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「え……っ……」「俺は十分期待した」
 頬を撫でた彼が、すぐそこへ置いたままだったバッグに手を伸ばした。
 中から取り出したのは……それ、は。
 「……途中でやめねぇつったろ?」
 声が低くて、まっすぐ見つめられたまま告げられる言葉は、どれもこれも扇情的で。
 繋いだ手が離れ、力なく……シーツをつかむ。
 知ってる。
 ううん、もしかしたらって。
 湯河原での時間があったから、いつか……いつかふたりきりになれたとき、そうなるのかなって。
 私だって、想わなかったわけじゃない。
 「あ?」
 「……私も」
 つい、とシャツの裾をもう片手でつかむと、たーくんが目を丸くした。
 さっきと同じくらい、どきどきして苦しい。
 でも……期待してたのは、私もそう。
 彼とこうなったらいいなと、きっと……ずっと願っていた。
 「え……?」
 小さく笑ったたーくんが、口づけるように顔を寄せた……ものの、唇が触れたか触れないかで止まる。
 まるで、何かを聞いているようなそんな仕草。
 かと思えばドアを振り返り、次の瞬間ワンピースへ手を伸ばした。
 「恭介さんがいる」
 「えっ……!」
 「っ……やばい。お前呼ばれてンぞ」
 「えぇ!?」
 私には聞こえないけれど、もしかしてたーくんって……耳がいい人?
 言われるままワンピースをまとい直し、サンダルを履かずに部屋の絨毯を踏む。
 小走りで近づくのは、ドア。
 ノブを握ると、いつも以上にひやりと感じた。
 「あ、はいっ……あのっ、なぁに?」
 「何じゃないだろう。何度呼んだと思ってるんだ」
 「ごめんなさい……えっと、音楽を、聴いてて」
 ドアを開けた瞬間、階下から私を呼ぶお父さんの声が聞こえた。
 我ながらさらりと嘘が口をついたことに驚く。
 ……ごめんなさい。
 内心ではしっかり謝りながらも、たーくんを責められるわけにはいかなくて。
 一応着直しはしたけれど、確実に整っている肩から上だけをのぞかせると、階段の下で腕を組んでいるお父さんが見えた。
 「孝之はどうした」
 「……ここにいるけど」
 「葉月。部屋へ男を入れるんじゃないと何度も言っただろう! ましてや、孝之なぞ特にダメだ! ふたりきりになるんじゃない!」
 「あ……うん、ごめんなさい」
 どう言っていいのかわからず、すぐ背中にきたたーくんを首だけで振り返ると、同じように『あー、ごめん』とだけつぶやいた。
 ――ものの。
 「っ……!」
 ごくり、と喉が鳴りそうになる。
 だって……だって、たーくんの手が、するりと腰から胸元を撫でたんだもん。
 「まったく。部屋でふたりきりになるなんて、ありえないことだぞ。過ごすならリビングにしろ」
 「わかった。すぐ行く」
 「…………っ」
 まるで、手だけが別の意志を持っているかのように、服の上から壁で隠れている胸元を辿る。
 両手を壁に当てているものの、唇を噛んでいないと声が漏れてしまいそうで。
 っ……足が、震える。
 もう……もうっ……! 声が漏れてしまったら、怒られるどころじゃ済まないのに。
 「たーくっ……ん!」
 「……は」
 部屋へ戻った途端、身体ごと引き寄せられた。
 むさぼるように口づけられ、ほんの少しの苦しさで息がつまる。
 「ん……ん、んっ……」
 抵抗しようとしたわけじゃないけれど、彼の胸元へ両手が伸びて。
 でも、たーくんは腰に腕を回すとさらに強く引き寄せた。
 「は……ぁ、っ……」
 「……どうすんだよ。収まりつかねぇぞ」
 「た、たーく……」
 「……はー。くっそマジか。ありえねぇ」
 ぐい、と腰を強く当てられ、ここに当たる硬いものに身体が震える。
 もう……今、絶対顔が赤いはず。
 だけど、まっすぐに見れず視線を落としていたら、顎をつかんで目を合わせられた。
 「恭介さん、いつも何時に寝る?」
 「え……?」
 「……それともあれか。酔い潰しゃ問題ねぇか」
 「たーくんっ」
 瞳を細めてなんだか恐いことを言ってる気がするけれど、でも……あの、あのね?
 残念に思ってくれてる、ってことでしょう?
 「……ンだよ」
 とても機嫌悪そうに目を細めた彼が、小さく舌打ちした。
 私も、残念だとは思ってる。
 でも……今日に今日続きをというのは、難しいと思う。
 ……いろいろ言ってはいるけれど、たーくんもそれはわかってるんだよね。
 だから……ううん。
 だけど、こうして手を伸ばしてくれているんでしょう?
 「……残念だって思ってるよ?」
 「っ……」
 「でも、今度は……もう少し暗いときのほうが、恥ずかしくない、かな」
 さすがに目を見て最後までは言えず、濁す代わりに胸元へ頬を寄せる。
 私よりもどきどきしていない鼓動は聞こえたけれど、でも、ため息をついたあとに髪を撫でてくれた手は優しくて。
 「期待してる」
 「ん。……そうだね」
 さっきほどじゃないけれど、低い声で囁かれて、そっと背中に手を回しながらうなずくしかなかった。
 「……つか、知らなかった」
 「え?」
 「着やせするタチか? こんなに胸あるとはな」
 「っ……た、たーくんっ!」
 「へぇ。まだ直してなかったのか?」
 「ん、だかっ……ら、ねぇ、だめったら……下りてきなさいって言われたでしょう?」
 「よくね? ドア全開で……そういや窓も開けっ放しだったな。声外まで聞こえてたんじゃねぇの」
 「っ……!」
 くるりと背中ごしに抱きしめられたかと思いきや、躊躇なく胸を両手でつかまれ、慌てて身体をよじる。
 けれど……当然、力で勝てるはずなくて。
 片腕で抱きしめられたまま、声にならない声が漏れそうになった。
 「この間……お母さんに、ちょっとだけ叱られたの」
 「は? なんで」
 「……私、これまでずっと小さめのサイズの下着をつけていたから……だめでしょう、って」
 初めて流浪葉で、着物の着付けをならった日のこと。
 女性同士とはいえ下着姿を見られることが少しだけ気恥ずかしかったんだけど、それよりも前に、彼女は私を見て『もう』と眉を寄せたのだ。
 どういうことかわからなかったけれど……でも、当然わかっちゃうよね。
 できるだけ目立たないようにとサイズの合わないブラをしていたことで、理由まで説明するはめになった。
 「道を歩いていても人によく見られるから……それが少し嫌だったの。胸が大きいからかなって思って……それから、なるべく目立たないようにって。サイズが合わないのはわかってたんだけど、なんていうか……あまり大きいのって、はしたない感じがして」
 「……いや、お前が見られてンのはどう考えたって顔だろ」
 「え?」
 「まぁ、胸も多少あンだろうけどな。かわいくて胸がデカいとか、目が行って当然」
 「……もう。そういう言い方はどうなの?」
 首だけをかしげて彼を見上げると、肩をすくめはしたものの、胸に当てた手は外さなかった。
 ……もう。恥ずかしいんだよ? こんな格好。
 けろりと言われると、まるで自分が間違ってるみたいな気持ちにもなる。
 「でもね、お母さんにそう言われて……少しだけ嬉しかったの」
 「なんで?」
 「だって……胸のこととか、お父さんには言えなかったから。どうしたらいいのかもわからないまま、こうなって……もちろん、シェリーに相談してもよかったんだけど、なんだか恥ずかしくて」
 だから、湯河原で過ごしているとき、一緒に下着屋さんへ行ってくれたことが嬉しかった。
 店員さんにサイズを測られたのは少しだけ恥ずかしかったけれど、でも、きちんと合うものを買えたことで、思った以上に肩もラクになって。
 知らないことや自分の思い込みのせいで、身体にも影響があるんだと初めてわかった。
 ……そして、今。
 自分ではなく、好きな人にこうして触れられることはやっぱり嬉しくて。
 恥ずかしくはあるけれど、でも……嫌じゃ、ない。
 「んっ……!」
 「……はー……えろい」
 「たーくんったら、そればっかり……」
 「いや、素直な感想だぞ。喜べ」
 「もう」
 肩口で囁かれながら胸を揉まれ、くすぐったさとぞくりとした感じに身体が震えた。
 喜んでいいのかどうか、自分じゃわからないのに。
 とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。
 階下からまた名前を呼ばれたのが聞こえ、今度はふたりそろって肩が震えた。
 「……ふふ」
 「あー……くそ」
 身支度を改めて整え、解かれた腕に……そっと触れる。
 たーくんはため息をついたけれど、でも、普段と同じような顔を見せた。
 ……また今度は、私じゃなくて……たーくんの番かな。
 思い出すと身体が震えてしまうほどの、まさに経験。
 だけど今は、こうして“ここ”で過ごしてもらえることを、一緒に楽しみたいと思った。
 
 
 
       
 
 
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