「え? ……わ」
あちこちから声が上がり、同時に大きな飛行機のエンジン音が響く。
たくさんの人たちが空を見上げ、中には指笛ではやしたてる姿もあった。
誰もが見せている、満面の笑み。
それが不思議で、視線を少しだけ移し――てすぐ、鳥肌が立つ。
「っ……!!」
雲ひとつない、透き通る青。どこまでも広がる、大きくてすべてを包み込むような空が広がっている。
でもね、違うの。
ひと筋、青を区切る真っ白い飛行機雲が走った。
ひとつじゃない。
ふたつ、でもない。
もっとたくさん。
本当に、本当にたくさんの飛行機雲が。
『Let's D8』
いびつながら確かに形作られているのは、まさに“メッセージ”。
この言葉を思い浮かべたのは、いつだっただろう。
よく見聞きしたのはシニアのころだったけれど……つい最近は、そう。
たーくんと一緒に大学の教学課へ手続きをしに行った、あのときだ。
空を見上げているたくさんの人たちにとっては、さほど大きな意味を持たない言葉かもしれない。
でも……でもね?
私は、送ろうと思って……でも送れなかった、言葉なの。
「ほう。これはなかなか気の利いた祝電だな」
いつの間にそこにいたのか、隣を見ると同じように空を見上げているお父さんがいた。
腕を組んだままにんまりと笑みを浮かべ、まんざらでもない顔をしている。
「え? お父さん、じゃないの……?」
「何がだ?」
「あのメッセージ……頼んだの、お父さんなんじゃないの?」
祝電、まさにそうだろう。
だって、このガーデンからちょうどよく見える場所に描かれた、スカイメッセージなんだから。
専用の飛行機でアクロバティックな飛行をしながら、空に描く文字。
それが、今目の前にある飛行機雲で造られた言葉。
日本じゃなかなかないかもしれないけれど、でも、比較的このオーストラリアでは見かけることがあった。
これまでに、私も何度か見たことはある。
いろんな言葉があるけれど、どれもこれもその後ろにはドラマのようなものを感じられて、見つけるたびに幸せな気分になった。
あるときは企業広告。
あるときは結婚のお祝い。
……そしてあるときは、プロポーズだったりそれに応えるものだったりと、本当に様々だった。
でも、今この目の前にある言葉は違う。どんな物にも当てはまらない。
だって、あれは誘いの常套句だから。
『デートしよう?』
単語を数字にもじって造られた、そんな意味の言葉。
「いや、俺じゃないよ」
「え……」
「ただ……まぁそうだな。心当たりはある」
「そうなの?」
今のところまだ、参列者の誰かが名乗り出る気配はない。
私にはわからないけれど、お父さんには思い浮かぶ人がいるってことは……身近な人、なんだろうなぁ。
「え?」
「写真だけ送っておこう。きっと喜ぶ」
「あ……そっか。離れてたら見えないもんね」
「ああ。まず間違いなくこれは見れないだろうよ。なんせ今、日本にいるはずだからな」
「そうなの?」
「すまないが、スマフォを借りてもいいか?」
「ん、ちょっと待ってね」
腕を組んだお父さんは、私へ向き直ると手のひらを差し出した。
意外なセリフで目が丸くなったものの、どうやらどころか、お父さんには“きっと”じゃないその人が浮かんでいるんだろう。
「……私も?」
「ああ。ついでに孝之もだ」
空を撮影したお父さんが、私へスマフォを構えた。
だけでなく、シャンパングラスを取りに行こうとしていた、たーくんを呼び止める。
「何?」
「いいから、ちょっと並べ。……腹立たしいが、いい画ではあるな」
「っ……恭介さん。晴れの日くらい、その顔ナシでよくね?」
「うるさい」
たーくんがすぐここへ立ったのを見て、お父さんはなぜか眉を寄せた。
どころか、少しだけ険しい顔をして、とてもじゃないけれどさっきまで見せていた穏やかな表情とは違いすぎる。
「あとで、俺へ転送しておいてくれ」
「ん、わかった」
スマフォを受け取り、お父さん宛てに写真を送るべく操作する。
すると、腕を組んで空を見上げながら小さく笑った。
「まったく。兄貴には頭が上がらないよ」
「っ……伯父さん?」
「そもそもこの言葉は、兄貴から教わったんだ」
「まさか……うちの親父?」
「ああ。兄貴はああ見えて、きっとウチで一番ロマンチストだろうな」
予想外の人を告げられ、思わずたーくんと顔を見合わせていた。
ということは……きっとこの言葉を、伯母さんへ伝えたこともあったはず。
わ……すてき。
年末に見せたもらった、若かりしころのふたりが目に浮かんだものの、私とは違ってたーくんはどこか嫌そうに顔をしかめた。
「昔……それこそ学生のころ、な。美月をデートに誘う文句として、何かいい英語のフレーズはないかって聞いたことがあるんだ」
「……恭介さんのほうが、よっぽどロマンチストじゃん」
「俺は単にカッコつけたかっただけだ。兄貴とは違うさ」
苦笑を浮かべて首を振ったところで、むこうで話していた美月さんがこちらへ戻ってきた。
私と目が合うと空を指差し、『すてきね』と微笑む。
「この間兄貴たちが湯河原に来たとき、美月がこの話をしたんだよ。もう10年以上前になるのに、俺が送ったメールを保存してくれていたんだと聞いて……そういえばあのとき、兄貴はひどくおかしそうにしていたな」
「え、親父たち会いに行ったの?」
「ああ。女将と美月へ会ってくれた。あれはそれこそ、両親同士の対面さながらだったよ」
伯父さんとお父さんは歳が離れていることもあって、きっと……頭が上がらない人なんだろうなとは感じている。
伯父さんと伯母さんは、お父さんのことをとても大切にしてくれていると同時に、私が感じた以上の気持ちを抱いてくれているんだろうな。
「……美月のセリフがなかったら、きっとこのメッセージはここになかったよ」
「あのときは、本当に嬉しかったの。……ふふ。今度、葉月にも見せてあげるわね」
「いいの?」
「っ……それはちょっとやめてほしいな」
くすくす笑った美月さんに目を丸くすると、お父さんが慌てたように制した。
珍しい。
こんなふうに慌てるところなんて、それこそ普段ほとんど見ない。
んー……もしかしなくても、確かにちょっとだけ恥ずかしいのはあるかもしれない。
だって、私がたーくんに宛てたメッセージを見せるようなものでしょう?
それは……ふたりだけのものにしておいてくれて、十分かな。
「あ?」
「……ふふ」
「なんだよ。気になるだろ」
ちらりとたーくんを見上げると、いぶかしげに眉を寄せた。
空にはまだ、消えることなくメッセージが残っている。
「Are you going to go with me?」
「……だから。なんでいつもお前は肝心なところで英語なんだよ」
「だって……ちょっと恥ずかしいんだもん」
「あのな」
お父さんに聞こえないように、と小さな声でつぶやいたのがよくなかったのかもしれない。
ちらりとふたりをうかがうと、シェインさんとともに別のゲストに声をかけられて、こちらへ背中を向けたところだった。
ストレートに言ったら、どう言ってくれるんだろう。
それとも……ううん。そうしたとき、反応は今と変わる?
ならば、私に必要なのはそのまま伝えることなのかもしれない。
眉を寄せた彼へ『ごめんね』と小さく笑い、改めて背を正す。
「明日、私とデートしてくれる?」
ほんの少しだけ、どきどきして苦しくて。
でも、言い切った瞬間たーくんは意外そうに目を丸くすると、首筋へ手を当てた。
「……別にいいけど」
「ありがとう」
ぼそりと呟かれた声は、少しだけいつもより低くて。
まさに、ひとりごとのようなものだけど、しっかりと聞こえたのが嬉しかった。
|