明るい時間に入る風呂は、あのときとはまた違ったよさがあった。
海までの眺望は、この時間ならではか。
日没のころの写真が貼られており、ああどの時間でもきれいなんだろうとは思った。
「にしても、まさかここのお嬢様とはね。あの若女将の娘とか、どうりでいい女の匂いするわけだ」
「……ンなセリフ吐きそうにない顔してたくせに、ほんと瞬間的に変わるな」
「よく言われる」
湯上り処で壮士が頼んだのは、“濃い目”と冠のついた冷茶。
グラスではなく、氷とともにポットで運ばれてきたのを見て、今しがた店員とやり取りしていた姿は明らかに『社交的な分別のある大人』だった。
にもかかわらず、店員が去った瞬間の顔はいかにも『ダメな大人』で。
あー。
俺よりもよっぽど、世渡りうまいだろお前。
「寂しいからって、俺を口実にすんなよ」
「……は?」
「葉月ちゃん、会えなくて寂しかったんだろ?」
「先週も会ってるっつの」
「でも日常にいねぇから、足向けたんじゃねーの?」
「違う」
きっとな。
だが、どこかで口実にしたとは言い切れない。
せっかくここまで来たなら、って思った気がしなくもない。
……寂しいわけじゃなくて、なんかおもしろくない気はしてるけどな。
当たり前に変わった景色が元通りになったことが、なんかつまんねぇとは思っている。
「つか、万年寂しい壮士に言われたくない」
「あ、お前何それ。喧嘩売ってる? 買うよ? いいのか? 嫁さんの実家でコト起こしても」
「起こす気ねぇくせに」
「わかんねーだろ」
瞬間的に変わるくせに、根本的な部分は俺と同じ匂いがする。
クソ真面目。
ましてや今の仕事から離れる気ゼロだからこそ、まず選ばないともわかる。
つか、起こすって何起こすんだよ。
他人のフリして見てみるのも、おもしろいかもなとは一瞬思った。
「俺だって別に去年は寂しくなかったし」
「最近じゃん」
「あー違う。結婚してたの、夏だからもう一昨年だな」
「すげぇ昔じゃん」
「うるせぇよ」
あのときと同じジンジャエールを飲むと、辛さが喉にきた。
悪くない。うまいと思う。
頬杖をついて窓の外を眺めながら壮士が見せたのは、それこそ先生に悪戯がバレたみたいな小さな子どもさながらの顔で、うっかり吹き出すことにはなった。
「……お、噂をすれば」
「は? ……うわ」
「なんで隠れんだよ」
「いや、なんか」
「完全に浮気バレしないための行動じゃん」
「ちげーよ」
昼はがっつり食べたが、それとは別に小腹が減った気がしてメニューを眺めてたものの、うっかりそれで顔を隠す。
あからさまに怪しいのはわかってる。が、咄嗟だ咄嗟。
メニューを伏せ、代わりに頬杖をついてそっちへ背を向けると、同じように頬杖をついたままの壮士はにやりと笑った。
「俺が手ぇ振ったら気づきそうじゃん?」
「やめろ」
葉月が、タオルや館内着を渡すフロントに声をかけたところまでは見たが、そのあとは知らない。
壮士はがっつりそっちを見ているようだが、まぁ多分ここまで気づかれねぇだろうよ。
今ここに俺がいるとバレちゃまずいわけじゃないものの、気づかれたらなんとなく気まずい気はして。
今日来ると伝えてないってのもひとつ。
あとは……なんとなくアイツの表情が変わる気がして、それもなんかなと思っただけ。
「あ」
「あ? っ……ンだよ」
「見んな。妬くぞ」
「はぁ?」
そっちを見たままの壮士があからさまに反応したせいで、振り返ろうとした……ものの、メニュー表で遮られた。
いや、意味わかんねぇ。
行動もそうなら、なんだそれ。
妬くってなんだよ。
ンな感情、きっと俺にはない。
……多分な。
好きになるのがどういうことかも、つい先日ようやくわかったような俺が、その先の感情なんて……まぁわかんねぇけど。
「…………」
「な? 腹立つだろ?」
「別に」
「ンでだよ」
ちらりと見ると、葉月がワイシャツ姿の若いスタッフと話しているところだった。
笑顔でやり取りし、ぺこりと頭を下げる。
やや距離が近い気はするが、まぁそんなもんだろ。
周りがざわついているせいで言葉が聞き取れないってのもあんだろーし。
……まぁひとつ言うなら、男が葉月へ手を伸ばしてまるで内緒話みたいな仕草をしてるのは少し気になったけどな。
「…………」
まじまじ見ていたつもりはないのに、一連の流れが目に入る。
少しだけ距離を取った葉月が、頭を下げてから……ほんの少しだけ表情を変えた。
普段、まず見ない顔。
それこそ、ため息をついたかのような姿にも見え、憂いにも似た表情が普段よりも大人びて見える。
が、浮かべたのはそれこそほんの一瞬。
何かに気づいたわけでもないだろうに、とん、と軽く胸に手を当てるといつものような笑みを浮かべた。
「コト起こしてこいよ。おもしれぇから」
「あのな」
ニヤニヤ笑った壮士に舌打ちし、残ったジンジャエールを飲み干す。
つか、別にそんな顔してない。
何もおもしろくねぇし、そもそも俺が動く意味がわかんねぇ。
「動画撮っといてやる。あとで送ってやるから、葉月ちゃんのID教えろ」
「断る」
つか、なんでそこでアイツのIDなんだよ。
おもしろおかしく俺のこと告げ口するためでしかねぇじゃん。
だが、スマフォを手にニヤニヤ笑う様は、俺が動いたら本気で撮る気だとはわかる。
失礼だぞ。俺で遊びやがって。
だからこそ、何がなんでも動きはしない。
たとえ今アイツがあそこで、うっかり抱きしめられようともな。
「いいのか? 暗がり連れてかれて、口説かれちゃうかもしんねーぞ?」
「口説かれるだけなら問題ねぇじゃん」
「そのまま無理矢理どうにかされそうになったら?」
「こんだけ監視カメラ付いてる中でンなことしたら犯罪だろ」
「馬鹿だなー。監視カメラには死角あんだぜ?」
「死角がねぇように配置されてるってよ」
「ンだよつまんねーな。嫁のために動いてこいっつの」
「んじゃお前が行ってこいよ。そのほうがよっぽどおもしれぇっつの」
スマフォを片手に笑うと、吹き出して両手を後ろへついた。
葉月が壮士を見たら、意外そうな顔はするだろう。
が、俺が一緒とはきっと想像しない。
……でもアレだな。
壮士がおもしろおかしく俺のこと吹き込みそうだし、やっぱその案もナシで。
今日はこのまま帰るのが吉と見た。
「あー。そろそろ帰ろうぜ」
「は? なんで」
「いや、帰りも混みそうじゃん」
ポケットへ入れたままだった腕時計を取り出すと、すでに16時を回っていた。
腕へつけ直し、空になったグラスをコースターへ戻す。
そこで葉月を見ると、もうすでにどっちの姿もなかった。
「お前、っとにわかりやすいな」
「何が」
「おもしろくねぇって顔してる」
「違う」
くっくと喉で笑われ、瞳を細めて否定全開。
別になんでもない。
ただ単純に、風呂にも入ったし飲むモン飲んだからいいかなって思っただけ。
「つか、そろそろ夕飯じゃん。なんならもっぺん沼津行ってもいいぜ?」
「なんで1日に2往復もしなきゃなんねぇんだよ」
「いいじゃん。暇だろ?」
「暇じゃねーよ」
ハンバーグを思い出してか少しだけ腹が動いた気はしたが、ストレートにぶつけてみると、壮士は吹き出すように笑った。
今日、ここに俺がいたことは誰に言うつもりもない。
美月さんにもバレてねぇし、とっとと退散が吉だな。
「ほら、帰ろうぜ」
「わかったって」
1/3ほど緑茶が残っている壮士へ手を振って催促すると、人が悪そうに笑ってから飲み干した。
別に機嫌が悪いわけじゃない。
おもしろくないわけでもない。
単純に……ただ単純に、今日ここに俺がいるとあとで知ったら、アイツは残念がるだろうなって予想しただけ。
だから、今日のことは誰に言うつもりもない。
遊びに出たついでに、寄ったってだけだから。
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