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「わ……すごい。こんなふうに見えるんだね」やってきたのは、最上階のラウンジ。
 壁一面はめごろしの窓からは中庭を見下ろせる形に作られていて、明かりに照らされた木々が昼間とはがらりと雰囲気を変えている。
 今日は月も出ていて、背の高い竹の葉がさらさらと揺れて輝いていた。
 ああ、風流ってこういうことか。
 来たいと思っていた場所が、思った以上にいい空間で十分満足した。
 「……いいのかな」
 「何が」
 「だって、ここはお酒を飲むところでしょう?」
 「飲んでもいいぞ」
 「っ……たーくん」
 テーブルに置かれているグラスキャンドルの火が揺れ、ほのかに香る。
 どうやらキャンドルの数だけグループはあるらしいが、薄暗い店内だからこそそこまで感じ取れはしない。
 近い距離なのもあってか声をひそめたやり取りは、十分秘密めいて聞こえる。
 「ま、お前はこっちにしとけ」
 ついでに、冗談でも飲めって言ったとか恭介さんには言うなよ。
 ドリンクメニューを差し出しながら一応忠告すると、小さく笑った葉月がノンアルコールカクテルの欄を見つめた。
 文字だけでなく、写真までついているもの。
 黒背景のせいか、どの酒もきれいに見える。
 「これにしようかな」
 「んじゃ、オーダーな」
 すぐそこで待っていたスタッフに声をかけ、ふたつ注文。
 ほどなくして席に届いたが、葉月の前には普段まぁ見ることのない色鮮やかなカクテルが置かれた。
 「……なんだよ」
 「だって……なんだか、大人みたいだね」
 「十分大人だろ」
 「そうかな? まだ、もう少しじゃないとって思うけれど」
 まじまじと見つめたあと、葉月が少しだけくすぐったそうに笑う。
 大人、ね。
 一体その線引きはどこでされるんだか知らないが、まぁ……酒で言えば二十歳かどうかってとこか。
 でも、明確な基準なんてない。
 俺でさえ、ほかの“大人”を見るとまだまだ自分は子どもに思える。
 「……あ」
 「乾杯」
 ハイボールのグラスを持ち上げ、少しだけかたむける。
 そういや、こんなふうにすることなかったな。
 そういう意味でいえば、こいつが言う“大人扱い”に入るのかもしれない。
 「乾杯」
 嬉しそうに笑った葉月が、もう片手を添えてグラスを合わせた。
 カチリといい音が響き、そっと口づける。
 そのとき、キャンドルに照らされた唇が目に入り、思わず大き目のひとくちを飲み込むことになった。
 「こっちで何してた?」
 昨日今日の姿はなんとなく知っているが、それ以外のところはよく知らない。
 きっと毎日のように宿で手伝っていたんだろうが、単純に気になったのがある。
 「着物の着付けや、お客様の対応の仕方を教わっていたの。流浪葉はちゃんとマニュアルがあって、それを見せてもらったりしたよ」
 「へぇ」
 「あとは、外国のお客様がいらしたときに通訳のお手伝いしたりとか」
 「あー、それは見た」
 「え? そうなの?」
 「ああ。今日の午前中、案内してたろ? 女将と一緒に見かけた」
 着物姿ってのも目は惹かれたが、家にいるときとも違う顔で笑っているのは、なかなか興味深かった。
 てか、ある意味似合ってんじゃねーの。
 着物がってよりかは、人のために働くってことが。
 ……ああ、だから美月さんを見たとき、より葉月を思い浮かべたのかもしれない。
 人のために働くことをいとわないやつだから。
 「小さなお子さんの相手もさせてもらったりしたかな。とってもかわいかった」
 「あー……目に浮かぶ」
 「ふふ。楽しかったよ」
 読み聞かせ会のあと、葉月が小さな子連れ客と話しているのは見た。
 持っていたおもちゃを見せながら話すのを、しゃがんで聞いてやってるところを。
 もしかしたら、あっちでそういうバイトとかしてたのかもな。
 最後に『バイバイ』と手を振った女の子へ、タッチしてわかれたのを見たが、あれは約束事みたいなもんなんだろう。
 「お前、働きすぎだろ」
 「え? そんなことないよ」
 「でもまあ、似合うかもな。そーやって、人に尽くすの。お前らしい」
 「ありがとう」
 グラスをかたむけながら笑うと、そっと両手で葉月もグラスを包んだ。
 青と黄色のあざやかなカクテルが、キャンドルの光でほのかに色を変える。
 「……てか、あのあと平気だったか? お前」
 「え?」
 「恭介さん、稀に見る機嫌の悪さだったんだろ?」
 女将のセリフを反芻すると、それだけでやらかした感はデカい。
 無理矢理引っ張られていったあと、葉月は電車内でどういう詰問をされたんだ。
 そこが非常に気になるが、聞いていいものか……いや、聞くけどよ。
 ずっと気になってるし。
 「何言われた?」
 頬杖をついて葉月を見ると、まばたいてから一瞬視線を逸らす。
 まるで、あのときのことを思い出すかのように。
 「んー……たーくんのことをどう思ってるか、は聞かれたよ」
 「っ……」
 それこそ直接的なところを突いたとわかり、小さく喉が鳴る。
 が、葉月はいつもと同じように笑った。
 「大切で、大好きな人なのって……そのまま伝えたけれど、いけなかった?」
 「いや……サンキュ」
 まっすぐ見つめられ、逆にこっちが慌てる。
 いけないはずない。
 ストレートなやり取りを聞かされ、だからこそ改めて腹はくくるほかないと自覚する。
 説得、か。まぁそうだよな。
 いつまでも逃げまわってたって、いいことはゼロ。
 こんだけ近い距離にいるんだから、それこそ俺のほうから赴くべきかもしれない。
 「てか、恭介さんって普段、機嫌悪いことあるか?」
 「ん。ときどきあるよ」
 「……お前に?」
 「ううん、私にじゃなくて、お仕事だったり……友達と言い合いになったときとか、かな」
 「……だよな」
 葉月に対してキレる姿は想像つかない。
 まぁ、叱るときは叱るんだろうけどよ。
 11月のあのときは、電話ごしとはいえ確実に叱り飛ばされてたのを知っている。
 ……ま、あんなふうにキツい語調ってのは意外だったけど。
 この間の恭介さんは、俺に怒鳴ることはなく淡々と……あー……あっちのほうが心臓に悪いけどな。
 なんかもう、すべてにおいて論理的過ぎて。
 「お父さん、わかりやすいの。機嫌が悪いときは、いつもしないのに頬杖ついてることが多いんだよ」
 「そうなのか?」
 「うん。きっと、クセなんだろうね。お父さんは気づいてないかもしれないけれど、向こうではよく、キッチンカウンターに座って頬杖をついてることが多かったよ」
 「……へぇ」
 「もしかしたら、機嫌の悪いときはそこに座るのかな。普段は、ソファにいることが多いから、考えごとするときはちょうどいいのかもしれないね」
 考えごと、ね。
 恭介さんでも当然悩むときはあるんだろうが、俺にはまったく想像ができない。
 つーか、そんだけ弱い面っつーか、普段人に見せない面を出せるってことが、当然家族なんだろう。
 だらだらしてる姿も同じく。
 ……てことは、今後は美月さんにも見せるってことだよな。
 あー。
 美月さんからも恭介さんの弱点を聞かせてもらえるなら、俺にとって有利……なのか?
 いや、ンなことしてるってバレたら、その時点でアウトくさいからやめとくのがいい気もするけど。
 「……っと。40分には出ようぜ。送ってく」
 「え? ひとりで戻れるから大丈夫だよ? 外、寒いし」
 「あのな」
 ふと時計を見ると、門限まであと少し。
 きょとんとした顔で反応され、ため息が漏れる。
 ……ま、いいけど別に。
 すぐそこで『じゃあな』でお前がいいなら。
 結局、何度も振り返るんじゃねーの?
 もちろん、あくまで俺の予想だけど。
 「っ……」
 「別にいいけど」
 テーブルの上に置かれていた手へ重ね、こするように指を這わせる。
 くすぐったそうというよりは、もう少しあっちに近い反応。
 あえて顔を見たまま続けると、言いかけた言葉を飲み込むように唇を結んだ。
 「……離れがたくなるでしょう?」
 「いい言葉だな」
 「っ……もう」
 いつだったか……ああ、まだ1ヶ月経ってねぇのな。
 葉月へ初めてキスをしたあの夜も、そう言って眉を寄せた。
 その顔、そそられるっつったらどんな反応する。
 あー……今それしたら、せっかく収めた意味がねぇからやめといたほうがいいかもしれねーけどな。
 「…………」
 あと少しだけ。
 残りわずかなハイボールのグラスへ手を伸ばすと、溶け残った氷がいい音を立てた。
 
 
       
 
 
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