神父様がいらして、すぐ隣に聖歌隊の人たちも姿を見せ始めた。
 花びらが散りばめられているバージンロードの、すぐ隣。
 その1番前へ並べられている椅子に、ひとり腰を下ろす。
 2週間前、急遽こちらの知り合いへ声をかけた。
 お父さんの仕事関係の人たちや、友達。そして、近所でお世話になっている人と……小さいころからずっと、シッターとして私のそばにいてくれたシェリーにも。
 そこまで多くない、本当に関係者だけの……ある意味身内だけの式。
 日本ではお披露目をかねてささやかな食事会をすると聞いていたからこそ、こちらでは“式”を営んでもらいたかった。
 美月さんのドレス姿を見たかった。
 そして……とても幸せそうに笑う姿を見て、私も笑顔になりたかった。
 小さいころ、記憶の中にある彼女はいつだって優しくて。柔らかくて。とてもいい香りがして。
 あたたかな“お母さん”その人だからこそ、今、こうして式を行う手伝いができていることを、誇りに思う。
「葉月」
「え?」
 お父さんから借り受けた一眼レフの操作をおさらいしていたら、ふいに声がかかった。
 カメラマンは別にいるんだけれど、個人的な思い出作りとして借りることにしたの。
 今日の式も、明日出かける先でも、できれば写真を残しておきたくて。
 美月さんはまだここにいない。
 でも……お父さん、さっき迎えに行ったんじゃなかった?
 ……あ、それとももう戻ってきたのかな。
 そういえば、エスコート役は社長さんにお願いしたんだっけ。
 ふりかえると、彼の奥様はいらしたけれど、本人の姿はなかった。
 ということは間もなく式が始まるはず……だけど、どうしたんだろう。
「なぁに?」
「すまないが、フロントに行って預かり物を受け取ってきてもらえないか?」
 そう言って差し出されたのは、まさにクロークの札番号。
 今このタイミングでということは、もしかしなくても式で必要なものかもしれない。
「もう……どうして今なの? 間に合わなかったら困るでしょう?」
「すまない。今になってしまったんだよ」
 お父さんらしからぬ行動に眉を寄せると、それはそれはすまなそうに笑った。
 もしかしたら、美月さんへ渡す何かかな。
 あ、ひょっとして今朝言っていた花束?
 どっちにしても、お客様たちは席に着き始めている。
 となると――これをもって、開演になるかもしれない。
「すぐもらってくるね」
「助かるよ、ありがとう」
 カメラを席に置き、そちらへ足を向ける。
 今日は、普段履かないヒールの高い靴のせいで、少しだけ歩きにくい。
 ……急ぎたいけれど、走るのは難しいかな。
 芝生を抜け、真っ白い大理石の屋内へ入ると、思った以上にかかとの音が響いた。
「Excuse,me.I'm here to collect my baggage(すみません、荷物を取りにうかがったのですが)」
「Just a moment,please」
 グレーのスーツを着込んだフロントの男性へ札を渡すと、にこやかに対応してくれた。
 札を手にクロークへ向かい、戻ってきたとき……彼の手にはハンガーにかかっているスーツが。
「え……」
 てっきり荷物だとばかり思っていたので、意外なものに目が丸くなった。
 大丈夫? と聞かれたものの慌てて笑顔を作り、スーツを受け取る。
 えっと……ひょっとして、お父さんのお色直し用のもの、なのかな。
 美月さんがドレスを着るとき、当然お父さんは袴でないものをまとうはず。
 でも、こんなスーツだった……?
 それこそ、きちんとしてはいるけれど燕尾服でもタキシードでもないもので、ハンガーを両手で持ったまま思わず足が止まる。
 ……聞けばいい?
 もう、式は目前。
 だとしたら、えっと……もしかしてこれは、更衣室へ届けたほうがいいのかな。
 そう思いながら、ガーデンではなく控え室へと足を向ける。
 するとそのとき、ちょうど向こうから美月さんが歩いてくるのが見えて、足が止まると同時に満面の笑みが浮かんだ。
「とってもきれい」
「ありがとう」
 ぱっと花が咲いたかのような、明るい紫がベースになっている色打掛けには、藤や桜、ぼたんに菊といった、まさに百花が描かれている。
 つい先日、湯河原のおうちでおばあちゃんが見せてくれたこれは、先代の女将の婚礼衣装だと聞いた。
 ドレスもいいけれど、日本人なら着物じゃないか。
 普段まとっているものとは違い、いかにも豪奢な内掛けをまとっている美月さんは、とってもきれいで。
 男女問わずスタッフの人たちが、美しさを様々な形で形容しているのが聞こえる。
「あ、美月さん。あのね? これ……」
「あら。葉月が受け取ってくれたの? ありがとう」
 手にしていたスーツを見せると、彼女は把握していたようでにっこり笑った。
 けれど、私――ではなく、そのうしろへと手のひらを向ける。
「それは、彼に渡してもらえる?」
「え? ……っ……え!?」
 私は気づかなかった。
 にっこり笑った美月さんが、それはそれはおかしそうに笑った意味が。
 だって……だって!
 こんなことって、ないでしょう?
 示されたそちらを振り返ると、まるでつい先日湯河原の本宅を訪れたのと同じようなラフな格好のたーくんが、フロントの手前からこちらへ歩いてくるところだったんだから。
「あー……やっと着いた」
「ふふ。道に迷ってるって聞いて、心配したのよ?」
「いや、無茶じゃないすか? こんなぺらっぺらな地図だけで来させるとか。無謀でしょ」
 眉を寄せたたーくんは、手にしていたまさにメモ用紙を折りたたむと、もう片手にあった封筒へしまった。
 えっと……え? え!?
 美月さんはまったく動じることなく、それどころかこの言葉って……知ってた、の?
 目を丸くしたままふたりを見つめていたら、手にした扇子を閉じた美月さんが改めて私へ手を伸ばした。
「それは孝之君にあげてね」
「え……?」
「恭介君が、きっと準備してこないだろうからって。昨日急遽、予約を入れたの」
「え!?」
 思ってもなかった展開に、正直頭がついていけない。
 これは、たーくんのために準備されたものだった。
 なぜなら……お父さんが予約したから。
「……美月さんは、知ってたの?」
「え?」
「たーくんが今日、ここにくるって……!」
 今日は特別な日。
 だけどそれは私たちにとってであって、きっと昨日まで当たり前のようにお仕事をしていたたーくんにとってはイコールでないはず。
 でも……でも、だけど。
「あなたを驚かせたかったの」
「っ……」
 ふふ、と笑った美月さんはほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をすると『ごめんなさいね』と頭を撫でた。
 でも……でも、聞いてない。
 美月さんにも、お父さんにも。
 そして――もちろん、今ここで両手を腰に当てたまま『疲れた』とつぶやいた、たーくんからも。
「……どうしてここにいるの……?」
 今週も、たーくんとはメッセージのやり取りをしていた。
 だけじゃなくて、やっぱりどうしても週の半ばを過ぎると声を聞きたくなってしまって、何度か電話をしたこともあった。
 でも、今日ここへ来るなんて全然聞いてない。
 ましてや、昨日の夜もメッセージのやり取りをしたんだよ?
 少なくとも、その時間にはもう空港にいたはずだよね?
 なのに、そぶりさえも伝えられてはいなかった。
「お前な。ちったぁ素直に喜べ」
 振り返った私はどうやら相当怪訝な顔をしていたようで、目が合うとたーくんは瞳を細めた。
「え……っと、それはもちろん嬉しいんだけれど……でも、ここにいるなんて思いもしなかったんだもん」
 驚きすぎて、ありえなさすぎて、頭がついていかないの。
 夢、ではないらしい。
 並んだときに感じる彼の背の高さも、声の低さも、そしてこの表情も。
 何もかもが、何ひとつ変わっていない当たり前の彼そのもの。
 でも……美月さんとお父さんは知っていたんだ。
 今日、彼がこの時間までにはここへ辿り着くことを。
「あ。本日はおめでとうございます」
「まあ。ありがとう」
「……っぶね。斬られるところだった」
「恭介君、そんなことしないわよ?」
「いや、わかんないじゃないすか。なんか、演舞をするとかなんとか言ってたし。ガチの真剣があるんだとしたら、言動気をつけねぇとやべぇ」
 背を伸ばしたかと思いきや、たーくんがお祝いの言葉を伝えた。
 きょろきょろあたりを見回すものの、当然お父さんの姿はここにはない。
 どうやらガーデンにいるのが見えたようで、少しほっとした顔を見せた。
「あっ、美月さん。エスコート役の方がいらっしゃったよ」
「え?」
 ここから先、あと数歩出られてしまうと見つかっちゃうんだよね。
 先へ進もうとした彼女に両手を向け、不自然にならないように制止を促す。
 ちょうど、エスコート役の社長さんが笑顔で来られて、英語と日本語の両方で美月さんを褒めてくれた。
 彼も秘密を知っている人。
 そっと逆方向に導いてくれながら、私へウィンクをくれた。
 今から起きることを、美月さんは知らない。
 今、私が目の前で驚いた以上の反応をしてくれたら……ちょっぴり嬉しいかな。
「たーくん、着替えてきてくれる? 待ってるから」
「あー、わかった」
 間もなく始まると聞き、彼を更衣室へエスコート。
 けれど、スーツを手渡すと、まじまじ私を見下ろしてから小さく笑った。
「なぁに?」
「それなら十分隠れンな」
「っ……もう」
 小さく笑ったその顔は、とても悪戯っぽいもので。
 顎で示された先に慌てて手を当てると、頬が熱くなった。
 
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