「正直言って、葉月が俺の反対など押し切って『彼氏だ』と男を連れてきたとき、自分はどうなるんだろうなと少しだけ不安だった」
「……え……」
「俺じゃないヤツに寄り添って生きていくことを決められたら、俺の存在価値が、意義が、丸ごと消えうせてしまいそうで怖かったんだよ」
飲みきったロング缶を捻り潰した恭介さんは、視線を落としたまま自嘲気味に笑った。
それこそ、見たこともない顔。
弱さではなく、まるで自信そのものがないような顔で、意外さに目が丸くなる。
「だから、あの子が好きなヤツのことをわざと遠ざけるように圧をかけてはきたが……今は少し違う。葉月がお前に寄り添ってるのを見たとき、ああそういう歳になったんだなと認めそうになったよ」
あんなに嬉しそうな顔を見せられたら、認めざるを得なかった。
ぽつりと漏らした本音とおぼしきセリフ――だが、まじまじ見ていたのがマズかったのか、恭介さんは瞳を細めると『俺の娘に手を出しやがって』とそれはそれは低い声でつぶやいた。
「今だから、少しは認めてやれる部分がある。……今、俺のそばには美月がいるからな。彼女がいなかったらきっと、葉月がお前を選ぶことさえ許せなかったはずだ」
まるで本音そのものの声色で、あおったビールをごくりと飲み込む。
酔ってはいるだろうが、きっと事実でもあるんだろう。
「あの子が離れていくことが、怖かった」
恭介さんは、これまでと違ってどこか柔らかい表情で頬杖をついた。
「……おんなじこと、葉月が言ってたよ」
「何?」
「俺、聞いたんだ。目の前で恭介さんがプロポーズするの見て、なんとも思わないのかって」
日数で言えば、あれからまださほど経ってはいない。
だが、つい先日葉月へ訊ねたとき、アイツは穏やかに笑った。
「そしたら、お父さんに幸せになってほしかった、って」
「っ……」
「それと……俺がいるからそう思えたって……言ってたよ」
“今”の自分の立ち位置が及ぼす影響は、かなり大きいだろう。
俺が葉月のそばにいなかったら、きっとアイツは恭介さんと美月さんを祝福しながらも、どこかで孤独を抱えて生きたはず。
ひとりぼっちになる自分に気づきながらも、笑顔で周りへ気を遣い、自分の本音をなかったことにしただろう。
そして――恭介さんも、また。
いつか訪れるであろう葉月の幸せをきっちり喜んでやりながら、別の形で……それこそ仕事へさらに打ち込むようになり、アイツとは距離を取ったかもしれない。
いつか離れていく相手。
それぞれの幸せのためとお互いそうわかっているからこそ、どちらかの結果が異なっていたとしたら、きっと今と同じ未来は訪れなかっただろうな。
「ずっとふたりで生きてきて、それこそ半身みたいなもんじゃん。寄り添って生きてきたからこそ、普通の親子よりももっと濃いっていうか……ウチの親と俺との関係とは全然違う気がする」
まさに、ふたりでひとりのような。
別々の人生を歩んではいるが、互いに互いを気にかけ思いやり続けていて。
だから――許してもらえないのも仕方ないのかもな、と少しだけ納得しそうにはなった。
それこそ何年か経ったとき、ほとぼりが冷めたそのときには許してもらえるかもしれないな、と淡い期待を抱く程度には。
……まぁもっとも、だからっつって手を出さないでいられるかどうかは、別の話だけどな。
と正直思いはするが、さすがに黙っておく。
「許してはないからな」
「……わかったって」
まじまじ見つめられて姿勢を正すと、それはそれは不機嫌そうに吐かれた。
え、今の展開でコレってなんかおかしくね?
とは思うが、もちろん反論はしない。
酔ってるのもあるし、ここで食ってかかったところで、正解なんかに辿り着けるわけじゃねーし。
「まぁ……多少は認めてやる」
「え?」
「なんでもない。いいから飲め」
「っ……いや、腹いっぱい……」
「なんだと……? 俺の買ってきたビールが飲めないのか?」
「いやっ……てか、ンな絡みするタチじゃなくね?」
ぼそりと呟かれた言葉を聞き返した途端、声を張られてロング缶を差し出された。
が、さすがにそろそろギブアップ。
つーか、よくもまぁあんだけの量飲めるなと感心する。
俺の前へ1本置き、新たなケースから抜いたのを見て、ため息じゃない何かが出そうになった。
「恭介さん、明日仕事じゃねぇの?」
「休みだ」
「……うわ」
どうりで、ほいほい飲むと思ったし、こんな時間から俺ンとこ来ると思ったよ。
てか、ラウンジにいたってことは、飲んだってことだよな?
なのにこんだけビール飲むとか、ちょ、やっぱはかれねぇ。
すでに1時は回っており、さすがに眠くなってきた。
が、恭介さんはまだまだ飲めるクチらしく、ピスタチオに手を伸ばす。
「まぁ、もう1本飲んだら帰るか」
「…………」
「お前今、ほっとしたろ」
「げ、まさか。残念だなって思っただけだって」
うっかり本音が先に立ち、案の定舌打ちされた。
元気だな恭介さん。
……今日も仕事だったんだよな?
そういえば、外出とは聞いたが仕事かどうかは聞いてない。
まぁ、葉月も美月さんも置いてひとりで遊びに行くとは考えらんねぇけど。
「どうせならこのまま5時まで起きて、一番風呂でも浴びてきたらどうだ」
「いや……さすがに起きれねぇって」
「その時間で、女湯と男湯が入れ替わるぞ」
「え、まじで?」
予想外の情報で、眠りかけた頭が少しだけ復活。
もしかしたらパンフには書かれているのかもしれないが、そういえばその類は読んでない。
……へぇ。
てことは、また違う風呂があるってことか。
恐らくは露天からの眺めも多少違うだろうし、それはそれで若干興味を惹かれた。
「そういや、恭介さんの部屋って露天風呂あんの?」
「ああ。なんだ。入りたいのか?」
「まぁ、多少」
「なら明日の昼にしろ。今は美月がいる」
「…………」
「…………」
「なんだ」
「いや……なんだ、って……」
さらりと口にされたとんでもない事実とおぼしき事柄で、思わず眉を寄せる。
美月さんがいる。今、恭介さんの部屋に。
……え。
それって――。
「っ……ずるくね!?」
「何がだ」
「いや、だっ……ンじゃ俺だっていいじゃん!」
残りわずかだったこともあり、くしゃりとロング缶を握りつぶしていた。
あーあーなんかずりぃ。
俺は我慢したのに、恭介さんは部屋借りてるからって好き放題とか、納得いかねぇんだけど!
思いのほか表情には出たらしいが、恭介さんは平然とした顔で肩をすくめるとさっき開けたばかりの缶をあおった。
「俺とお前の違いはなんだ」
「そりゃ……え、なんだろ。葉月が未成年とか?」
「それもあるが、お前は部屋を用意してもらったんだろう? 俺はきちんと対価を払ってる」
「くっ……」
「だからと言って、ふたりで泊まりに来るなよ。どうしても泊まりたければ別の部屋を取れ」
「……おんなじこと女将にも言われた」
だから、なんでふたりで来るのに敢えて別の部屋を予約するんだよ。
金だけ倍かかって楽しみ半減とか、意味ねぇじゃん。
さすがに言わねぇけど!
「そもそもお前は、俺との約束を反故にしただろう」
「約束って……いや、守ったって言えねぇ? 実際、ほかのヤツからは守ったじゃん」
「……誰が屁理屈を言えといった」
「ッ……」
「お前、手を出したら殺すからな」
「だから。目がマジとかほんっとやめてほしいんだけど」
チッと盛大に舌打ちされたかと思いきや、射るように見つめられ息を呑む。
あーあー申し訳ありませんでした。
ついうっかりいつものように屁理屈がしゃしゃり出ただけで、他意はない。
他意はないけど……あーーなんか納得できねぇ。
恭介さんは美月さんに手ぇ出してもお咎めナシなのに、俺は我慢とか……なんかもやもやする。
「…………」
「葉月には言うなよ」
「……言わねぇけど」
つーか、言わなくても多少わかってそうだけどな。アイツはアイツなりに。
とはいえ、この時間は当然アイツはすでに夢の中だろうけどよ。
……はー。
最後の最後ですげぇこと聞いて、ほんと完全に目が覚めたぜ。
このぶんなら、寝ずにパソコン打ち込んでも平気かもしれない。
そんでもって、朝イチの風呂もあながちナシじゃない気もした。
果たして、これが大人になるってことなのか。
いや……違う気もするが、まぁいいや。
手を出したってバレなきゃいいんだろ? 実際。
報告の義務はないし、まぁ……いつアイツがウチへ戻ってくるかはわかんねぇけどな。
少なくとも美月さんは葉月の味方っぽいし、またうまく恭介さんをコントロールしてくれそうな気もするし。
「……お前、なんか考えてないか?」
「え、まさか。ビールうまいな、って」
「…………嘘つくなよ」
「ついてねぇって!」
なんでこうも勘が鋭いかね。
やっぱ娘に対する父親ってのは、異性ってだけあって母親とは違うアンテナを張ってるのかもしれない。
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