「…………」
 あれから3時間弱。
 ときどき利用者と思しき親子連れがくるものの、混雑という言葉からはもっとも縁遠い。
 とりあえず本を種類ごとにわける……前に一旦すべて出し、棚を空にした。
 案の定、壁際に配置されているだけで棚自体は動かすことができ、仕切りとして利用する案は採用可。
 絨毯スペースにはすでに『靴をぬいでね』という張り紙があることから、絵本を始めとする児童書の置き場はそっちへ。
 椅子とセットになっているいくつかのテーブルは板張りのスペースへ動かし、大人向けの本も同じく移動。
 だが、セットの椅子だと脚数としては足りない。
 どうせならじっくり読んでほしいところだが、スペース的にこの椅子だとデカくて邪魔なんだよな。
 ……撤去でいいか。
 恐らく、館内を探せばもっとコンパクトな椅子はあるはずとふみ、重ねて奥の物置スペースへ運びこむと、思った以上に広い印象になった。
 そう。これでいいんだよ。
 『そう感じる』印象のほうが大事なんだから。
「本、お借りしても大丈夫ですか?」
「もちろん。どうぞ」
 入って来た親子連れが、すでに戻し終えた棚を見て声をかけてきた。
 って、これじゃ読みにくいよな。
 どうせ整理は終わってるんだし、戻したほうがいいか。
 棚から出した児童書は種類別にわけておいたので、まとまりのまま絨毯スペースの本棚へ。
 その際、作者ごとに入れ直すと、高さはそろわなかったが色あいはまとまり、少しは整理された印象になった。
「昼も食べずにやったら、身体壊すよ」
「心配してくれるんすか」
「せめて水分だけ摂りな。それこそ、パワハラに相当しちまう」
 腕時計を見ると、間もなく14時を指そうとしていた。
 とはいえ、今朝もおかげさまでがっつり食べたからか、そこまで腹は減ってない。
 つーか……こんだけおもしろいことしてたら、食わなくても十分。
 ほんと、人って精神で保たれてんだな。
「……うわ。あざす」
「まさか、ここまで根詰めると思わなかったよ。ホントに好きなんだね」
 緑茶のペットボトルを渡され、忘れてた喉の渇きが戻る。
 早速口づけると、予想より水分が欲しかったらしく、半分ほどまで減った。
「本が好きなのはそうすけど、どっちかっつーと任せてもらえたのがデカいかなって思いますね」
「ほう?」
「好きにしていいとか、ほんとテンション上がる」
 立ち上がって眺めると、大人向けとおぼしき書籍はとうに片づいたが、思った以上に児童書が残っていた。
 どうせなら、きっちりわけたいところ。
 絨毯側へは椅子やテーブルを配置しなかったこともあり、フリースペースとして十分活用できる空間になった。
 だからこそ、仕切りを使わず年齢ごとに分類すれば、それだけで利用者が分かれるはず。
 ま、こういう宿へ来るような家族連れだと、子どもがひとりで読みに来ることはないだろうが、たとえそうでも『ラクに』読めるようにしたい。
 さすがに図書館では難しいだろうが、それでも少しずつは椅子でなくフリースペースでの読書が可能になってきつつはあるしな。
「女将、あのビーズクッションってもう少し在庫ないんすか?」
「探せばあるだろうよ。何に使うんだい」
「いや、だらっと横になって読めるように」
「……本を読むのにかい?」
「椅子に座ってきっちり背を伸ばして読むなんて、子どもじゃ無理っすよ。好き勝手な姿勢で読んだほうが、頭に入ってくるしのめり込む」
 姿勢正しく読書は、大人ならたやすくできるが、子どもには向かない方法だ。
 家で本を読むとき、寝そべって読む子どもも多いはず。
 躾的な面じゃなく、“頭に入る”ことと“没頭できる”ことが大事。
 どうせ非日常な場所なら、なおのことそうしてやったほうが思い出には残るだろう。
「大人は、流浪葉の施設だけで十分楽しめるだろうし、印象にも残ると思いますけどね。でも、子どもなんて『なんとなく楽しかった』思いだけでも、また来たいになるじゃないすか。蔵書は少なくても、せっかく遊べるスペースになってるんだし。どうせなら、子どもがごろごろ横になって遊べるようにしてやれば、それだけでいつもと違うことができる場所になりません?」
「……ふむ。なるほどね」
 普段から、ちゃんとしろとか、きちんとしろとか言われて育った子にとって、せめてここくらいは窮屈でなくてもいいんじゃねーか。
 流浪葉レベルだと、食事も当然マナーありき。
 大人なら発散方法は多いが、子どもはそうもいかない。
 中庭で駆け回るのは許してもらえても、館内はそうもいかないだろうし。
 だったら……ってのが、小さいころよく叱られもした俺と似た子どもたちへの配慮ってとこか。
「あとは、なんかこう……非日常ついでに、イベントとかやったらいいじゃないすか」
「イベント?」
「これだけ広いし、子どもなら集めてもいいかなって」
 恐らく、家族連れ自体も少なく、利用者になったらもっと絞られるはず。
 チェックイン前ということもあるだろうが、実際、俺が作業していてここを訪れたのは10組程度だった。
 まぁ、女将としては別にここの認知度を上げたいわけじゃないんだろうけど、どうせあるなら知られたほうがいい。
 そうすれば、確実にここをなんとかせざるをえなくなる。
 『なんとなく揃えました』を脱するには、てっとりばやいんじゃねーの。
「たとえば?」
「え?」
「イベントってのは、どんなものを思いつく」
 残りの緑茶を飲みきったところで、ふと女将が顔を上げた。
 それこそ、経営者の顔。
 ほしいアイディアを出せば採用してくれそうな、図ってる顔だ。
「まぁ……手軽なとこだと、読み聞かせじゃないすか?」
「ふぅん」
「あれなら、金も導入費もかからないし」
 うちの図書館ではやらないが、市立や県立の図書館では定期的に子ども向けのイベントが行われている。
 映画上映なんかもひとつだが、どっちかっていうと本にちなんだペープサートやパネルシアターなんかも子どもは食いつく。
 うまいヘタじゃないのも、魅力のひとつ。
「今朝も言ったけど、今日は小さな子連れが多い」
「あー、言ってましたね。チェックインって、15時でしたっけ? それまでには、まぁ体裁は整えますよ」
 本は戻したし、あとは細かなチェック程度。
 それこそ、器用な人間なら……野上さんとかなら、ちゃちゃっと色画用紙でPOPや掲示物を作るだろうが、俺にそのセンスはない。
 さくっと作るところは、ほんと感心する。
「今日、どこかで読み聞かせ会をするって宣伝したら、準備できるかい?」
「は?」
 予想外のセリフで、デカい声が漏れた。
 まじまじ見つめるも、女将の目は……笑ってない。
 ……まじすか。
 てか、この場合『やります』以外の回答できねぇやつじゃん。
「やるはやれますけど……できれば、大型絵本とか紙芝居があったほうが、やりやすいかなーって」
「町の図書館が駅前にあるよ」
「まじで」
 あー……あー、はい。
 そういうことね。
 目がまったく笑ってないし、問うてはいるけど『やれ』ってことか。
「確認します」
「やるとしたら何時にするかも決めてから、連絡しな」
「……はい」
 てか、『はい』以外に言えねぇじゃん。
 まさかこんなことになるとは思わなかった。
 読み聞かせなんて、それこそ学生時代以来だぜ。
 ……あー。
 初めて読み聞かせ行ったとき、なんの本読んだっけな。
 行ったのが保育園だったのは覚えてるが、あのときは人並みに緊張したせいか本まではうろ覚え。
 それでも、全然知らない子どもたちが黙って聞いてくれて、終わったあと『おもしろかった』と言ってくれたのが嬉しかったのは覚えている。
「あ、そうだ。パソコン1台、余ってたら借りてもいいすか?」
「何に使うんだい?」
「蔵書、一覧にまとめときます」
「……そんな本格的にやらなくてもいいんだよ? 大した本は置いてない」
「でも、最初にやっとかないと、あとの管理が大変になりますって。導入は面倒でも、やっといて損はないと思いますよ」
 片づけながら、やろうと思ったことを提案すると、意外にも女将は渋い顔をした。
 確かに、並んでる本は市販されているものばかりで、がっつり古いものやそこそこ新しいものと様々。
 聞くと、寄付されたものもあるらしく、だったらなおのこと、今のうちにしといたほうが手間じゃないと思った。
 結局、本はどうしたって増えていく。
 集めていたものを手離す際、声がかかることも当然あるだろう。
 ましてや、子ども向けのものはそう。
 年に何度かウチにも声がかかるが、寄付されるとなると一度で大量に入ってくるから、多少手間だが省けない部分。
「もちろん、今後どうなるかわかんないすけどね。でも、絵本って大人になっても手に取ることあるじゃないすか」
 昔読んでもらった記憶や、ふとした拍子に目に入ることも当然ある。
 それに、絵本は何も子どもだけのものじゃない。
 ……葉月が、ウチの図書館で手にしたように。
「坊やは働くのが好きなんだね」
「いや、好きっていうか……やりたいこと、限定すけどね」
「それでも、自分から仕事をあえて増やそうなんて、意外だったよ」
 にやりと笑われ、恐らくは俺と同じことを考えてはないだろうが曖昧にぼかしておく。
 仕事が好きってよりかは、やりたいことやりたいだけ。
 悪いが、女将の考えてるほど殊勝でもなければ貢献的でもない。
「まぁなんでもいいから、昼ごはんをお食べ」
「いや、そんな腹減ってないんすけど」
「…………」
「あー、了解。てか、図書館行くついでに食べますって」
 ひらひら手を振り、恭介さんばりの睨みを回避。
 そりゃ、管理職だもんな。それこそトップの。
 ボランティアとはいえ、俺が体調崩したらそれこそアウトだろうよ。
 大きく伸びをし、軽くストレッチ。
 おかげで気が緩んでか、ほんの少しだけ腹が動いたような気もした。
 
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