
 いくら野菜を摂る必要があるとはいえ、この量はちょっと……。
「あ、でもパウチしておいたら明日の朝までなら平気じゃない? 私食べるよ」
「ありがとう」
 両手を合わせながら『大丈夫!』と笑ったのを見て、申し訳ないもののとてもありがたい気持ちでいっぱい。
 今日は私も、サラダだけで十分だけど……そうもいかないかな。
 最近は、夕食をそれなりに食べられるようにはなっている。
 ただ、ひとりで食べていたときと違ってお昼をきちんと食事として摂るから、正直お腹が空かないのもあるんだけど、できるだけバランスよく食べるようにはしている。
 ……というか、ふたりへそう言うくせがあるから、というほうが正しいかな。
 炭水化物だけでも、野菜だけでも、タンパク質だけでもいけないでしょう? って。
 伯母さんが作ってくれるごはんはとてもバランスがいいから、できるだけ私もそうしたかった。
「…………」
 普段と違って、たーくんはずっとリビングで過ごしていた。
 彼の好きな野球チームの特集が組まれている番組があるからというのも理由かもしれないけれど、違うようにも思う。
 いつもなら……私と羽織のこんなやり取りを聞いていたら、笑ってくれたかな。
 ソファへ座ったまま、足を組んでテレビを見ている姿が目に入り、また気持ちが揺らぐ。
「ごはん、よそってもいいよね?」
「ん、ありがとう」
 それぞれへ盛り付けたおかずと、お味噌汁をトレイで運ぶ。
 伯母さんからは、さっき『これから帰るね』とメッセージがあった。
 ただ、伯父さんはまだ忙しいらしく、連絡はない。
 12月に帰国してからというもの、伯母さんはメッセージアプリのグループトークへ私を追加してくれて。
 まさに、家族内でのやりとりの仲間入りできたことが嬉しかった。
 普段たーくんはほとんど返信をしないけれど、羽織はかわいいスタンプで返事をしている。
 これまではそれぞれと個別でやり取りをしていたものの、こうしてくれたことですれ違いもなくなった。
「ごはんにしよう?」
「ああ」
 きっと聞こえてはいるだろうけれど、たーくんのそばへ行って声をかけると、私を見ずに返事をしてから立ち上がった。
 そのときふいに目が合ったものの、特に何か言われることはなくて。
 当たり前のように横を抜けられ、ついさっきと同じ感じを覚える。
 ……どうしたらいいかな。
 謝るだけじゃ、きっと許されない。
 彼を傷つけたことは間違いなくて、でも、謝罪だけでは済まされないことをした自覚があるから、どうしたらいいかもう少し考えないといけないんだろうな。
「いただきます」
「おかず、まだあるから。よかったらおかわりしてね」
 いつもと同じくたーくんの対面へ座り、すぐ隣へ羽織が腰かける。
 今日はテレビが付いているけれど、雰囲気がいつもと少し違うことをどうやら羽織は気づいているようだった。
 ……ごめんね。
 理由は伝えてないけれど、もしかしたら喧嘩したとは思われてるかな。
 じゃなければ、あんなふうに心配しないよね。
 羽織が私を気にしてくれているのはわかるものの、どう伝えたらいいか悩んでしまう。
 ……でも、大丈夫。
 だって羽織のせいでも、たーくんのせいでもないんだから。
「今日、ずいぶん集中してたみたいだけど……気になる問題なかった?」
「んー……一応は、解いてみてどうしてもわからなかったものは見直したんだけど……なんかね、その答えがそもそもよくわかんないの。なんでその数字が出てくるのかで困るんだよね」
 難しいというよりは、きっと彼女なりの納得が得られていないんだろう。
 数学は特に、絶対的な答えがあるものの“そうか”と納得ができないと難しい気がする。
 答えが違うからだめという短絡的なものではなく、解法だもんね。
 本番まであと少し。
 もちろん、すべての教科を今から網羅するのは難しいかもしれないけれど、つぶせるものは今のうちにやっておきたいだろうなとは思う。
「お風呂のあと、もしよかったらまた見ようか?」
「いいの? 葉月の教え方、すっごいわかりやすいんだよね。あ、もし時間があったら英語も教えてほしい」
「ん、もちろん」
 申し訳なさそうな顔をした羽織は、小さく『ごめんね』と続けた。
 そんなつもりはないし、私にできることならしたいと思うからこそ、笑顔で首を振る。
 でも次の瞬間、お箸を握ったままのたーくんが、ちらりと羽織へ視線を向けた。

「持ってこいよ。見てやるから」

「え……」
 まっすぐに羽織を見つめ、味噌汁のお椀へ手を伸ばす。
 言いっぱなし、ではない。
 明らかに反応を待っていて、でも羽織は羽織で意外な申し出だったのか、口を開けるとみるみるうちに眉を寄せた。
「……え? なんで?」
「なんでじゃねーよ。メシ食ったら持ってこい。どっちも見てやる」
「えぇ!? いいよ、お兄ちゃんじゃなくて。だって葉月が――」
「時間ねぇんだろ? ぐだぐだ言ってねぇでやるしかねーじゃん」
「う」
 至極真っ当なセリフだし、昨日私が羽織へ伝えたけれど、数学はたーくんのほうが得意だと思うの。
 説明がうまいっていうのかな。
 私はつい、図を書き込みながら説明するんだけど、そうするとぱっと見たときに結局どういうことだったのかがわかりにくくなってしまう。
 でも、たーくんは説明しながら必要最低限のポイントを書き込んでいくスタイル。
 であり、計算式に関しては、途中式を省略せずに書いてくれることで、あとから見直したときにどうしてわからなかったのか、どこでつまずいたのかが見える形で残るんだよね。
 でも……たーくんが羽織の勉強を見るって言い出すのは、久しぶりな気がする。
 もちろん、私が湯河原へ行っていた間はそうだったのかもしれないけれど、はっきりと印象づいているのはセンター試験の前の日だった。
「終わったらすぐやるから、必要なモン持ってこいよ」
「……わかった」
 食べ終えた彼は、食器をまとめるとキッチンへ向かった。
 羽織はまだあと少し残っていて、でも……なぜかお箸が重たそうに変化してもいる。
「え?」
「……怒鳴られたらやだな……」
「きっと大丈夫。たーくん、丁寧に教えてくれると思うよ」
「それならいいけど……はー……なんか気が重い」
「どうしても難しかったら、あとで交替できるか聞いてみるね」
「うぅ。ありがとう葉月」
 きっと最後に残していただろうからあげが残っているものの、羽織はキャベツの千切りをつまみながらまたため息をつく。
 でも、普段と同じような形にはならないと思うんだよね。
 あんなふうに自分から言い出してくれたのは、ちゃんと想いがあるからのはず。
 いつもは、どちらかというとたーくんは羽織を構うような形で話す部分があるけれど、きっと……今日は最初から最後まで、フラットなんじゃないかな。
 さっきと同じくソファへ腰かけながら、スマフォを操作している彼。
 テレビは天気予報が流れていたけれど、週末の荒れ模様の天気はやっぱり今日も変わらないようだった。

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