「意外と日本人多いんだな」
「そうだね。でも、メルボルンよりもシドニーのほうが多いよ」
「へぇ」
「メルボルンは静かな街だから。シドニーのほうが、もっと華やかっていうのかな。いろんなお店もあるし、そういうのが好きな人だったり短期で住む人にとっては、向こうのほうが住みやすいかもしれないね」
「……ふぅん」
ホテルをチェックアウトしてからは、お父さんの車が2人乗りということもあって別行動になった。
幸いなことに、メルボルンは路面電車のトラムが東西南北へ伸びているから、交通面では特に不自由はないんだよね。
無料のトラムも走っているし、公共交通機関に限って言えば区域内ならば乗り降り自由で料金も一律。
そのことを伝えたら、たーくんは『理にかなってる』とどこか感心したようにつぶやいていた。
たーくんが帰国するのは、明日の午後だと聞いている。
だからこそ、行きたい場所や見たい場所があったら案内したかった。
……なんだけど。
「ねぇ、たーくん。本当によかったの? 観光地じゃなくて」
ホテルからもっとも近いトラム乗り場まで歩いていたときに聞いたら、たーくんは『そういうのは別にいい』とだけ答えた。
まだ午前中。
限りはあるけれど、観光するならば遠いところでもまだ間に合う時間ではある。
「俺が見たいのは、どっちかっつーと有名どころじゃなくて、普段の様子なんだよ」
「普段?」
「お前がこれまでずっと暮らしてきた、街並みとか……なんかそういう、個人的なほう」
とりあえず中心地へ戻ればどんな方向にでも出れるかなと思ってトラムへ乗ったものの、正直あてがない状態だった。
でもまさか、そんなふうに言われると思わなくて、つい足が止まる。
ここが個人的な場所かと言われると、少し違う。
家は、メルボルンの中心地から少し東寄りの地域。
高校もそちら側だし、このあたりはもう少し行くと小学校があるあたりだ。
「一般的な場所は、それこそパンフレットにも載ってるだろ? そういうのならいつだって選べるけど、葉月と恭介さんが暮らしてきた歴史っつーか……そういうのは、お前が一緒じゃなきゃ見れねぇじゃん」
「……」
「なんだよ」
「ううん、なんか……そんなふうに言ってもらえると思わなかったから、嬉しい」
そっぽを向いたまま言われた言葉だけど、でも、表情はずっと見れていて。
だからこそ、どういうつもりでたーくんが言ってくれたのかわかるからこそ、じんわりと胸の奥が熱くなる。
「そういう場所なら、いくらでも喜んで」
「……そういう顔すんな」
ずっと繋がれている手をそっと握り返すと、私を見たたーくんは少しだけなぜかばつが悪そうな顔をした。
もう1本別の方向のトラムに乗ろうかと思ったんだけれど、それならば目的地は少し変わる。
……こっちに行くの、久しぶりだなぁ。
お店はあるけれど、わざわざ足を伸ばすことはしない場所。
でも、今よりもずっと小さかったころは、毎朝お父さんが車で送ってくれた場所なんだよね。
「あそこの角にあるドーナツ屋さんでね、おやつをよく買ってもらったの」
「恭介さんに?」
「うん。でも、私そんなに量を食べられないでしょう? だから、学校の帰りに買ってもらってることがすぐに見つかっちゃって、シェリーに叱られたの」
昨日、式にきてくれていたシェリーに、もちろんたーくんのことを紹介した。
そうしたら、会って最初に『この子にはちゃんと食事をとらせてね』と、小さいころから口にされていることを言われて、少しだけ気恥ずかしくもあった。
でも……ああ、本当に不思議な気持ち。
ずっと“ここにいてくれたらいいのに”と願った人と、こうして自分が育った場所で過ごせるなんて。
「ありがとう、たーくん」
「……何もしてねぇぞ」
「ううん。一緒に歩けるのが、本当に嬉しい」
そちらを見上げると、さっきとは違うどこか困ったような顔で『別に』とだけ口にした。
「……広くね?」
「んー。広いとは思うけれど……普段、乗り物でしか移動しないから」
「あー、それでか。さっき歩こうつったら、意外そうな顔したの。つか、知ってたなら止めろよ。もう何キロも歩いてねーか?」
トラムを利用して戻ってきたのは、家まであと……駅で言ったら3つ程度手前のところ。
すぐそこの停留所は道路の真ん中にあるから、渡るときに気をつけるんだぞといつもお父さんに言われている。
「つか、オーストラリアっておおざっぱじゃね?」
「え? どうして?」
「いや、最初のトラムの運転手。突然『トイレに行きたいからここで降りてくれ』つって停めたじゃん。あれアリか? 日本じゃ考えらんねぇぞ」
「あれは……でも、仕方ないでしょう?」
「そーやって許してやれるところはまぁ、国民性の違いなんだろうな」
よくあると言ってしまうといけない気持ちもするけれど、停留所以外で乗り降りすることもあれば、運転手だけでなく乗客の都合で停まることもしばしば。
でも……そうだね。日本じゃ考えられないかもしれない。
いつだって定刻で走る電車は、1分でも遅れると長い間『ご迷惑をおかけして申し訳ありません』と謝罪アナウンスを流しているし。
……私にとっては、そっちのほうがありえない感じはあるんだけど。
ふふ。一緒にいるからこそ、そういう違いがわかって少しおもしろいなと思う。
「え?」
2車線ある道路を渡ろうとしたとき、たーくんが手を引いた。
視線の先には、赤いワゴンのアイスクリーム屋さん。
小さな子たちだけでなく、私と同い年くらいの男の子も並んでいる。
「えっと……食べる?」
「食いたいだろ?」
「もう。たーくんが食べたいんでしょう?」
馴染みすぎて視線が行かなかったけれど、そういうところはさすがだなと思う。
チョコレート、バニラ、ストロベリー。
トッピングは様々で、キャンディやチョコレートもあった。
でも、量が多いからひとりで買うことはまずない。
……おやつを食べると、叱られちゃうから。
昨日、パーティでケーキを食べていたら、シェリーには『肉を食べなさい』と言われたっけ。
「はい、どうぞ」
「でかくね?」
「量が多いから、普段私はひとりじゃ食べないかな」
カップからはみ出るんじゃないかという量のバニラアイスには、チョコレートシロップとナッツがぎっしり乗っている。
でも、ちょっとだけ私ももらおうかな。
日傘は差していたけれど、照り返しが強くて少しだけ肌が熱くなっていた。
「あー……うまいな」
「ね。私も、ここのアイス好きだよ」
大きなスプーンを差し出すと、それはそれは気持ちいいくらいに食べてくれた。
同じお店のワゴンは、家のそばにもやってくることが多い。
あまり甘い物を食べないけれど、私とはんぶんこという形で、お父さんもよく食べてくれる。
「なんだか不思議な感じ。たーくんとふたりで、ここを歩けるなんて思わなかった」
「そりゃ、俺だって同じだ。つか、恭介さんらしいぜ。前日まで何も言わずに、チケットだけ送ってよこすとか。ちょっとそこまで、って距離じゃねーっつの」
日本では、この土日を含めて昨日からちょうど3連休だった。
でも、たーくんは木曜の夜の便でこっちへ来てくれていて……それこそ、お仕事上がりと同時くらいだよね?
移動距離ももちろんだけど、時間も本当に遣ってくれての今がある。
だからこそ、ただただ感謝しかない。
「けど、これてよかったとは思ってる」
「そう言ってもらえたら、私も嬉しいよ」
「これまでも、恭介さんに何回か来いって言われてたけど、なかなか時間がなくてな。だからまぁ……無茶苦茶なスケジューリングだとはいえ、こうでもしなけりゃ、来れなかった」
笑ってそう言ってくれることは、とてもありがたいと思う。
こうして、一緒にいられるようになった今だからこそ、より思うんだろうな。
私も、冬瀬でたーくんが過ごした場所を見ながらひとつずつ思い出を教えてもらえることが、やっぱり特別で。
自分が知らない姿に触れられることは、とっても嬉しい。
「空も海も繋がっちゃいるから日本と変わりない気もするけど、まぁ全然違うよな。ちょうど朝方の海見れたけど、濃い群青から水色がかった……それこそエメラルドの海見たときは、衝撃だったぜ」
「きれいだよね。私も大好き」
つい先日、自分も感じたことを表現され、うなずきながら笑みが浮かんだ。
暑さもあって、アイスは少し溶けてしまっている。
けれど、たーくんがしっかり食べてくれるおかげで、残りはほんのわずかになっていた。
|