「あー、腹いっぱい」
「たーくん、朝もたくさん食べたのに、よくあんなにお昼食べられるね」
「まぁな。ダテに頭使ってねーぞ」
図書館は人がまばらだったけれど、お昼時の学食はかなりの混雑を見せた。
当たり前のように席を確保したたーくんと違い、すでにランチの乗ったトレイを持っているのに座れない人も数人いて、そんな人たちは中庭へ移動してピクニックさながらの光景を作り出していた。
たーくんって、本当にそつないよね。
というか、持っているものがあるとでもいえばいいのか。
器用だし、タイミングもいいし。
一歩遅れてしまう私とは大きく異なる。
「やっぱウチの……つーか、お前のからあげと違うんだよな」
「そうかな? おいしかったよ?」
今日のBランチはミックスフライだった。
私はオムライスにしたんだけれど、ひとくちずつの交換となったことで、私も小さめのから揚げをひとつもらった。
生姜とにんにくの香りがしっかりついている、鶏のから揚げはジューシーでおいしかった。
でも、そう言いながら『なんか違うって思うんだよ』と言ってくれた彼を見て、内心とても嬉しがっている私はあまり性格のいい子じゃないかもしれない。
「あ、待って。ちょっとだけ教学課へ寄ってもいい?」
「ああ」
学食前にある掲示板には、数人の人たちが張られている紙を確認したりと学食と同じように混んでいた。
そんな中、見覚えはないものの一度来たことのある建物が目に入り、バッグから取り出すのは水色の封筒。
それを見て、私ではなくたーくんが声を上げる。
「っおま、出してなかったのか」
「うん。たーくんと一緒に出しに行きたかったの。……よかった、2月になるまえに出せて」
急ぎではないと彼から聞いていたけれど、でも、待っている人がいるならば本当はもっと早く手続きしなきゃいけなかったんだよね。
なのに、わかっていながら自分のわがままで今日まで延ばしてしまった、書類。
先週たーくんに渡された、訂正の必要な大事なもの。
「はー……。お前ってンとにつくづく真面目で律儀で頑固だな」
「ふふ。真面目で律儀じゃないけど、頑固なのはうなずいちゃうかな。……でも、謝らなきゃいけないね」
「いや、どっちかっつったらそれもひっくるめて俺のせいだろ」
「もう。たーくんのせいじゃないったら」
扉を開けると、数人の学生が窓口にいた。
でも、私ではなくたーくんに気づいたらしき女性が、にっこり笑ってこちらを手招く。
「いいわよ、こっちでやってあげる。どうしたの?」
「ありがとうございます。これをお願いしたいんですが」
「あら。じゃあ……そう。あなたが瀬那君の従妹ちゃんね。ようこそ七ヶ瀬へ。ご入学おめでとうございます」
「ありがとうございます。もう迎えていただけるんですね」
「そりゃもう。成績優秀、容姿端麗なんて、言うことないじゃない。さすが由緒ある瀬那家ね」
「あざっす」
にこやかに対応してくださる女性は、愛嬌たっぷりにたーくんへウインクを見せた。
隣に立つ彼が笑い、その様子を見てか事務仕事をしている人たちも小さく笑う。
ああ、すごいな。
やっぱりたーくんって、たくさんの人に好かれるんだね。
声も通るし、背もあるし、そして……成績優秀、容姿端麗は彼のことを表す言葉。
彼自身が人目を惹くから、並ぶだけでこんなにおすそわけがもらえるらしい。
「せーなーさんっ」
「うわ。……またすげぇカッコしてるな」
「そこはかわいいって言ってくれます?」
「いや、そんな短いスカートに高いヒールとか、完全に遊びにきてるじゃん」
「きてませんよー! もー。ひどいなー」
両手で彼の背中へ触れたらしく、たーくんがテーブルへ両手をついた。
振り返ると、かわいらしいというよりも、やはり同じように目を惹く女性。
きちんとメイクもほどこされていて、いかにも大人の女性に見える。
「かわいい子連れてますね。もー。なんで私とはデートしてくれないんですか」
「いや、これデートに見える?」
「見えますよー。いーなー。私も学内デートしたいー」
にこにこ笑っているけれど、彼女は私を見てはいない。
そして……さりげなくずっと、彼女はたーくんに触れていた。
最初は背中。そして、腕。
たーくんは腕を組む形でそれを払ったけれど、すぐに彼女は袖口をつかんだ。
彼の行為が無意識かどうかはわからない。
口ではいろいろ言いながらも、笑顔がある。
……普段とは違う姿、なんだよね。
表情もそうなら、口調もそう。
声も、普段よりは少し高い。
「はい、おまちどうさま。ごめんなさいね、わざわざ来てもらっちゃって」
「いえ、お預かりしていたのに遅くなってしまって、すみません」
「いいのよー。それじゃ、4月まであと少しだけど、待ってるからね」
「ありがとうございます」
書類の確認をしていた女性が戻ってきて、私へ右手を差し出した。
両手で受け取り、そっと握手を交わす。
あたたかい、大きな手のひら。
ああ、きっとこの人も誰かのお母さんなんだろうな、なんてついよく考えることが頭に浮かんだ。
「っと、悪い。仕事戻るわ」
「えー。コーヒー飲みに行きましょうよー。おごりますから」
「別のヤツにおごってやって」
彼女へ頭を下げてからドアへ向かうと、背中でたーくんの声が聞こえた。
当然ブーイングにも似た声があとを追い、引き止めるセリフが続く。
「っ……」
「言ったじゃん、デート中だって」
ドアへ当てた手の甲を、たーくんがつかんだ。
そのまま引き寄せられ、先に外へ出た彼に続くかたちで段を下りる。
ブーイングは大きい。
それだけじゃなくて、外にいた数人の人たちが意外そうな顔をしたのがわかった。
たーくん、じゃない。
彼が手をつないでいる、私を見て。
「た、たーくんっ」
「……お前、俺を置いてくとかいい度胸だな」
「だって、話してたから……」
「話してたように見えたか? ひとりで戻ろうとするとか、ありえねぇ」
図書館へ向かう途中で、するりと手が離れる。
ううん、離した、の。
だってこんなふうに、こんな場所で私に触るなんて、それこそありえないことだ。
「よかったな、手続き済んで。あとはもう、入学まで待つだけだろ?」
「う、ん。大丈夫だと思うよ」
ふいに触れられた感触が、あの夜と重なって鼓動は速いまま。
振り返った彼はいつもと同じ顔で、私だけが取り残された気持ちになる。
デート、か。
……デートって、なんだろう。
向こうにいたとき、友人らの間で『D8』という文字がメッセージ上で流行った。
Dとeightを合わせて『date』とする略語のようなもの。
そういえばあのころ、友達はどんなふうに時間を過ごしていたんだっけ。
「葉月?」
「あ……えっと、なあに?」
外階段の途中でぼんやり考えごとをしてしまい、先にドアを開けてくれていたたーくんが眉を寄せた。
違うの、ごめんね。
ちょっとだけ考えごと。
「15時前には上がるから、もちっと待ってろ」
今日は平日だけど、これまでずっと残業続きだったことがあってか、早く上がらせてくれることになったらしい。
これまでずっと……そう。
たーくんがひとりで過ごしていたあのころ、彼はずっと閉館作業をしていたと聞いて、なんともいえない気持ちになった。
「じゃあ、そのころ下りてくるね」
「ああ」
カウンター前で別れ、先ほどまでと同じフロアへ戻る――前に、すぐそこの雑誌コーナーへ立ち寄る。
見たいものは、ひとつ。
本屋さんでもインターネットでも、ついつい目にしてしまうことが増えた、湯河原温泉が特集されている雑誌を読むために。
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