「働いて0時が門限って……アレだな」 シンデレラと同じじゃん。 本宅への長い石畳を歩きながらうっかり漏れそうになり、飲み込んで消す。 「ふふ。意地悪はされてないよ?」 「逆に甘やかされてンしな」 が、葉月には伝わったらしく、くすくす笑うと握った手にもう片手を重ねた。 玄関は、すぐそこ。 外灯がついており、きっとこの時間も鍵は開いてるんだろう。 「え?」 玄関より、数歩前。 そこで立ち止まり手を引くと、すんなり腕の中へ収まった。 「……ここならバレねぇだろ」 「たーく……んっ」 今まで、何度この家の玄関で失敗したか。 タイミングよすぎて、絶対どっかで見張られてる気しかしない。 玄関の明かりもついているが、扉の前でこれをやったら確実にバレるレベル。 映りこまない距離を取ったのは、まさに保険でしかなかった。 「は……ん、っ」 一度離したもののあまりにも名残惜しそうに見られ、再度口づけていた。 ……名残惜しい、ね。 そういや、こんなふうに感じるのも初めてだな。 お前、ある意味すげぇんじゃねーの。 一緒にいると、気づかなかった感情があることに自分で驚く程度には。 「はー……これ以上すんと、帰れなくなるからやめとく」 ちゅ、と濡れた音が予想以上に身体へ影響してか、息が荒く漏れた。 頬を撫で、目を合わせたまま囁くと、すぐここで葉月が笑う。 「私も……」 「も?」 「……離してほしくないって、思っちゃうから」 珍しいセリフで目が丸くなるが、それを見てか葉月が苦笑した。 「あー……そうだ。お前、明日は大浴場行くなよ」 「え? どうして?」 「鏡見ながら着替えたらわかる」 忠告したからな。 あとは守ったほうが身のためだとは思う。多少は。 不思議そうな葉月にそれ以上は言わず、肩をすくめて終了。 きっと、コイツは律儀だから明日鏡の前でホントに着替えるんだろうな。 そのときの反応が見てみたいが、笑うだけじゃ済まなさそうだからできなくてよかったと安心する。 「っ……」 「おやすみ」 「……おやすみなさい」 ため息とともに一度抱き寄せ、短く口づける。 葉月を離すと、当たり前だが前身へ冷たい風が当たり、ぶるりと背中が震えた。 ……どうか何かの予兆じゃありませんように。 あまりにもいろいろありすぎる場所だからこそ、何事も起きなかったことがかえって不安を煽るってのはなんか切ねぇな。 途中で振り返ると案の定まだ玄関前に葉月がおり、足を止めて『早く入れ』と手を振る。 どうしようか悩んだのはわかったが、だからこそ動くわけにいかない。 ほどなくして苦笑とともに玄関に入ったのを見届け、小さく手を振り――小走りで戻る。 あー、さむ。 どうせなら、もう一度風呂を体験しておくのも悪くないかもしれない。 流浪葉の正面玄関を目指すと、ほんの少しだけ温泉の香りがした。 「……あーさっむ」 館内は十分あたたかいが、冷えたのかつい口から出た。 露天付きの部屋はさらに風情あるだろうが、あの部屋風呂もそこそこちゃんとしてたし、そっちへ入るのもいいかもしれない。 ……でも、どうせなら湯上り処でもう一杯ってのがいいか。 頭働かして、パソコン開こ。 ついでに、夜食と称してなんか買ってきてもいいかもな。 「ッ……!」 などと思いながら部屋までの廊下を曲がったとき。 まさに俺の部屋のまん前に立つ人物を見て、喉が鳴った。 ……げ。なんかバレた? ひょっとして、本宅前に監視カメラついてるとか……? 前髪は下ろしているし、私服というよりももう少しラフな格好だが、あれは間違いなく恭介さんで。 げ。 一本道とあり、隠れる場所は皆無。 チャイムを押した彼は反応がないとわかると――当然こちらへ身体ごと向き直った。 「っ……なんか用?」 声が上ずったのは、当然やましいことだらけだから。 ついさっきどころか、ほんの数分前まで手も口も出してたと知ってここに来たんだとしたら、確実に俺の命はない。 すでにバレてるんだから忍び寄る必要はないのに足音を立てないよう少しずつ間合いを詰めると、恭介さんはにこりともせずに俺を見つめた。 「いいから開けろ」 「ッ……」 Aye, Sir。 応える代わりに小走りで近づき、カードキーをかざす。 っはーーなんすかこの圧迫感。 背中から刺されるんじゃないかという緊張感を味わったままドアを押すと、さも当然とばかりに彼が先に入った。 「っ……」 一体何を言われるんだというのもそうだが、そもそもなんでここに恭介さんがいるのかも謎。 だが、入らないわけにもいかず、足を踏み入れ……たところで、ついさっき葉月を押し倒した布団が目に入り、ひとり勝手に慌てる。 やっべ。 もちろんバレてないだろうし、証拠物品は何も残っちゃいない。 ほんのり残り香があるような気はするが、気のせいってことにしておこう。 「……っ」 「座れ」 「あー……はい」 奥のテーブルへ恭介さんがビニール袋を置いた途端、ごとりとやたら重たそうな硬い音がして肩が震えた。 何それ。銃でも入ってんの? ……オーストラリアって銃所持おっけーだったっけか。 先にどっかりと腰を下ろした彼の対面に座るわけにはいかず、あえてはす向かいに座ると、袋へ手を伸ばして……中からビールを取り出した。 「…………」 ロング缶2パック。 計6リットル。 ……6リットル……。 っはーまじすか。俺、ついさっきまで結構飲んだんだけど。 平時なら考えられない勢いでアルコールを吸収していて、我ながら多少は肝臓を心配した。 「え、恭介さん今日メシ食った?」 「ああ」 「女将と飲んでねーの?」 「飲んだが?」 ……あ、そうすか。 しれっと応えた彼は、当たり前のように缶を開けると、さらにつまみを幾つか取り出した。 げ、完全に飲む気じゃん。 ザラザラと音を立ててピスタチオやらカルパスやらがテーブルにあふれ、本日三度目のアルコールタイムながらも、さすがに今回は酔わない気しかしなかった。 「なかなか興味深いショーだったな」 「え?」 いつもと同じ。 それこそ、先週までの恭介さんと同じような口調で顔を上げると、ひっっっさしぶりに見る笑みがあった。 あれ。 ついさっきまでとは雰囲気が違い、思わずまばたく。 が、彼は先に缶を持ち上げると、こちらへかたむけた。 「あー……いただきます」 「1000円でいいぞ」 「破格じゃん」 「買ってきてやった手間賃込みだと思えば当然だろう」 鈍い音を立てて合わせ、早速ひと口。 あー……今日何杯目だろ。 女将にもらったものと同じ銘柄なのに苦味が先に立ち、一緒に飲む相手次第で味が違うんだなとある意味感心もした。 「読み聞かせ会の立案と実施、簗瀬さんも褒めてたぞ。おかげで俺の株が多少上がったな」 「え? ……俺?」 「これからは月イチでやればいいじゃないか。集客が見込める」 「……いや、不定期ならいいけど、固定ってなると厳しいかも」 「なら、ノウハウをまとめてやれ。流浪葉としては、いい風が吹きそうだ」 足を組んで笑う姿は、それこそ俺の知ってる恭介さんそのもので。 どこか誇らしげに『よくやった』と褒められているような気持ちにもなる。 「てか、恭介さんアレ見てたわけ? 全然気づかなかった」 「簗瀬さんと話しながら見てたからな。柱の陰だったかもしれん」 女将や美月さん、葉月は当然わかったが、恭介さんが見ていたとは思わなかった。 晩酌のときも、夕方から出かけたと聞いていたし、ましてや……俺をあんだけ拒否的だったのにまさか見ていたとは。 ……律儀で真面目。 葉月にいつも抱くことを、恭介さんにも当然抱く。 「あー……女将に聞いたんだけどさ。恭介さんが言ってくれたんだって?」 「何を」 「あのキッズスペース。俺ならなんとかするかもしれない、って」 晩酌のとき、半分ほど酔った女将が笑った。 そもそも俺がこっちへ呼ばれたことのひとつに、女将の話を聞いた恭介さんが『それなら』と口ぞえしたことを。 いろいろ試して、結果任せると思えたなら、使ってやってほしいと。 自分からそう言ったのに張本人には説明なしなんて本当に瀬那君らしいねと、女将は呆れたように教えてくれた。 「なんとかなりそうか?」 「まぁ……多少は」 「なら、そのままお前に託すから、今後の方針だけ簗瀬さんに伝えて帰れ」 どこか満足げに笑われ、手の内にあるロング缶が鈍く鳴る。 今までの態度とがらりと変わった理由が、俺の仕事の出来栄えだけではないこともわかる。 が、それこそ今朝までとまるで違う態度に、当然安堵はしていて。 ……あー焦った。 送りがてら手を出しての反省会かと思ったらそうじゃないらしいし、こっち方面で話しといたほうが吉と見た。 「正直、自分で実際に動かしながらアイディアを形にすることが、こんな楽しいと思わなかったよ」 「ほう?」 「思い通りにぴたっとハマった瞬間、あれヤバいなって。すげぇ気持ちよかった」 きっと、恭介さんは常に仕事でこういう感じを味わってるんだろう。 机上で描いたものを実際模型で起こし、さらに原寸サイズへ変化させる。 その工程とはほど遠いものの、わずかながら味わうことができて、普段とはまた違う仕事のおもしろさを感じた。 「それはよかったな」 ロング缶へ口づけた彼が、柔らかく笑った。 あー、その顔。 できればそのまま、あと3本くらい飲みきってくんねぇかな。 恭介さんとそこまで深酒したことはないから、強いかどうかは定かじゃない。 が、確実に俺のほうが負けるのはわかってる。 女将といい勝負か、もしかしたら俺のほうが飲めねぇだろうから。 早くも次の缶に手を伸ばしたのを見ながら、逆に俺は飲まないでいたほうが、うっかりヘタなことしゃべらなくて済みそうだなと自衛が働いた。 「だが、葉月とのことを認めたわけじゃない」 「っ……」 「勘違いするなよ」 げ。 いい音とともに2本目が開いたが、まさかのセリフと同時に睨まれ、危うく気管へ入るところだった。 ごくりと響いた音は、間違いなくビールだけの音じゃなくて。 っはー……まじかよ。 まさに、ころりと変わった表情を見ながら、一気に苦さを体感した。