「つーか、今日って遠足の下見じゃなかったわけ?」
「あー、ンなこと言った気がするな」
沼津港での深海魚寿司は、思いのほか美味かった。
つか、普通の白身魚と大差ねぇとか意外だぜ。
脂も十分のっていて、口どけ柔らか。
臭みはゼロで、知らずに出されたら疑問も持たずに『美味い寿司』でしかない。
「牧場か山、どっちがいい?」
「すげぇ二択」
「もしくは水族館ってのもあるけど……まぁ、そこは行かねぇな。つか、多分他県には行かない」
「んじゃこっちまで来ちゃダメじゃん」
「しょーがねぇだろ。お前が寿司食いたいっつーから」
「ンで俺のせいなんだよ」
もともと今朝、俺を迎えに来たときは『遠足で行くかもしれない場所の下見に付き合え』だったにもかかわらず、結局熱海から山を越え、一般道で沼津港一直線。
どう考えても遠足ではこないだろう場所だけに、そういやなんで今日ここに来たんだと思い出さなきゃならない程度には理由が失せていた。
つか、遠足だったらそれこそ車じゃなくて電車じゃねーの?
それに、冬瀬からなら熱海方面まで来るよりかは、いっそ東京方面のほうが近い気もする。
思い返してみても、俺は遠足でわざわざ静岡まで来た覚えはない。
中学でも当然な。
「牧場も静岡じゃん」
「ンだよ。じゃあ山でいいな」
「いや、腹いっぱいの状態で上るとかキツくね?」
「上るとか律儀じゃん。俺は駐車場で待ってンから、それじゃ感想よろしく」
「なんで俺がひとりで登山なんだよ。おかしくね?」
どう考えても理不尽だろそれ。
スマフォの地図アプリで牧場を検索すると、引っかかってくるのはすべて函南や御殿場などある意味で県境だが静岡県側。
ま、ルート的にはどっちみち同じだけどな。
ふたたび見えてきた箱根山を上がる長い坂道を見ながら、この時期に登山ってなかなかキツくねーかと思いながらも小さく欠伸が出た。
「……いや、まさかこんな人いるとか思わなかった」
「まぁ梅の時期だしな。当然っちゃ当然じゃね?」
窓を開けると、かすかにどころかがっつり梅の花の香りがし、それこそハイキングにでも行くんだろう格好の人間が両サイドの道を山に向って歩いている。
駐車場は満車。
季節柄臨時駐車場も各所に設けられているが、長い車列ができている。
山というからどこかと思いきや、まさかの湯河原町にある幕山で。
ちょうど梅祭りのシーズンらしく、他県ナンバーもかなり見受けられた。
「…………」
つか、まさかこうも毎週毎週湯河原に来るハメになるとは思わなかったぜ。
何年も縁遠い場所だったのに、こうも身近になるとはな。
……今週は来ないって思ったんだけど、まさか俺じゃない車でくるとは想像しなかった。
ある意味、すっかり俺にとっても縁ある場所に変わったってことか。
「あー、どうすっかな。こんだけの人じゃ、山上るってのもなかなか難しいか」
両手をハンドルへ乗せたまま、壮士がひとりごちた。
まぁ確かに、人はわんさかいるだろう。
登山道がどれほどのものかはわからないが、きっと車と同じく渋滞はするだろうな。
「大人の遠足に変えるか」
「は?」
「熱海城と秘宝館」
「男ふたりで行って何が楽しいんだよ」
「あれ、行ったことある?」
「大学ンときな」
どちらも熱海にある、いわゆるソッチ系の場所。
シャレにはなってるし、検索すれば当然のように情報はわんさか出てくるだろう。
グループで行ってぎゃあぎゃあ笑いながら見るのはおもしろいかもしれねぇけど、なんで壮士とふたりで行くんだよ。
……おもしろくねぇじゃん、絶対。
だったらまだ、葉月を連れてきたほうがよっぽどおもしろい気はする。
反応を見れるって意味ではな。
「なんだ。葉月ちゃんと来たんじゃねーの?」
「あのな」
うっかり思ったことを指摘され、大きめに舌打ちしておく。
あー、しないって。やめとこ。
葉月が恭介さんに口を滑らせた日には、間違いなく俺の寿命が縮みそうだ。
「ンだよ。せっかくこっちまで来たのに、単にメシ食っただけで終わるじゃん」
「よくね? 深海魚美味かったし」
「まぁな。あ、次は静岡といえばのハンバーグ食いに行こうぜ。あれは食っとかねぇと損する」
「へぇ。どこにあんの?」
「沼津」
「どんだけ沼津推しなんだよ!」
「いや、御殿場にもあンけどな? そこは日本一混むってふれこみなんだよ。ちっと足伸ばせば待たずに食えるんだから、そっちでいいじゃん」
「わーった。んじゃ、次はハンバーグな」
「あ、だからそれこそ伊豆の帰りでいいじゃん。やっさんにも食わして、店で出させよーっと」
ケラケラ笑いながら言われ、つられて噴きだす。
大した距離じゃない。そりゃな。
きっと、壮士も俺と同じで車を運転することがそもそもの目的っぽいし、結局行くのはどこでもいいんだろう。
……あー。どーすっかな。
このまま駐車場待ちの列に並んでいてもいいが、どうせここまで来たなら……と思いもする。
口に出してやってもいい。
が、まぁ……そうだな。
伸るか反るかは、相手次第ってことにしとくか。
「……え? うわ、なんだこれ」
財布に入れたままだったチケットを抜いて壮士の目の前へ出すと、案の定手を伸ばした。
日帰り入浴券。
ちなみに、湯上り処ではソフトドリンクが1杯無料でついてくるおまけ付き。
「期限はねぇけど、なかなか使う機会もねーし。遠足には向かねぇけどな」
「遠足の候補地探しはまた別日だな。春に行く場所は決まってるし、また来年のために春先付き合え」
「行くならせめて、イベントやってるかどうか下調べしてからにしようぜ」
「それな」
ちょうど前の車が動いたのを見て、ハザードを焚いた壮士が右へ旋回。
対向車はゼロ。
受け取ったチケットをくわえてハンドルを切る姿が、自分と似て小さく笑う。
今週はまず、足を伸ばす予定じゃなかった場所。
だが、結局こうやって行くハメになるってことは、そろそろ諦めたらいいらしい。
どんなふうに思っていても、やっぱアイツがそばにいないのはおもしろくないんだな。
果たして今日会えるかどうかはわからないが、駅方面へと左折したのを見ながら小さく苦笑が漏れた。
「……はー。風格すげぇ」
「だろ。ひとりじゃ来れねぇんだって」
「いや、そこは葉月ちゃん連れて来いよ。家族風呂とかなら混浴できんだろ」
「あー……まぁいろんな事情ってヤツがある」
たった1ヶ月の間に何度目にしたことか。
流浪葉の文字を見ながらエントランスへ向かうと、そういや来るたびに伴う人間は違うなと気づく。
今日、俺がここに来ることを女将や美月さん、そして葉月も知らない。
当然だ。
そもそも、俺だってここにくる予定じゃなかった。
恭介さんが今も部屋を取って泊まっているのかは知らないが、無論彼にも伝えてはいない。
……つか、俺が来るって伝えたら、なんとなくだけど理由を具体的に述べねば許されない気もするしな。
いくら許可を得たとはいえ、事実上手を出していいってわけじゃなさそうだし。
いや、言わねぇけど。勿論。
大人になるってのは、秘密を抱えるってのと同義だろうし。
「昔、それこそ初任のころの職員旅行で一度だけ泊まったことある」
「へぇ。ここに?」
「ああ。若女将が出迎えてくれたくれたけど、まぁホントに若くてきれいな若女将で、すげぇ印象に残ってる」
ああ、もちろん風呂と飯もうまかったけど。
付け足された情報ながらも、壮士としては最初のほうがインパクト的にもデカいようで、『いらっしゃいませ』と出迎えられたときにはもうすでに、今の今まで見せていた顔とは違い、明らかに猫かぶったようなモンに変わっていた。
あー、そういう顔だけ見てりゃ立派に先生だな。
変わり身の速さは、ある意味俺と同じか。
「いらっしゃいませ、ようこそ流浪葉へ」
「ようこそおいでくださいました。今日はお客様としてですね」
「お世話になります」
にこやかに迎えてくれたスタッフは、先週とは違う。
が、フロントにいたひとりは俺を覚えていたようで、一瞬だけ意外そうな顔を見せた。
「いろいろツッコミたいことは多いけど、とりあえず風呂で聞かせろ」
「何を」
「俺に話してねぇことあんだろ?」
受付を済ませたところで、ぼそりとつぶやかれたセリフはさすがとも言うべきか。
腕を叩いた壮士が見た先には、すっかり見慣れた光景に変わりつつある、美月さんと葉月の着物姿があった。
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