「さてと、そんじゃま行くわよ!」
「うー……いいのかなぁ。だってなんか……や、あの、行きたいけどね? 行きたいけどでも、焦るっていうか」
「さっきも言ったけど、気分転換ってやっぱ大事よ? 最近全然外出てなかったらしいじゃない。だったらなおさら、メリハリつけて帰ってからフルスパートかけなさいってば」
 15時を少し回ったところで、絵里ちゃんと羽織が買い物へ出かけることになった。
 というのは、ショッピングモールに入ってる羽織が好きな服屋さんが今日、これからタイムセールをするとのこと。
 聞いた瞬間目を輝かせたものの、羽織はやっぱり心配そうな顔を見せた。
 でも……行きたいって思ったなら、その気持ちは大切にしてほしいのは私も同意見。
 今までもずっとがんばってきたんだもの、少しくらいの息抜きは絶対的に大切なはず。
 何もこれからずっと出かけるわけじゃなくて、すぐに帰ってくるんだもん。
 メリハリの言葉で羽織はどうやら納得したらしく、『わかった。春に着たい服を買って、新しい目標にする!』といい笑顔を見せていた。
「でも残念。葉月ちゃんと一緒に買い物行きたかったー」
「ほんとほんと。ねぇ、また今度は絶対行こう?」
「ぜひそうさせてね。誘ってくれて、ありがとう。次も楽しみにしてるね」
 私も一緒に出かけたい気持ちのほうが強かったものの、向こうで送った大型の荷物が今日届く予定になっていた。
 この時間まで待ってみたもののまだ届かず、本当に残念。
 せっかくだから、ふたりとはまた改めてお出かけしたいと思う。
「根詰めるより、いろんな教科やったほうが同時に頭に入るしね。ずっと同じ教科やるより能率あがるから、休憩しながらやんなさいな」
「うん。がんばる」
「それじゃ葉月ちゃん、また帰ってきたら勉強見てやってもらえる?」
「もちろん。何時まででも付き合うから、ゆっくり行ってきてね」
「うぅ、葉月ありがとう!」
 にっこり笑ってふたりを送り出し、玄関の鍵を閉める。
 この時間じゃ、まだ誰も帰ってはこない。
 ……あ。洗濯物はもう乾いたよね。
 リビングに戻ってカップを片付けてから、今度はお庭へ。
 家にいても、仕事があるのは楽しいと思う。
 誰かのために……なんて大それた理由ではなく、できることがあるのが嬉しい。
 ……ましてやこの場所は、大好きな人が育った大好きな人たちのいるところで。
 向こうで過ごしていた時間とほぼ同じサイクルで動けることも、やっぱり安定的で嬉しかった。
「……あ」
 からりと乾いた洗濯物をバスケットへ入れてリビングに戻ったとき、ちょうどチャイムの音が響いた。
 荷物が届いたのかな。
 手がふさがっていたこともあり、バスケットを置いたまま玄関へ向かう。
 夕方届く、とは聞いていた。
 正確な時間は見なかったけれど、きっと違いないはず。
 ぱたぱたと急いで玄関へ向かい、ドアを開ける。
 すると、西日の穏やかな光を浴びながら少しだけ驚いた顔をした人と目があった。
「菊池先生……」
「こんにちは」
 彼と会うのは、お正月以来。
 話を聞いていたぶんではたーくんはつい先日も会ったみたいだけど、こんなふうに家を訪ねてくるのもあの日以来だ。
「たーくん……じゃないですよね? 羽織も出かけてしまっていて」
「あーなるほど。んじゃ今、葉月ちゃんひとり?」
「はい」
 にっこり笑った彼は、少しだけすまなそうな顔をすると両手を合わせた。
「ちょっとだけさー、お茶か何か飲ませてもらってもいい?」
「もちろんです。どうぞ」
「ありがとー。恩に着るよ」
 菊池先生って、とっても感情豊かな人なんだなと思う。
 たーくんもわかりやすいけれど、なんていうのかな……羽織とはまた違うっていうか。
 今しがた申し訳なさそうな顔を見せたのに、次の瞬間には人懐っこい笑みを浮かべていて、見ているだけで楽しい気がした。
「コーヒーか紅茶か、日本茶もありますけれど。どれがいいですか?」
「それじゃ、コーヒーもらえる?」
「はい」
 たーくんや羽織からは、彼は小さなころから家族みたいなものだと聞いている。
 母方の従弟とあって、距離も近いんだろうな。
 お正月のときには、瀬尋先生とも冗談交じりに大きな声で笑っていた。
「あのさー葉月ちゃん。いっこ言ってもいい?」
「なんですか?」
 テレビをつけていないから、室内に音はほとんどない。
 リビングの大きな掃き出し窓の向こうは、オレンジの夕日を浴びて庭の芝生が金色に染まってるように見える。
「俺だって確認しないでドア開けた?」
「あ……はい。今日、荷物が届く予定だったので、つい」
「それはねーアウト。てか多分、ソレやったってアイツが知ったら怒られるヤツ」
「……そうですね。すみません」
「ほんとだよー。俺じゃなかったら危ないよー? 誰もいない家でひとり留守番してるんだもん。ましてや女の子だし、腕力じゃ絶対敵わないからね。今度は必ず確認してからドア開けて?」
「ありがとうございます」
 自分用にベリーの紅茶を選び、彼へ淹れたコーヒーとともにトレイでリビングへ。
 すると、あぐらをかいて普段たーくんがするみたいに、両手を後ろについて身体を支えてみせた。
「ばーちゃんの話聞いてるとさ、昔は玄関の鍵も閉めずに近所の人が勝手に入って来たーみたいなの聞くけど、あれはもはやおとぎ話レベルだね。日本はみんないい人じゃないし。かもしれない、じゃなくて必ず見なきゃ」
「そうですね……今日のことは、たーくんには内緒にしておいてもらえますか?」
「およ。俺と約束結んじゃう? 高いよー?」
「ふふ。できればお安くしてください」
 ソーサーではなくコースターへマグを置き、腰を下ろしてから自分用のマグを手にする。
 すると、小さく断ってから彼が手を伸ばした。
「俺の妹、ひとり暮らししてるんだよねー。おんなじ話、夏にしたからついデジャヴっちゃった」
「妹さんがいらっしゃるんですか?」
「うん。アイツも葉月ちゃんと一緒で、確認しないで出るクセあるからさー。叱ったのよ。優しいお兄ちゃんでしょ? 俺」
 菊池先生にはお姉さんがいると、羽織からは聞いていた。
 そして、その彼女は間もなく出産予定だとも。
 でも、妹さんがいることは聞いたことがなく、そういえば伯母さん側のいとこについては、ほとんど知らないと気づく。
 お正月に遊びにきた義弘君と、菊池先生。
 ふたりのことは知っているけれど、ずっとずっと少ない情報でしかない。
「菊池先生、優しいですね」
「んーどうかなー? だって今日、孝之がいないだろうなってわかっててこの時間にきたんだよ?」
「え?」
「葉月ちゃんと個人的に仲良くなりたいなーって思って、あえてこの時間狙ったんだから」
 コーヒーをひとくちだけ含んだ彼は、とても柔らかく笑った。
 たーくんとは違い、少しだけ長めの髪が動きにあわせて流れる。
 男性なのに、どこか中性的な印象を受けるのはどうしてだろう。
 でも……そのセリフは、どういう理由から?
 彼とはこれまで、個人的な接点を持ったことはない。
 初めて会ったのは11月の試験に帰国したときで、そのあとはお正月。
 いつもたーくんと一緒だったし、菊池先生から話しかけられたことは数える程度。
 プライベートな話をしたのは、まさに今日が初めて。
 たーくんだけじゃなく、羽織や伯母さんたちもいない中、1対1でこんなふうにお茶を飲むなんて想像もしなかった。

「邪魔なヤツがいない間に、口説きにきたんだ」

「え……?」
「意味わかるかな?」
 まるで身を乗り出すかのようにすぐここへ頬杖をついた彼は、少しだけ笑顔を変えるとどこかたーくんに似た艶のある表情を見せた。

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