「お前、どうして部屋じゃなくてラウンジにいた?」
「え」
「さっき。葉月とあそこに行っただろう」
「ッ……なんで知って……」
「いたからな」
 足を組み替えた彼が、まっすぐに俺を見詰めた。
 っはーやっべぇ。
 まさか、恭介さんがいたなんて知らなかったぜ。
 ……え、てことはそこそこ見てたってことだよな?
 …………。
 だが待て、あのとき俺は手しか触らなかった。
 だとしたら、まだ平気だろ。許される範囲だよな?
 さすがに目を合わせたまま回想できず、ロング缶を両手で抱えながら想起するも、それ以上のコトには至ってない確証があった。
「腹立たしくて割ってやろうと思ったが、美月に止められた」
「っ……」
 美月さんまじありがとう……!
 明日会ったら、まっさきに礼を言う相手が決まった。
 って、美月さんといたのか。
 ……なるほど。
 だから『12時まで』って言ったんだな。
 その間そばにいてくれることで、防いでくれるつもりだったんだろう。
 ほんと、母親そのものじゃん。
 改めて、美月さんが恭介さんのことも葉月のことも大切にしてるんだなと感じた。
「で? どうして部屋じゃなくあそこにいた」
「そりゃ……部屋にいたら、確実に手を出すと思ったから」
「ほう」
「っ……いや、だからマズいなと思って、出たんだって」
 低い声で慌てると、案の定鋭い眼差しを向けられていた。
 あー……っぶね。
 あンとき踏みとどまれて、ほんとよかったぜ。
 気づいていても止まらなかったら、確実に今ごろいろんな意味で首が繋がってなかったかもしれない。
「実に不愉快で気分は悪い」
「……ぅ」
「そもそも俺は、何も許したわけじゃないからな」
「っ……わかってるよ」
 音を立ててロング缶がテーブルに置かれたが、軽い音がした。
 ってことは、あれからちょっとしか経ってねぇのにもう半分ないってことか。
 ……そういえば、さっきより目が据わってる気がしなくもない。
 え、そういうこと?
 女将と恭介さんが飲んだら、相当なペースで消えてくんだろうな。
「が、認めてやってもいい」
「……え?」
「想像以上にがんばったからな。……お前、意外と諦めが悪いじゃないか」
 腕を組んで笑われ、褒められたんだかけなされたんだかよくわからないが、恭介さんの表情は緩んだので、ほんの少しだけ安堵する。
「欲しいものを『我慢しろ』と言われたら、どうする?」
「そりゃ……なんとかして手に入れようとすんじゃねぇの」
「なぜ諦めない?」
「いや、だって……欲しいじゃん。諦められるならそれでいいけど、大抵そういうのってどうしても欲しいモンじゃん? だから、我慢できねぇんだし」
 小さいころから、そんな場面はいくらでもあった。
 物でもなんでもそう。
 ダメだと言われ、そのたびにぶつかり。
 親だけでなく、先生や先輩を始めとした周りの人間と、幾たびもぶつかってきた。
 結局、納得するしないは自分の主観。
 誰かに言われて留まれるなら、そこで終わる。
「それが人だろう?」
 椅子の肘置きで頬杖をついた彼が、にやりと笑った。
 いかにも、大人の男そのものの顔で、ビールを吹きそうになる。
「我慢しろ諦めろと言われて手を伸ばすのをやめられるなら、それまでってことだよな。ほかに代わりがある、と。別のものでまかなえるなら、本当はそれじゃなくてもいいはずなんだ」
「…………」
「葉月じゃなきゃダメなんだろう?」
「っ……」
「同じように、どうやらあの子もお前じゃなきゃだめらしいな」
 ロング缶の最後のひとくちをあおった彼が、テーブルへ軽い音とともに置いた。
 新たな缶へ手を伸ばし、躊躇なく開ける。
 すると、視線をあちらへ向けてから、口を開いた。
「俺が散々吹き込んできたことが、お前の人生にどう影響したかはなんとなく把握してる。が、こと自分の娘に手を出されるとなったら、当然わけが違う」
 それこそ、小学生のころから恭介さんにはいいも悪いも含めいろんなことを教わってきた。
 ゲームしかり、勉強しかり、社会でのルールやマナーしかり。
 そして、男ならではの話もかなりされてきた。
 だから、恭介さんがしていることは俺にとっての正解で、目指すべきもので。
 誇らしげに伝えると、半ば呆れながらも『俺とおんなじだな』と言われることが、素直に嬉しかった。
「……あの子は小さいころから、お前の話をするととても喜んでな。ああ、ひとりっ子で兄も姉もいなかったからよほど嬉しいんだろうなと思ったが……そうじゃないと気づいたのは、割と早かった」
「え……」
「葉月は、お前のことがずっと好きだったんだろう。さっきラウンジで見かけた顔は、美月が俺に見せるものと似ていた。……かなり認めにくいが、お前を相当好きらしい」
 これまで一度も見せたことのないような、それこそ“父親”の顔そのもの。
 きっと、今の恭介さんには、幼いころの葉月の姿が浮かんでいるんだろう。
 小さいころ、が具体的にいつごろからを指すのかはわからないが、彼には思い出せる範囲だろうから。
「あれだけ虐げられたのに、よく立ち向かってきたじゃないか」
「……そりゃまぁ。逃げる理由もないっつーか……どうしたら認めてもらえンのかなってことしか考えなかったよ」
「それが答えだろう。どうしても葉月でなければならない理由があるから、俺から逃げなかったんだろうからな」
 どこか満足げに笑われ、もしかしなくても敢えて見せていた部分もあるんだろうなとは思う。
 ……まぁ、どこまでが敢えてかなんてわかんねーけど。
 どう考えたって、9割以上はガチな反応だったから。
「これまでは、俺を避けて通ることで結果として葉月を諦めるヤツしかいなかった」
「え……」
「迎えに行くたびに話してるヤツがいたが、俺を見て逃げる以外の行動を取らなかった。だから当然許さなかったし……まぁ、葉月もそこまで食って掛かってはこなかったからな。その程度だってことはわかったが」
「……アイツが恭介さんへ食ってかかることとか、あんの?」
「もちろん。どうしても曲げないときは何度もあった。直近だと……2年くらい前か。バイトを反対したときは、メリットデメリットとその後の方針まできちんと書面で抗議してきてな、ああさすが俺の娘だと逆に拍手したね」
 普段、そこまで感情を露わにするところを見ないのもあり、ましてや恭介さん相手にアイツが反論するなどイメージがわかない。
 まぁそれでも……それこそ1週間前。
 何も言わず駅で降ろされたときのアイツは、やはり納得しない様子でいろいろ言ってはいたみたいだったが。
 ……アイツ、つえーな。
 だが、俺よりも恭介さんに対して強く言えるってことだけは、よくわかった。
「ホントに好きなら、たとえ親が相手でも怯まないものだろう?」
「……でも、だいぶ怖かったぜ? つか、目がガチだったし」
「当たり前だろう。俺を誰だと思ってる。あの子の父親だぞ」
「っ……」
 舌打ちした恭介さんが、瞬間的に眼差しを鋭くした。
 ……いらんこと言った。
 慌てて視線を逸らし、ロング缶をあおる。
 やべぇ、全然酔ってねぇじゃん。
 あと2,3本飲ませておかねぇとダメじゃねーか。
 恐らくまだ半分程度は残っているだろうが、新たな缶を開けて差し出すと、それを見て手元の缶をあおった。
「好きな相手を自分のものにしたかったら、立ち向かう勇気は絶対必要だろうし、好きならいとわないはずだからな。どんなヤツも俺にそうしてこなかったが、お前は逃げずに向かってきた。それが葉月に対する想いの強さだとしたら、及第点をやらないこともない」
「え……マジで」
「ただし、何度も言うが許したわけじゃないからな。少なくとも手を出すなよ」
「っ……」
「返事はどうした」
「いや……それは……あんま自信ねぇけど」
「ダメなものはダメだ。お前、あの子にいろいろ仕込んでみろ。……潰すからな」
「っ……」
 何をとは聞けず、息を呑むに済ませる。
 いや……まぁ、言うことはしねぇって。さすがに。
 いちいち報告するとか、俺としても無理。
 逐一、葉月が恭介さんへ言ったりもしないだろうし、俺たちが黙ってればまぁ……セーフってことだよな。
 無論、きちっとやることやった上で。
 対策はそれこそ万全にしとかねーと、ホントに首が失せるだろうから。

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