| 
 
 たーくんの教授は、私がお風呂を上がってもなお続いていた。 
 食器を片付けながら見ていたけれど、彼は一度も声を荒げることなく羽織へ対応していて。 
 わからないと言っていた計算についても、おずおず質問したみたいだったけれど、たーくんはまったく面倒がることなくひとつずつ紙に書いて示していた。 
 声の抑揚はとても穏やかで、まるでひとつずつ羽織の反応を確かめながら提示しているようで。 
 途中からはむしろ、羽織のほうが積極的にほかの解法との違いを説明してほしがっていて、かなり密度の高いものだったように見えた。 
「…………」 
 本当は、声をかけてもいいんだけど……ぱっと見た感じ、かなり羽織は集中してるんだよね。 
 リビングをのぞいたとき、テーブルへ頬杖をついていたたーくんと目が合ったけれど、軽く払うように手を振られたから声はかけていない。 
 きっと、キリがいいと判断したところで、動いてくれるんだろう。 
 寂しいわけではないし、どちらかというと今はとてもいい流れだと思う。 
 たーくんがくれた、時間。 
 だからこそ……私は私で、しなければならないことがある。 
 でも、こればかりは誰に聞いても答えは出してもらえないもの。 
 自分で自分の行いを反省して、見つけなきゃいけないことだから。 
「…………」 
 そっと部屋へ戻ると、昼間手をつけたままの形で残っていた。 
 ……ああ、そうか。 
 写真の整理をしようと思って、途中でやめちゃったんだ。 
 机の上にはこれまで向こうで使っていたアルバムと、新しく整理できるように増やしたページがばらばらに置いてあって、ようやく結びつく。 
 昨日も、今日も……なんだかいろいろなことがあったんだよね。 
 これまでふたりきりで過ごすことのなかった、たーくんにとって大切な人たちとの時間は、私にとって貴重でとても濃すぎたようにも思う。 
 ……たーくんが一緒だったら、きっと違うのに。 
 彼にとって大切な人たちは、私にとっても同じ。 
 だけど……一緒に過ごせていたら、きっと今は違う時間になっていた気がする。 
 でも、必要だった時間だ。 
 菊池先生はあえて私しかいないとわかっていて訪れてくれたけれど、それは彼に意図があったから。 
 そして……今日。 
 アキさんに声をかけたのも、同じく私なりに意図があったからだ。 
「……ふふ」 
 椅子を引いて座り、アルバムの一番最初にあった写真を見ると、かなり小さい自分とたーくんに羽織、そしてお父さんが映っていた。 
 この家で撮った写真。 
 そばには、お父さんの字で当時の日付けと私たちの名前がそれぞれ記されている。 
 3人で過ごした時間は、これまでの人生を振り返ると本当に限られた時間で。 
 日々のほとんどを、覚えているような覚えていないような、残念な想いも半分ほどある。 
 だけど、楽しかったことはとても強く覚えていて。 
 叱られたことも少しだけ覚えているけれど、毎日楽しくて今振り返ってみてもその思いは変わることがない。 
 どうして覚えてないのかなっていう気持ちもあるけれど、きっと毎日毎日が大切で、いろいろな刺激を精一杯受け取っていたんだろう。 
 今は覚えていなくても、当時は毎日をちゃんと覚えていた。 
 ……そっか。 
 忘れてしまうから、写真を撮って残しておきたくなるのかもしれない。 
 時間が経つにつれて、どんな記憶も少しずつ変化してしまうから、“今”を焼き付けて覚えていられるようにと、自分自身に保険をかけるような意味で。 
「っ……」 
 ページを進めていくと、6年前、おじいちゃんの家で撮った写真が出てきた。 
 数人のいとこたちと過ごした、夏の日。 
 そこには羽織もいて、今と違うツインテールの姿がある。 
 羽織以外のいとことは、お正月あいさつへ行ったときに会えている。 
 当たり前だけど、この写真のころの面影はあるもののみんな大人になっていた。 
 ……6年。 
 一度だけ帰国した夏の日を、私ははっきり覚えているようできっとそれもぼやけてしまっているんだろう。 
 本宅の広い庭に面する縁側で、お父さんと日本の夏について話した気がする。 
 麦茶を飲んで、すいかだけでなくアイスまで食べて。 
 夜はバーベキューをしたあと、手持ち花火で遊んだ。 
 その日、お父さんは出かけてしまって夜は泊まってくるって言ってたんだよね。 
 珍しいなぁと思ったけれど、彼は『俺がそうするんだから、特別におじいちゃんちにお泊りだな』と言ってくれたことが、とても嬉しかった。 
 いつもは許してもらえない夜更かしも特別にさせてもらって、夜遅くまでみんなでトランプをしていたら、肝試しをやりたいと言い出した子がいて……結局、庭に出たものの恐くてやめたんだっけ。 
 いとこの中で年長者が、たーくん。 
 当時はもう今の私と同い年になっていて、バイトがあると言っていたにもかかわらず、バーベキューからずっと付き合ってくれていた。 
 ……そういえばあのとき、打ち上げ花火なのにふざけて手持ちにしようとして怒られたんじゃなかった? 
 ぱらぱらと写真をめくっていると、ふいに記憶が蘇ってくるから不思議。 
 ……そう。不思議なの。 
 動画ではないのに、風景や表情を見ていると、あのときの香りまで思い出せるような気がする。 
 記憶って、なくなるわけじゃないんだね。 
 むしろ、こうして当時を振り返ることで、“思い出せなかった”ものがふいに蘇ってくる瞬間があるんだから。 
「…………」 
 私にとってこのときの写真は、宝物そのものだった。 
 だってあのとき、小学生だった私にとって高校生のたーくんはとても大人で。 
 かっこよくて手が届かないほどの距離にいる、憧れの人だったんだから。 
 好きな気持ちは誰にも見つかってはいけない気がしていたけれど、表情には出てしまっていたんだろうな。 
 でもそれは、憧れという名の一過性のようなものだと周りの大人たちは苦笑していたかもしれない。 
 身近な存在に恋心に似たものを抱くのは、誰でもとおる道だと。 
 ……私はそう思っていたのかな。 
 たーくんが映っている数枚の写真は、本当に宝物だった。 
 傷つけてしまわないように、褪せてしまわないように、ずっと大切にしてきたんだから。 
 離れていて、きっとそう簡単に会えない人だろうけれど、だからこそ想いは募っていって。 
 自分が大きくなるにつれて、『彼ならどうするか』とときどき考えるようにもなった。 
 今の私を見て、たーくんはなんて言うだろう。 
 たーくんだったら、どんなふうに思うんだろう。 
 私にとって絶対的な存在だった彼に想いをはせることで、自分の行動を律してきたことは一度や二度じゃなかった。 
 そしてそれは……今もしかり。 
 彼に手を伸ばしてもらえた今だからこそ、たーくんならどうするかなとより鮮明に描けるようになっていた。 
 アキさんに聞かれたことだって、そう。 
 私はこう思う。でも……それじゃあたーくんは? と。 
 彼に与えてもらえた情報を繋ぎ合わせて、私の中でひとつのくっきりしたものに形を成しているからこそ、物事を客観的に判断できるある意味の根拠にもなっていた。 
「…………」 
 一番最近の写真である、先日プリントアウトしてもらったもの。 
 青空と緑の芝生が映える、結婚式の写真。 
 式の途中で私が泣いているものもあれば、たーくんと並んでお父さんに撮ってもらったところだけじゃなく……いつの間に誰が撮ってくれたのか、私が彼へケーキを差し出しているところまである。 
 私もたーくんも、笑顔そのもので。 
 笑いながらフォークを持つ私の手を引き寄せている彼は、とても優しい顔をしている。 
 ほんのつい先日のできごとなのに。 
 どうして今日、私はひとりでこれを眺めているんだろう。 
「…………」 
 特別な人でしかない。 
 私にとって、振り返ればずっと彼がそばにいて。 
 価値判断を求めるときの、ある意味の礎でもある人。 
 そばにいたいと願い、手を伸ばしても許される人に変わり、唇そのもので触れてもらえるまでになった。 
 なのに……軽んじたのは、私。 
 あれほど強く望んで、叶ったときは夢じゃないかと繰り返したほど嬉しくて、たまらなくしあわせだと思った。 
 強く感謝して、今そのものを大切だと改めて実感した。 
 それなのにどうして、本当に私でいいのか彼を試したりしたんだろう。 
 ……そう。試したんだ。私は。 
 本当に私でいいのか。 
 彼が今まで手を伸ばした人でなく、彼をずっと好きだった人でなく、私が許されていいのだろうかと。 
 だから……たーくんの言葉はどれも正論で、正しい。 
 彼のことだけでなく、過去の私自身の彼に対する気持ちまで、私はどこかで疑って傷つけたんだから。 
 少し離れたところから、ドライヤーの音がする。 
 時間は間もなく、22時。 
 明日もあたりまえのように平日で、みんなそれぞれ時間の遣い方は変わってくる日。 
 それでも……今日をこんな形で終えてしまってはいけないと思う。 
 ……このまま明日になるのは、嫌だ。 
 誰がどう考えたって、私がいけなかった。 
 たーくんでなければならない理由は、ひとつじゃない。ふたつじゃない。もっとたくさん。 
 謝罪だけでなく、きちんと彼に納得してもらえる形で、言葉で伝えるのは今の私の責任そのものだから。 
 
  
  
  
 
 
 
 
 |