「まったく、君の本職はなんだい?」
「いや、司書すけど」
「ほう。司書ってのは、こんなにもマルチに動けるもんなんだね」
 朝イチ、女将の言うとおりホントに会議へ連れて行かれた。
 がっつり個人情報が飛び交うにもかかわらず、ホントいいのか? と思いながらも、『口外したら罰金刑だよ』と言われ、まぁそれも確かにそうだなと思いはする。
 とはいえ、宿泊客の案内はさすがに俺の仕事ではなく、チェックインの際の手続き方法と接客を教わり、その後はなぜかあの最上階にあった和菓子処の接客へ連れて行かれた。
 オーダーを取り、届けてテーブルを片付けるまでの一連のアレ。
 宿泊客は部屋番号で支払わず出られるとあり、意外と多くの人が朝から来たのには驚いた。
 ……って、そうじゃなくて。
「レジも接客もできるって、若いのにこれまでどんな職歴してんだい」
「いや、普通じゃないすか? てぇか、司書も接客業っすよ」
「なるほど。そういうことにしとこうか」
「いやいやいや、なんでそう妙な納得の仕方なんすか」
 昨日とは違い、バックヤードではなくほぼ表メインで動いていたこともあり、客の流れがよく見えた。
 朝から風呂へ行くだけでなく、土産物や食事処を利用する人間も多い。
 そして、外国人が4割ほどはいた。
 英語や中国語等で接客しているスタッフもおり、この宿自体のスキルの高さを感じる。
「…………」
 あ、と声に出なかったのは正解か。
 女将に連れられてロビーを横切ったとき、ちょうど葉月が外国客相手に接客をしているのを見かけた。
 練りきりと抹茶を届けたところらしく、丁寧に説明している。
 うっすら聞こえてるのは、当然英語。
 あー……確かに、アイツならここで相当役に立つだろうよ。
 笑顔で談笑しているのもわかり、素直にすげぇと思う。
「あいて」
「誰が休んでいいと言ったね。今日はこのあとがメインだよ」
「女将、人のこと棒で叩いたらパワハラですって」
「棒じゃないだろう」
 いや、棒じゃん。
 持っていたハタキの棒の部分で頭を叩かれ、小さいながらもいい音したけど。
「まったく。職場で手ぇ出したら懲戒だからね」
「……いや、雇用されてないすけど」
「風紀の問題だよ」
 まったく、とため息をついた女将は、きびすを返すとエレベーターホールへ向かった。
 つーか、着物に草履でその速さってすごくね?
 相変わらず、歳相応には見えない身体能力で感心する。
「で? 次はどこでなんの仕事なんすか?」
 エレベーターにはほかに誰もおらず、当たり前の疑問をたずねることができた。
 が、女将は行き先のボタンを押したものの、何も言わない。
 ……え、何やらされんだろ。
 まさか、人に言えないようなとんでもない何かを押しつけられるんじゃないかと、ここにきて不安になった。
「ずっと手を入れられなくてね。気にはなってたが、素人じゃどうにもならなかったんだよ」
「え。なんすか、それ。……つーか、それこそ俺じゃどうにもなんないんじゃ」
 ドアが開いてすぐ、女将が左折。
 休憩どころを抜け……って、こんなとこあったのか。
 そういえば、このフロアにはまだ来ていない。
 確か、階表示にも特に目立ったものがなく……しいていえばキッズスペースと書かれていたが、だからこの間葉月と見て回ったときもスキップしたんだったな。
 卓球台でもあるなら違うが、さすがに俺たちが行って遊べる場所じゃないだろと思って。
「ここだよ」
「……え」
 カラリ、と軽いガラスの引き戸が開いた先は、そこそこ広い空間だった。
 というか――。
「図書室……?」
「もともとは、美術品を展示していた部屋だったんだ。ここ最近で、小さい子どもづれの客が増えたってんで、しつらえた場所だよ」
 ちょうど建物の角にあることもあり、両面の壁には大きな窓があることでより広く感じる。
 おかげで外の景色がよく見え、今日は海まで一望できた。
 壁際にはずらりと本棚がしつらえられ、絵本や小学生向けの児童書などが揃っている。
「すげぇ……全然知らなかった」
 本だけでなく、四角く仕切られたスペースには、乳幼児用とおぼしきおもちゃや小さなボールプールもあり、幼児用のすべりだいもある。
 つーか、意外とよくね? ここ。
 板張りの場所と、靴を脱いでくつろげる絨毯のスペースとわかれており、大き目のビーズクッションや移動可能なソファまであった。
「利用者って、どんくらいいんすか?」
「うちは機械類の娯楽を置いてないからね、小さな子を連れた親子連れは意外と利用するよ。夜も20時までは開けてあるが、その時間にもまだいる」
 蔵書は子ども向けが多いが、湯河原にゆかりのある文豪たちのハードカバーや歴史、文庫なども一定数揃っていた。
 が、残念なのは区切りがされていないところ。
 整理整頓はされているが、児童書も種別ごとではなく本の高さで揃えられているせいで、やや雑然と感じた。
「キッズスペースってひとくくりにしないで、これだけ揃ってるなら図書室って銘打てばいいのに」
「だけど、そうしたら本好きな大人がきちまうだろ? 子どもの場所として確保したいんだよ」
「なら、わけたらいいじゃないすか。棚が動かせるなら、半分で仕切って子ども用と大人用に……とか。ダメすか?」
 ちょうどチェックアウトの時間と重なっていることもあり、今は利用者ゼロ。
 窓からは明るい日差しも入り、がらんとしてはいるが悪くない心地よさだ。
「もしくは、絨毯と板で分けるとか……え?」
 あちこち見ながら好き勝手言ってたのが、ひょっとしたら気に障ったのかもしれない。
 何も言わないのに気づいて女将を見ると、まじまじと俺を見て――にやりと笑った。
「そういうアイディアが、内部からじゃ出てこなかったんだよ。結局、子連れをよしと思わないスタッフもいるからね。高級志向で行きたい派と、訪れる以上はもてなしたい側とどっちも譲りあえなかった結果、こんな中途半端になっちまった」
「……そうなんすか?」
「最初入ったとき、どう思った?」
 腕を組んだ女将が、改めてぐるりと見回した。
 鳥のさえずりも聞こえ、景色も抜群。
 広さは申し分なく、“キッズスペース”と謳える程度のものは揃っている。
「ものはあるけど、なんかこう……やっつけ感がちょっと残ってるかな、とは」
「遠慮なしに言うね」
「いや、もったいない感じがあるんすよ。ちゃんと揃ってるのに雑然としてるっていうか」
 文句を言いたかったわけじゃないが、感じた印象はそれ。
 だが、女将の話を聞いてなるほどなとも思う。
 そういう背景があってのこれなら、確かに手はつけにくいかもしれない。
 ましてや、中で毎日のように顔をあわせる人間同士では。
「坊やは、本のプロだろう?」
「まぁ」
「今日1日で、整理できるかい?」
 ふいに見上げられ、意外なセリフで目が丸くなる。
「え……俺が弄っていいんすか?」
「できれば、本だけじゃなくてこの部屋全体なんとかしてもらいたいね。さっき言ったアイディアもそうだが、こんだけいろんな場所でツブしが効くってことは、できることも多いってことだろう?」
 いろんな部署を覗かせてもらったものの、最終的に回ってきたのはまさに本職のところで。
 つーか、この部屋全部って。
 ……うわ、なんだよそれ。
「すげぇ。やりがいハンパねぇ」
「そりゃよかったよ。君に任せるから、ちょっとは居心地よく直しておくれ」
 棚だけじゃなく、レイアウトまでとはね。
 しかも、好きにしていいときたもんだ。
 こんだけのこと託されて、嬉しくないわけがない。
 ましてや、本に携われるとなれば、なおのこと。
「必要なものがあったら、簗瀬君に相談しな。内線は380だよ」
「了解」
 どうやら相当顔に出たらしく、女将がおかしそうに笑った。
 いや、でもこれって嬉しくねーか。
 任されるってことは、信頼してくれてる証拠。
 もらった以上は、結果としてきちんと応えたい気持ちになる。
「……流浪葉のリノベーションを提案してきたときにね、瀬那君も同じように嬉々として語ったよ」
「え?」
「最初聞いたときは、なんて無茶な提案するんだと思ったが……呑んでみたら、結果はこれだ。しがみついてばかりじゃ、見えないものも多い。外からきた人間のほうが、よっぽど見えてるってことだろうね」
 数年前、恭介さんは流浪葉の大規模なリノベーションを提案し、女将とバトルしたと聞いた。
 古きよきものであり、守り続けてきたものを変えることは、そう容易くないはず。
 だが、変えることで変わるものも当然ある。
 今の流浪葉を、大切に思っている人は多いだろう。
「……ま、好きにしておくれ」
「あざす」
 葉月も知らない場所。
 もしアイツがここへ来たら、どの本を手に取るんだろうな。
 にやりと笑った女将へ同じように笑うと、昨日までとは違い、1日じゃ足りねぇなと思う程度には楽しくなった。

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