「入れなくていい」
「え?」
「ここでちょっと待ってろ」
「っ……わかった」
 いつものように車をガレージへ停めようとしたら、制止された。
 え、どういう……ことすかね。
 振り返らずに車を降りた恭介さんは、駆け上がるように外階段を上がっていく。
 …………。
 待ってろって……え、送ってけってこと?
「……うわ」
 単純にそんなことを考えていたら、ものの3分と経たないうちに、彼は葉月の腕を掴んで再度姿を見せた。
「もう。お父さん、どうしたの?」
「いいから乗りなさい。今日はこのまま湯河原へ行く」
「湯河原へ? どうして?」
「美月とおばあちゃんが会いたがってる」
 助手席のシートを倒した彼は、当たり前のように後部座席へ葉月を乗せた。
 そのままさっきと同じように助手席へ乗り、目だけで俺へ告げる。

『出せ』と。

「会うって言っても……でも、何も支度してないのに……」
「あっちにも店はある。美月と一緒に出かけてくればいいだろう?」
「でも、美月さんはお仕事があるでしょう?」
「なら俺が付き合う」
「……もう。お父さんどうしたの? さっきから、なんだか変だよ?」
 葉月は当然、恭介さんのいつもと違う様子に戸惑っているようだった。
 が、バックミラーごしに目が合うも、正直どう言えばいいのかわからず返事ができない。
 ……あー。悪い。
 今回は俺が確実にやらかした。
「……ほう。なるほどな。メールで報告か」
「っ……」
 どうやらスマフォはきっちり回収されていたらしく、恭介さんはひとしきり確認するとジャケットの内ポケットへしまった。
 あーー。
 いやだから、あのさ。
 メールで送ったのは――……まぁおっしゃるとおり、逃げ腰だったからだよ。
 直接言えるとは思わなかったし、まさかこんなことになるとも思わなかった。
 やべぇ。
 完全に、詰んだ。
「……何かあったの?」
 静かな葉月の声が車内に響くが、恭介さんは何も言わなかった。
 え……これって俺が応えるべきか?
 バックミラーで葉月を見ると、いつもとは違い不安げな顔で両手を重ねている。
「はる――」
「ここでいい」
「え」
「下ろせ」
「っ……」
 冬瀬駅のロータリーが見えてきたところで、恭介さんがハザードを焚いた。
 慌てて車を寄せ、鍵を――開ける前に、当然彼が動く。
「降りなさい」
「……ねぇ、お父さん。何があったのか教えてほしい」
「説明なら電車の中でする」
 シートを倒した恭介さんは、葉月の腕を掴むと半ば強引に下ろした。
 普段ならまずしない行動。
 俺でさえそう思うんだから、葉月は相当驚いた様子で目を丸くした。
「だって……ねぇ、たーくっ……!」
「行くぞ」
「ねぇ待って、お父さん! どういうこと?」
 窓越しに俺を見た葉月を遮るように、彼が腕を引いた。
 が、葉月とて納得は当然してない。
 きっと今俺が何を言ってもムダだろうが、だからといって……このまま行かせらんねぇだろ。
 元はといえば、きっと俺が悪かった。
 守ってくれと言われた葉月へ、恭介さんに内緒で手を出したんだから。
 そりゃもちろん、じゃあ断っていたら結果が違ったかとは思えない。
 それでも、恭介さんにとっておもしろくないことであったのは事実。
 ついでにいえば、葉月にとっても理解できない状況でしかないんだから。
「恭介さん!」
「なんだ」
「黙ってたのは悪かったとは思う。けど――」
「俺がこういう態度を取ってるのは、それだと思ってるのか?」
 足を止めた彼が、顔だけで振り返った。
 が、表情はそれこそいつもと違うが……さっきまでと同じ。
 ああ、これか。
 いつだったか葉月が『送ってくれた友達を追い返す』と話したときの、恭介さんてやつは。
「一度言っただろう。謝罪も弁解も受け入れないと。なのになぜ繰り返した」
「……けど」
「3度目だ。じゃあな」
 小さくため息をつくと、恭介さんは足早に改札へ向かって歩き出した。
 腕を掴まれたままの葉月は慌てたように俺を見るも、当然止まれるわけがない。
「あ……! ねえ、ちょっと待……っ」
「That's very funny(ああ、おもしろい)」
「え……」
「Thanks a lot, I feel so fine.(おかげで、とてもいい気分だ)」
「ッ……お父さん!! たーくんに失礼でしょう?」
 ぴたりと足を止めたかと思いきや、恭介さんは俺をまっすぐに見てそう口にした。
 いやいやいや。
 どう考えたって、ちっともンなこと思ってねぇ顔じゃん。
「もう! どうしてそんなふうに言うの? お父さんらしくないよ?」
「Sorry‘bout that(それは失礼)」
 さすがに葉月が声を荒げたが、恭介さんはまったく動じずに改札へ向き直った。
 あー……やらかした。
 どう言えばよかったんだよ、それじゃあ。
 まったくもって手本もなければ前例もない難題にぶち当たり、さすがにため息が漏れる。
 納得どころかワケのわかってない葉月へなんの説明もしてやれず、引き止めることもできず。
 最悪だ。まさに文字通りにな。
 カチカチと明滅を繰り返すハザードを見ながら、言いようのない気持ちで久しぶりにテンションが一気に落ちた。
「…………」
 将を射んとせばまず馬を射よ。
 まさに、この言葉ほど的確な言葉はない。
 が、射れなかったからこその結末。
 やっぱ、司令官を落としておかなきゃどうにもなんねぇんだなと身を持って体感した。

「………………」
 家へ帰ると、キッチンには中途半端な状態の鍋があった。
 材料からして、ビーフシチュー。
 デミグラスソースの缶が開けっ放しになっていて、ああこの状態で連れてかれたのかとまさに垣間見る。
「お兄ちゃん、葉月は?」
「恭介さんと出かけた」
「出かけたって、こんな時間に?」
「つーか多分、しばらく帰ってこない」
「えぇ……? どういうこと?」
「いろいろあんだよ」
 階段を下りてきたらしい羽織にもさすがに言えず、入れ違いで自室へ。
 電気もついてない階段からして暗く、またため息が出る。
 どうすれば説得できるか。
 どうしたら納得してもらえるか。
 捻ろうとしたところで、大したアイディアなぞ出てこない。
 恭介さんが怒るのは当然で。
 父親なら……いや。それこそ、ずっとふたりで生きてきた父娘だからこそ、だろうな。
 ましてや恭介さんは、少なくとも俺のことを大事にしてくれてもいた。
 歳も近く、ほかの従弟たちと比べても明らかにかわいがられていた自負がある。
 悪いこともいいことも、全部ひっくるめて教わってきた人。
 何もかも手本にしてきたことも知っていただろうし、だからこそ裏切らない相手だったはずの俺が彼との約束を反故にしたことは、きっと傷つきでもあったはず。
「はー……」
 修復するにはどうしたらいい。
 ただ謝ればいいわけじゃない。
 かといって開き直るわけにもいかない。
 ……っとにわかんねぇ。
 明かりもつけずベッドへ座ると、月が出ている外のほうがよっぽど明るい気がした。

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