「ねぇ、葉月ちゃん。聞いてもいーい?」
「なぁに?」
 絵里ちゃんにいただいたチョコレートケーキは、見た目よりも軽くて甘さ控えめだった。
 間に挟まれていたフランボワーズクリームとの相性もよく、それこそ大人のためのチョコレートケーキのよう。
 羽織と絵里ちゃんのケーキをひとくちずつもらったけれど、どちらもまったく味や食感が違っていて、とてもおいしかった。
 ちなみに、そのケーキ屋さんは窯出しプリンもおいしいんだって。
 その情報をあわせて伝えたら、たーくんは車を出してくれそうな気がする。

「葉月ちゃんって今、誰かとお付き合いしてる?」

 絵里ちゃんは両手をテーブルに置くと、きらきらしたまなざしで私を見つめた。
 彼女にはまだ、たーくんとのことを伝えてはいない。
 羽織が伝えたかどうかはわからないけれど、でもきっと口外しないでいてくれてるのね。
 ふいに目が合ったものの、羽織はにっこり笑っただけでフォークを口に運んだ。

「私は今……瀬那孝之さんと、お付き合いしてるの」

「…………」
「…………」
「……えっと……」
「うわ、なんかやばい。すごい、鳥肌立った!!」
「ね、ね、そうだよね!? 私も! なんかっ……なんかすごい!」
 紹介するまでもなくふたりは知ってる人物ながらも、フルネームを口にするとまるで違う印象を受ける。
 自分でしたのに、きっと私がいちばんどきどきしてるはず。
 ……そんなふうに口にしたこと、今までなかった。
 いつだって……ううん。
 出会ったころからずっと私は、彼を『たーくん』としか呼んでこなかったから。
「ふああちょっとぉおお詳しく! そのへん詳しくお聞きしてもいいかしら!?」
「えっと……そんなにおもしろい話はできないと思うけれど、いいかな?」
「もちのろんですとも! てか、はいはい! 質問したい!」
「ふふ。どうぞ」
 紅茶のカップを両手で包むと、温かさが心地よかった。
 ……あ、でも。
 たーくんとのことは“事実”だから、話せる範囲なら構わない。
 でも、羽織はどうだろう。
 まさに血縁者である彼女にとって、あまり気持ちのいい話じゃないならば、やっぱりそれは避けたいと思う。
「え?」
「……羽織は平気?」
「私? なんで?」
「だって……自分のお兄さんの恋愛の話って、嫌じゃない?」
「別に……んーと、なんていうかむしろ意外なこと聞けそうじゃない? へえーって思うようなこと。弱みを握るわけじゃないけど、なんか……えへへ。普段のお兄ちゃんと絶対違う姿見せてるだろうから、聞いていいなら教えてほしい」
 意外そうなというかどこか不思議そうな顔をした羽織が、にっこり笑ってうなずいた。
 本当に素直だなぁと思うし、受け入れてくれようとすることがとても嬉しい。
 あれは、1月の末。
 たーくんとお父さんが車を見に出かけたとき、羽織には思い切って伝えることにした。
 4月から大学へ進むことも決まっていたし、確かにあのときは曖昧だったけれど、一緒に暮らす以上は絶対必要なことだと思ったから。
 ……でも、本当にどう言っていいのか悩むというか、どきどきするもので。
 少しだけ時間の遅いお茶になってしまったけれど、クッキーと紅茶と一緒に少しだけ時間をもらった。
 あのとき羽織は、私がたーくんを好きなことを伝えるとほんの少しだけ驚いた顔を見せたけれど、次の瞬間『ごめんね』となぜか謝罪された。
 というのは単純な話で、『葉月を見てたらそうなのかなってなんとなく気づいてたの』と言われてしまった。
 自分では意識してなかったんだけど、きっと言葉の端々や表情が違ったんだろうな。
 だからむしろ謝るのは私のほうで、聞くに聞けなかったんだとしたらかえって申し訳なかったことは伝えた。
 ……でも、あのときは何度も確認されたんだよね。
 『本当にお兄ちゃんでいいの?』と。
 羽織にとってのたーくんは、未だに口喧嘩の相手で絶対譲ってくれなくて頑固で意地悪なんだそう。
 でも、私からするとたーくんと羽織はとっても仲がよくて、彼自身かなり手加減しているのがわかる。
 というか……きっと羽織がかわいいから、わざとちょっかいを出すような言葉を選んでるんだろうなと思うの。
 だって本当に羽織が困っているとき、彼は率先して助け舟を出してあげているから。
 1ヶ月前のセンター試験のときも、そして瀬尋先生と何かあったのかなと思うような落ち込み方をしているときも。
 羽織へ直接声をかけることもあるけれど、私がいたときは『アイツ何かあったか知ってるか?』と気にかける言葉をよく聞いていた。
「孝之さんのどこが好き?」
「えっと……難しいね。部分じゃないから……全部としか言えないかな」
「んまー! そんなこと言ってもらえるとか、彼氏冥利に尽きるでしょ!! どうしよ、録音して取っとく?」
「んー……それは喜ばれないと思うよ」
 きらきらしたまなざしで提案してくれたものの、一応は首を横に振っておく。
 たーくんが嬉しそうに笑ってくれる想像は、やっぱりできない。
「そういう絵里ちゃんは、田代先生のどこが好きなの?」
「ふぉ!? え、やだ、私のなんて聞いてもおもしろくないわよ?」
「そんなことないでしょう? だって……ふふ。この間迎えにきてくれたとき、とっても嬉しそうだったから」
 あれもまた先月のこと。
 どうやら田代先生と喧嘩してしまったらしく、絵里ちゃんが泊まりに来たこともあった。
 そのとき初めてお話をしたけれど、とっても優しそうな方で、絵里ちゃんが安心して自分の意見をぶつけられる人なんだなという印象を受けた。
 本当の自分を見せても、変わらずそばにいてくれる。
 それって、まさに自分を丸ごと肯定してもらえる特別なことだと思う。
「…………」
 本当の自分。
 普段、たーくんと接していても特に自分が自分らしくないと感じることは少なくて、確かによりよく見せたい気持ちはあるけれど、でも思いをそのまま伝えてはいる。
 だから、ひとりでいるときの私と、彼と一緒にいるときの私はそんなに相違ないと思ってはいるけれど……もしかしたら違うのかな。
 等身大よりももっと背伸びをしている面も、そういえばあるのかもしれない。
 だとしたら……私が都度思うようなことを彼に伝えたら、どんなふうに言われるだろう。
 ……離れられてしまう?
 きっとそれはない……と思いたいけれど、でも彼がどう受け止めるかはわからない。
 それと同じように、私の知らないたーくんのことを知ったとき、私はどんなふうに感じるのかもある意味では未知数。
 私はまだ、たーくんのことを詳しく知らない。
 クリスマスイブ、瀬尋先生にお会いしたとき彼は『みんなの知らないアイツを知ってる』と教えてくれた。
 でも……裏を返すと、『みんなの知ってる彼を知らない』ことになる。
 ……みんなの知ってるたーくんって、どんな人なんだろう。
 同じように、みんなが知ってる私って……どんなだった?
 こちらで“みんな”と過ごしたことはまだないけれど、向こうでは大勢の人たちとともに過ごしてはきた。
 何度かたーくんに伝えたけれど、決していい子ではなかったのも本当。
 怒ることがないかと聞かれたけれど、あれだって……もっと感情的になったことや、誰かを悪く思ったりしなかったことがゼロじゃないからこそ、等身大よりももっと“よい子”を演じているようにも思う。
 きっとみんな、自分のことは自分が一番よく知っていて。
 いい面も悪い面もわかっているから、人と接するときには無意識のうちに“変えて”いるはず。
 ……私をそのまま出しても、たーくんは変わらないでくれる……よね?
 とはいえ、実は“みんなが知らない自分”をそもそも私がよく知らないかもしれない。
 となると……もう少し興味を持たなければいけないんだろうなとは反省する。
 自分が自分であることがどういうことか。
 そして、人から見られている私がどういう人なのか。
 少しだけ哲学めいたことになってはいるものの、でも今はふたをしておこうかな。
 だって、仲良くなりたいと思った子と話せるのは今なんだもの。
「もちろんだけど、私のことは聞きたいことを教えてくれればお話するね。でも、私はふたりがどんなふうに思っていて、いつも大切な人とどう過ごしているかもできたら教えてほしいと思うの」
 少しだけ頬を染めた絵里ちゃんに、最後のひとくちを食べきった羽織。
 それぞれの顔を見ながら笑うと、ふたりは目を合わせてから少しだけ照れたようにうなずいた。
 
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