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「瀬那君」「なんですか」
 「嘘をついたね」
 「まさか。女将を欺くなんて、とんでもない」
 「……葉月へ話してきたんじゃなかったのかい」
 「言った言わないは水掛け論になるでしょう? だから伝えましたよ、女将の目の前で。……俺にとって大切なふたりへ、同時に」
 大きなため息をついた女将は、ほのかにあたたまっている火鉢を箸でつついた。
 小さく炭のはぜる音がし、ちろりと赤い火花が飛ぶ。
 何か言うつもりは……もうないんだろうな。
 『まったく君にはしてやられてばかりだ』と、どこか呆れたように笑った。
 「葉月。俺が頼んだもの、持って来てくれたか?」
 「あ、うん。ちょっと待ってね」
 恭介さんが姿勢を正すと、葉月があのボストンに手をかけた。
 一泊もしないのに何を持ってきたのかと思いきや……中から出てきたのは、手触りのよさそうな白い……。
 「……ぬいぐるみ?」
 「ふふ。おばけのモーリィっていうの」
 「もしかしてそれ、あっちから連れてきた?」
 「うん。だってこの子、私が小さいときから一緒にいるんだもん」
 「へぇ」
 「ハンドメイドのぬいぐるみで、同じ子はいないの。名前も、最初からこの子についてるんだよ」
 両手のひらにちょうどよく乗るサイズのぬいぐるみは、いかにも外国のアニメに出てきそうな真っ白いシーツをかぶっていた。
 ぺらりとめくると、ちゃんと布と本体は取り外せるようになっていて、いかにも子どもが好きそうなおばけがいる。
 「あ。もう……めくっちゃだめなの。恥ずかしがりやなんだから」
 「そういう設定?」
 「ちゃんと、この子の取扱説明書代わりの絵本があるの。昼間はまぶしがりやだから、布をかけておいてあげないと、泣いちゃうんだから」
 「消えねぇのは良心的だな」
 「それはほら、ドラキュラじゃないから……かな?」
 「真面目につっこむな」
 膝へ抱えて、ぴょこぴょこと手を動かす葉月につっこむと、頭を撫でてから丸ごと恭介さんへ渡した。
 まさか……え、それをどうするわけ。
 てっきり違うものが出てくるとばかり思っていたので、まあ間違っちゃいねぇけど存外すぎるだろ。
 「……っ」
 「え……」
 手品か何かか。
 恭介さんがぬいぐるみの布をめくったかと思いきや、リボンのかかった小さな箱を取り出した。
 さっきは、見つけられなかったもの。
 だが、意外にも葉月自身が驚いており、恭介さんは『魔法だ』と笑ってぬいぐるみを手渡した。
 「さあ、うちのひとり娘も一緒に説得してくれるらしいし、これほど強力な助っ人はいないけど、どうする?」
 「…………」
 「これでもまだ、俺は何年も待つべきかな」
 「え……」
 恭介さんは、座したまま美月さんへ向き直った。
 それを見て、葉月が目を丸くする。
 ようやく、何が起きているのかわかったんだろう。
 ふたりの顔を交互に見やってから、笑顔とともにまた目元を潤ませた。
 「もう……ねえ、どうして? どうしてこんな……」
 「何年も待ったんだから、もう許してほしいね。それに、大事な娘が後押ししてくれるんだから、障害は何もないはずだけど?」
 「だけど……っ……」
 「6年だ。6年かかったが……ようやく、すべて整った。4月からは俺も葉月も、ずっとこっちで暮らすんだ」
 「っ……」
 「もう、誰もひとりにしない」
 ふるふると首を振る美月さんに、恭介さんが苦笑する。
 小さな音を立ててリボンを解き、白い箱から取り出したのは……紺碧のベルベットケース。
 それを見て、美月さんは驚いたように小さな声をあげた。
 「それ……っ」
 「覚えてくれているとは光栄だな。思えばあれが、最初で最後のデートだった」
 俺たちは……いや、ふたり以外は誰も知らない、光景が確かに見えているんだろう。
 当時のふたりだけの、思い出。
 美月さんは口元へハンカチを当てると、ゆるゆる首を振った。
 「っ……ごめんなさい、私なんかのせいで……」
 「久しく聞かなかったのに、またそれか。あなたはずっと待っていてくれた。それが俺に対する返事だと、ずっと思ってきたよ」
 「……恭介君……」
 「あのころの俺には、これが精一杯だった。でも今は、これの隣に並んでいた物だって十分買ってあげられる。努力してきたけど、まだ足りない?」
 「っ……」
 ふたが開くと、比喩でもなんでもなく、指輪がきらりと輝いた。
 ひと粒のダイヤと装飾があしらわれている、リング。
 それを見て、葉月が小さく『きれい』とささやく。
 
 「結婚してほしい」
 
 「っ……」
 「このリングじゃ、今のあなたにはデザインも値段も釣り合わないだろうけど」
 「……もう……その指輪以上のものなんて、どこを探しても見つけられないでしょう? あなたのこれまでの生涯の時間だもの。こんなに貴重なものはないわ」
 はらはらと溢れる涙をハンカチで押さえながら、美月さんは差し出されたリングへそっと手を伸ばし……かけて、止まる。
 「でも……ねえ、本当にいいの? 私が受け取ってしまって……だって、私……」
 「美月さん、お願い」
 「っ……」
 「こんなにかっこいい人、ほかのどこを探してもいないでしょう? 絶対に幸せになるって、私が保証するから」
 そのとき、葉月がそっと美月さんの手を取った。
 真正面から彼女を見つめ、にっこり笑う。
 
 「だからどうか、私のお母さんになってください」
 
 「っ……」
 目を丸くした美月さんは、葉月と恭介さんを見つめた。
 そして――ゆっくりうなずく。
 「こちらこそ、喜んで」
 「わ……っ」
 「っし……!」
 美月さんが笑みとともにうなずいた瞬間、恭介さんと葉月が同じタイミングで声をあげた。
 そのまま、いつもそうしているかのように、どちらともなく手を挙げハイタッチ。
 ……すげ。
 いわゆる、バスケの海外プレーヤーたちがするような、ちょっとした動作つきのもので、やたらいい音が響いた。
 「すげぇそれっぽい」
 「小さいころからの、合言葉みたいなものだな。うまくなった」
 「つか、普段の葉月からは考えらんねぇ速さ」
 「ふふ。友達にもよく言われるよ」
 「だろーな」
 それこそ、目にも留まらぬ、って表現がしっくりくる一瞬の出来事。
 だからこそ、うまくハマると気持ちいいんだろうなとも思った。
 「私、こんな一度に幸せになってしまったら、罰が当たるわ」
 「それは俺のセリフだ。娘と俺と親子で願いがそれぞれ叶ったんだからな。フラグが立っても仕方ない」
 「……え?」
 「そのための厄除けとしてお前を連れてきた。代わりに背負ってもらおうか」
 「げ……勘弁してくれよ」
 恭介さんににっこり笑われ、ぞくりと背中が震える。
 つーか、ある意味もはや受けてるけどな。
 まさか、1週間と経たないうちに……つーか、よもや恭介さんにあんな質問した2日後に愛娘へ手ぇ出した時点で、十分俺は死亡フラグ立ったんだろうよ。
 「大丈夫。どんなに嫌なことが起きても、3人でわけたら小さくなるでしょう?」
 「……そうだな」
 いつだったか、葉月へそんな話をしたことがあった気がする。
 楽しいことはふたりぶん。悲しいことは半分。
 今の葉月のセリフが、当時を覚えていてのものだとしたら、こいつの中に十分根づいてるってことだろう。
 「っ……」
 「サイズも変わらないなんて、さすがだな」
 「……嬉しい」
 「やっと本音を聞けた」
 小さく咳払いをした恭介さんは、うやうやしく美月さんの左手をすくった。
 指輪を薬指へ通し、それはそれは嬉しそうに笑う。
 目の前の光景は、さながら小さな結婚式のようで、葉月はふたりを見ながらとても嬉しそうに笑って拍手した。
 「あっ……写真撮ればよかった」
 「むしろ動画じゃね?」
 「お前が撮ったらネタにしてゆするだろう」
 「ちょ、なんで俺だけそんな信用ねーの?」
 スマフォを取り出した葉月へ追随すると、たちまち恭介さんが嫌そうな顔をした。
 ひどくね?
 さすがにンなことしねーって。
 「あ……じゃあ、あとで写真撮ろうよ。おばあちゃんも、みんなで。ね?」
 「それはいいな。女将、せっかくですから葉月の一番新しい写真を置いていきますよ」
 「そうだね。美月もようやく折れたことだし、これで私の肩の荷は下りたよ」
 「引退はまだ早いのでは?」
 「誰が引退するって言った。名物女将がいなきゃ、流浪葉の人気に影が落ちるよ」
 すっかり全員の涙は引き、くすくすと笑いが満ち始める。
 つか、女将と恭介さんって常にこんなやりとりしてんだな。
 てことはある意味、仲良しじゃん。
 女将も、これがあるからなんだかんだ言って恭介さんがここに来るのを拒まないんだろう。
 「いい指輪をもらったね」
 「……ええ」
 「にしてもまぁ、ここにいたときは随分ボロボロのカッコをしていた君が、ずいぶんと稼ぐようになったじゃないか」
 「さすがに、流浪葉の1日の売り上げには及びませんけどね。ただまあ、今後も安泰だと思いますよ。おかげさまで、流浪葉という上得意様がついてますから」
 「じゃあ、今後も馬車馬のように働いてもらおうじゃないか」
 「のぞむところです」
 やれやれとばかりに肩をすくめた女将へ、恭介さんは胸を張った。
 ああ、いい顔してるよホント。
 うちの叔父貴はデキすぎて困る。
 「まったく……口が減らないね、君は。昔はかわいげもあったのに」
 「そりゃこうもなりますよ。何年待ったと思ってるんですか」
 「言うね、君も」
 「当然です。待ち焦がれた間に、自分とて成長しましたからね」
 相変わらず続いているある意味“親子”のやり取りを見ながら、美月さんが笑った。
 「いつもこうなのよ」
 「えっ。お父さん、こんなふうにおばあちゃんと話してたなんて……なんだか、友達みたい」
 「ええ。恭介君が来ると大女将はいつも元気になる、って従業員の間でもちょっとだけ有名なの」
 「……さすが恭介さん」
 てか、ひょっとしなくてもこのやり取りを、本館での会議中とかにもやらかしてるんだろうな。
 絶対的な存在っつーか、ある意味恐い人だろう女将に対して、ずけずけと物怖じもせず言い放つ恭介さんは、一体どういう間柄なんだと思われていてもおかしくないはず。
 まあ、かなり昔にバイトしてたらしいから、当時から知ってる人も数人はいるんだろうけど。
 「君も一度、目の前で娘を口説かれる経験をしたらいいんじゃないかい」
 「丁重にお断りします」
 「私に強いておいて、それはないだろうに」
 「それとこれとは別ですよ。いいですか? 葉月はとても純粋に育ってるんです! あちらでも、どれだけのヤツらから守ってきたことか……! たとえ結婚相手だと連れてこられても、断固拒否しますね。まずは俺の出す課題がクリアできてしかるべきでしょう」
 声高にとんでもない発言をしだした恭介さんを見て、さっきとは違いひどく眩暈がした。
 あーーー。言えねぇ。っとに。
 顔をあわせて笑う葉月と美月さんを見ながら、すっかり冷たくなった緑茶へ口をつけるしかできなかった。
 
 
       
 
 
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