「……しかしすげぇ宿だな」
「広いね」
「それもあるけど、規模っつーか……ほんと、高い旅館って感じがする」
結局、女将と恭介さんの論破バトルは、美月さんへスタッフから連絡が入ったことで一旦収束した。
そのあとは、女将も美月さんも仕事へ戻るのにあわせ、恭介さんも外観と中庭のリフォームの話の続きをするというので、葉月とふたりきりになった。
どうしても撮りたいと言っていた写真は、葉月が持っていた昔の写真と同じく、流浪葉の看板前で……あれも大変だったぜ。
やれこっちから写せだの、逆光になってるだの、俺はカメラマンじゃねーっつの。
忙しいっつってる女将が誰よりも注文をつけており、よほど嬉しかったんだろうなとは思うが若干肩がこった。
一泊の予定ではなかったが、それは女将も美月さんも知らなかったそうで、ふたりの手が空く20時過ぎにはぜひとも一緒に夕食をと言われたこともあり、急遽こうして数時間単位で暇になったわけだ。
昼飯を兼ねて本館を散策してみたものの、まあどこもかしこも人が多い。
とはいえ、館内のほうが桁違いに広いこともあり、ごみごみしてないように感じるからすごいと思う。
従業員もかなりの人数がおり、みな揃いの着物やスーツで客をもてなしている。
どのスタッフにも共通しているのは、笑顔。
対人サービスに誇りを持ってる証拠なんだろうが、それだけでなく、こんだけデカかったら福利厚生もしっかりしてんだろうなと違う見方もついしていた。
「たーくん、和菓子処があるって書いてあるけれど、行ってみる?」
「珍しいな。お前が昼飯食ったあと、そんなこと言うの」
「……お散歩の代わりかな? 今日は、いつもより歩いてる気がするから」
「それはある。……確かにちょっと座りたいな」
靴ではなく、館内用の履物を借りての散策だったことも、もしかしたら影響しているかもしれない。
いわゆる旅館のスリッパよりは履きやすいサンダル形式だが、あちこち物見遊山さながら、ひたすらに長い廊下だったり階段だったりを行き来していたせいか、ふくらはぎがパンパン。
普段とは違う筋肉、絶対使ってる。
「……あ」
チェックインの時間のピークにさしかかる頃合いでか、フロント前を通り過ぎたとき、美月さんが
家族連れを出迎えているところを見かけた。
柔らかく笑い、小さな子へ腰を落としてあいさつしている。
……あー、葉月っぽい。
いつだったか、家の前で犬の散歩だったらしい親子連れと話しているときの姿とおんなじ格好で、こういうところが親子っぽいんだろうなと改めて感じる。
言葉の端々とか、所作とか。
そういうところに、共通点が多い。
三つ子の魂、ってやつなのかもな。
もしかしたら。
「……ふふ」
俺たちに気づいた美月さんが、にっこり笑って小さく手を振った。
その左手には、先ほど恭介さんが渡した指輪が光っている。
「たーくん、ありがとう」
「俺?」
「今日、たーくんが一緒にいてくれなかったら、私……きっとおばあちゃんに会わずに帰っていたと思うの」
美月さんを見送り、エレベーター前へ足を向ける途中。
不意に、葉月が苦笑した。
「中庭で、美月さんにああ言われたとき……きっとね、ひとりだったらお父さんに会う前に、逃げちゃってたんじゃないかなって」
「……お前が?」
「ん。勝手に期待してただけだから、違ったら仕方ないって思えばいいのかもしれないけど……できなかったの。あの写真を見つけたときから、私にとって優しいお母さんだったから」
エレベーターが開き、中から2組が先に下りた。
交替するように乗り込み――……って、人多いな。
葉月も気づいたらしく、奥へ乗り込んだものの、ちょうど角に当たるところで少しだけ俺へ身を寄せた。
「っ……ご、めん」
最後のひとりが、どうしても乗り込みたかったらしく『すみません』と言いながら全員が一歩ずつ詰めた。
ギリギリのライン。
おかげで、向かい合わせになった葉月は、胸を押しつけるような形で俺へもたれた。
困ったような顔は、当然。
と同時に、恥ずかしそうに眉を寄せたのを見て、つい小さく笑っていた。
「……あ……」
「これなら平気だろ」
「ありがとう」
壁へ手をつけ、ほんの少し隙間を作る。
途端にほっとしたような顔をしたのを見て、改めて吹き出すことになった。
弄ってやってもいいが、大勢いるここでやってもナンだしな。
ついでに言えば、多分免疫ゼロだろうし、ただ単に困り果てるような気もしたし。
キスはしたが、あれ以来手を出しちゃいない。
いや、正確には手くらい出してるが、それ以上はしてないってところか。
「……え?」
「いや」
エレベーター内がガラス張りになっていることもあり、エントランスやカフェのあたりを見下ろすことができる。
見たことがないはずなのに、妙なデジャヴのような感じを受け、勝手に『あれ?』と思いもした。
「…………」
そっちからすぐここへ視線を戻すと、ふわりと甘い匂いがした。
ついでに、唇はすぐここ。
この状況でうっかりキスしたら、お前はどんな反応するんだかな。
単純に頭を撫でるとか、手を握るとか、その程度はザラ。
だが、もっと違うところへ手を伸ばしてはいない。
……どうすっかな。
つーか、あれ以来葉月も葉月で何も言ってこない。
俺が言わないってのもあるだろうが、正直、手が出しにくい。
急に手を出してもな……いや、タイミングなんだろうけど。
いや、タイミングってよりかは、雰囲気?
まあなんでもいいけど、今はそういうんじゃねぇってことか。
いわゆる、自重期間ってことで。
「あ……」
目当ての最上階で扉が開くと、乗り込んできた客全員が下りた。
圧迫がゼロになり、葉月が少しだけほっとしたように足を向ける。
どうやら露天風呂もここにあるらしく、まだ早い時間にもかかわらずタオルを手にしている客が数名いた。
「……え?」
「美月さんにも女将にも、ちゃんと会って話せてよかったな」
葉月の頭へ手を置くと、まばたいてから嬉しそうにうなずく。
たくさん泣きはしたが、結果として最上級の日になったんだろうよ。
昨日とは大違いだ。
ちなみに、恭介さんは曹介さんと直接やり取りをしているようで、先ほど『方向性はすでに固まってるらしいぞ』と教えてくれた。
「あ」
「あ」
甘味処の目の前にある巨大な花器へ、女将が白梅の枝を生けているところに行き当たった。
てか、俺を見て『あ』ってなんすか。
まるで、虫でも見つけたかのような反応に、恭介さん以上の扱いを感じる。
「すげ……女将が生けてるんすか」
「若女将と半分ずつってとこだね。まあ、私のほうが評判はいいよ」
「あーなるほど」
「坊や、気持ちがさっぱりこもってないね」
「っ……坊やって、勘弁してくださいよ」
先日恭介さんと来たときも散々『ふたりとも同じ苗字でややこしい』と言われていたが、まさかそんな呼称に落ち着くことになるとは思わなかった。
この年でその呼び方って、なんかつれぇ。
だが、こちらの気持ちなぞ微塵も感じ取ってない様子で、たすきをしたままの女将は花器へ向き直ると、真っ赤な椿を手に取る。
「葉月のお父さんは、いつもああやってあんたのことになると我を忘れるのかい?」
「……向こうでは有名でしょうね。友達が家へ迎えに来てくれても、男の子がひとりでもいると口調があからさまに変わるから」
あー、見たことねーのにきっちり目に浮かぶ。
てか、女将に対してあんだけなんだから、明らかに自分より年下の人間相手なら、頑として譲らないだろうし。
大変だな。
まあ、だからこそ今まで葉月が守られてきたようなもんだろうけど。
「坊やも、大変だね」
「え。なんで俺?」
「葉月に手を出してるだろう?」
「っ……」
ちらりと横目で見られ、思わず口を結ぶ。
げ。なんでわかった。
つか、俺も葉月もひとことも出してないにもかかわらず、なんでそれ。
当てずっぽうだとしても、唐突なセリフに反射できなかったことでバレたな。間違いなく。
「……なんで」
「葉月の顔を見てりゃわかるよ。まったく。瀬那君は鈍いんだかなんだかよくわからないね」
「っ……え、私?」
驚いたように葉月が目をみはったが、女将は小さく笑うだけで何も言わなかった。
梅の枝の根元に椿をあしらい、一歩離れて全体をまんべんなく見てから、小さく『よし』とつぶやく。
かと思えば、手早く切った枝をまとめ、紙で包んだ。
「女の勘ってすげーな」
「私じゃなくて、美月が先に言い出したけどね」
「は!?」
まじまじ葉月を見るものの、何も言わず首をかしげただけ。
代わりに、女将がさらなる爆弾を落とし、場違いなデカい声が響く。
「葉月はきっと、孝之君のことが好きなのね、ってさ」
「っ……」
「安心おし。わざわざあの面倒な父親へ告げ口したりしないよ」
「すげぇ……面倒なって冠つけるとか、女将しかできないっすよ」
「当たり前だろう。私を誰だと思ってるんだい」
呆れたようにため息をつかれ、改めてすごい人なんだなとは思う。
が。
まさか……つーか、なんでわかったんだ。
葉月の顔って、なんだよ。何が違う?
まじまじ見てみても、俺にはさっぱりわからない。
いつもと同じように首をかしげ、『なぁに?』と言うのを見ても、まったくピンとも来なかった。
「で? ふたりはここへ何しに来たんだい。……まさか貸切風呂ってわけじゃないだろうね」
「まさか! ンなこ――」
「そ、そんなことしないったらっ!」
ジロリと見られた瞬間、慌てたように葉月が両手を振った。
しかも、真っ赤な顔のおまけつき。
「なるほど。まだまだってところか」
「ちょ、女将」
「本当に素直に育ったねぇ」
あからさまにソッチを図られたようなセリフで、さすがに眉が寄る。
つーか、くく、と笑ったのは明らかに邪気があった。
あー、こわ。
あっちこっちで見張られてるとか、まじで勘弁してほしい。
「えと、甘いものでも食べようかと思って」
「なんだ。それなら、ウチの戸棚に練りきりとどら焼きが入ってるから、適当に切ってお食べ」
「……すげ。さすがオーナー」
「わざわざウチへ金を落としてもらうのも結構だけどね、どうせなら次は泊まりに来てもっと大きな対価払いな」
「うわ。商売人」
あっさり言われたうえに、女将はたもとから鈴のついた鍵を取り出した。
てか、それって本宅のヤツじゃん。
……いいわけ?
そりゃ、孫娘の葉月はともかくとして、2度目ましての俺まであっさり留守を許すとか、どんだけ人がいいんだか。
「まあ、泊まりたきゃ美月でも私でも言ってくれれば部屋は取ってあげるよ。一番高い離れでいいだろう?」
「俺の月給吹っ飛ぶヤツでしょ、それ」
「同じ部屋にしてあげるんだから、サービス料込みと思えば安いもんだろうに。それとも2部屋取るかい?」
「いや、なんで倍払うんすか」
笑いながら言ってくれるなら冗談だとわかるが、さっきから女将はずっと真顔。
葉月だけが苦笑しており、俺としてはさっきの恭介さんばりに眉が寄ったまま。
本気で言ってないと断言できず、言葉尻からとらえるしかない。
……まあ、恭介さんもこうやって今に至ってるんだろうけど。
てことは何か。俺も数年後は、同じやりとりするってことか。
こわ。
「冗談だよ。半額にしてあげるから、いつでもおいで」
「っ……マジで」
「その代わり君は、社会勉強も兼ねて月1くらいバイトに来たらどうだい? 見たところ器用そうだし、口もたつ。なんなら副業としておいで」
「いや、副業したらガチで首切られるんで」
「黙っときゃ平気だろうに」
「だから、なんでみんなして俺に犯罪すすめるんすかね」
曹介さんといい、女将といい、ぺろっと真顔で言い出すから、ぶっちゃけ焦るじゃん。
ガチなのか冗談なのかわかんねぇけど、女将の場合は9割くらい本気でやろうとしてる感があって、若干恐い。
さっき下りたばかりのエレベーターのボタンを押し、ともに1階へ。
すると、ドアが開いたかと思いきや恭介さんが乗っており、俺たちを見て小さく笑った。
「なんだ。3人でおやつでも食べたのか?」
「これから行くんだよ」
「へえ。女将じきじきに茶をたててくださるんですか」
入れ違いで乗り込み、女将がパネル前に立つ。
すると、身体ごと向き直った恭介さんへ、女将は相変わらずの真顔で言い放った。
「葉月と坊やふたりだけで、家で待ってるってさ」
「…………」
「…………」
「……お前」
「っ……いや、何もしねぇって!」
ドアが閉まる寸前に舌打ちされ、背中が総毛立つ。
その顔、まじ怖いからやめてほしい。
てか一瞬、明らかに俺を狩る目つきで手を伸ばしてたし、これってフラグじゃねーの。
「女将、なんでああいうこと言うんすか」
「茶々入れたほうがおもしろいだろう? 元気の秘訣だよ」
「あー……腹痛くなってきた」
くく、とそれはそれは人が悪そうにつぶやいた女将は、とてもじゃないが葉月を迎えたときのほがらかな表情からはほど遠い笑みを浮かべていた。
|