「葉月、おはよー」
「おはよう」
 バスが来るまであと10分という、いつもと同じ時間。
 月曜の朝は空がくっきりと晴れていて、とても心地よかった。
 金曜とは大違いね。
 天気も……そして、自分の気持ちも。
「っ……」
 外階段の下で羽織とあいさつを交わしたら、この間と同じように玄関が開いた音がした。
 見上げればもちろん、たーくんがいて。
 段飛ばしで外階段を下り、私を見て小さく笑う。
「はよ」
「おはよう」
 もしかしたら、羽織には何かわかったかもしれない。
 羽織は、機微を読める子だし……たーくんのこと、大好きだもんね。
 彼女にはまだ何も言ってないけれど、雰囲気はまるで違うから。
「葉月。お前、今日何時に授業終わる?」
「えっと……16時には終わると思うよ」
 こんなふうに3人で登校するのは、本当に久しぶりだ。
 風は冷たいけれど、日差しがあるから十分春めいて感じる。
 たーくんの卒業まで、あと少し。
 こんなふうに一緒にこの道を歩くのも、本当にあと少しだ。
「んじゃ、そのあとちょっと付き合えよ。一昨日、本屋行きそびれた」
 隣を歩く羽織ではなく私を直接見て伝えられ、一瞬どう言おうか考えてしまった。
 でも……もちろん、嬉しい。
 そういえば一昨日、お父さんと一緒にご飯を食べたあとは、かなりの時間が経っていたことと恐らく疲弊したこともあって、たーくんは『帰る』選択をしたんだよね。
 そっか。あのとき本当は、本屋さんに行きたかったのね。
 そういう意味では、申し訳ない気持ち……だけど、おかげでこの時間ができたんだと思うと、少しだけ嬉しくもある。
「喜んで」
「あ、私も行きたいっ」
 彼を見て笑うと、当然と言うべきか、羽織が声を上げた。
「いや、そこは空気読めよ」
「え? どういうこと?」
 まるで質問するときのように右手を挙げたのを見て、たーくんはすかさず口にした。
 久しぶりに見るやり取りがなんだか懐かしい気もして、小さく笑みが浮かぶ。
 だけど、羽織は『どうしても行きたい』と続け、たーくんはため息をついた。
「3人じゃだめかな?」
「ダメじゃねぇけど……あー、お前アレだ。じゃあ祐恭と行けよ」
「え、祐恭先輩も行くの?」
「呼んどく」
 角を曲がりながらの提案に、羽織はとても嬉しそうに笑った。
 羽織はたーくんのことも好きだけれど、きっとそれ以上に瀬尋先輩を好きなんだろう。
 学校での昼食の時間は、絵里ちゃんとふたりで互いの彼氏の話をよくしている。
 その中で話されるエピソードは、やっぱりどれも特別なものばかりだった。
「んじゃ、16時に門まで迎え行く」
「っ……」
「待ってろ」
 きっと、何気ない仕草。
 だけどたーくんは手を伸ばして私の頭に置き、その感触があまりにも優しくてどきりとした。
 こんなふうに触れてもらえるようになるなんて。
 表情にはばっちり出たようで、私とたーくんとを見比べた羽織に小さく笑われ、さらにどきりとすることになった。

「ねぇ、ふたりとも。このあと暇ならウチ来ない?」
 帰りのSHRが終わったあと、ふいに絵里ちゃんが私たちを見た。
 月曜からそんなお誘いをもらうのは久しぶりで、だからこそ行きたい気持ちはあるものの……すでに今日は先約がある。
 羽織もそれは頭にあるようで、ちらりと私を見たあと申し訳なさそうに絵里ちゃんへ口を開いた。
「絵里、ごめんね。今日はこのあと、ちょっと出かける予定があって」
「あ、そうなの? 残念。そんじゃまた、明日でもあさってでも」
 予想に反して、絵里ちゃんは肩をすくめただけだった。
 きっと話したい何かがあっただろうけれど、それ以上は言わず。
 昇降口へ向かいながら、改めて私も『ごめんね』と伝えると、けらけら笑って『別にいいのよ』と手を振った。
「ふたりとも用事があるなんて、珍しいわね。ひょっとしてデート?」
「っ……」
 にやりと笑われ、反応に困ったのを彼女は見逃さなかった。
 羽織ではなく私を見たのは、ひょっとしたら何か気づかれたことがあったのかもしれない。
 そういえば今日は、お昼を食べながらついたーくんのことを考えてしまう時間が増えていて、上の空だと指摘もされた。
 絵里ちゃんは、私よりもずっと鋭い人。
 根拠から読み取るチカラがあるところは、たーくんにも似ている。
「デートと言えばデート……かな」
「え、ほんとに!? うそやだすっごい! え、誰? てか彼氏さんとどこで待ち合わせ? すっごい気になる!」
 ローファーを取り出したところで、絵里ちゃんは予想以上の反応を見せた。
 まさか、こんなに笑顔で反応されるとは思わず、苦笑が浮かぶ。
 でも……デートでいいんだよね?
 土曜のあのとき、たーくんにはあんなふうに言ってもらったけれど、明確な気持ちを伝えられたわけではない。
 ……だけど今朝の表情も、声も……仕草も。
 どれもこれも特別で、これまでとはまるで違うからこそ、そうだと思いたくもある。
 頭を撫でられるのなんて、いつ以来だろう。
 昔とは違い、大きな手のひらの感触はまさに男の人だった。
「……あ」
 門ではなく、ちょうど反対側にあるコンビニの入り口近くに、たーくんがいるのが見えた。
 瀬尋先生とふたり、どうやらおやつに買ったらしい肉まんを手にしている。
 私がそちらを見たことで羽織も気づいたらしいけれど、振り返る前に絵里ちゃんが私の手を引いた。
「葉月ちゃあん」
「え……と、なあに?」
 にっこり笑ってはいるものの、とても意味ありげな表情。
 それこそ、『私に言ってないことあるでしょ』と言いたげなものに見えて、苦笑を返すしかない。
「デートの相手、孝之先輩?」
「……ん」
「うっそまじで? すっご!! やだもーちょっともっと早く教えてよ!!」
「ごめんね」
 にやりと笑った顔が、少しだけたーくんにも似ていた。
 絵里ちゃんも、たーくんの幼馴染みたいなもの。
 今は違う場所に住んでいるけれど、小さいころは4人で遊ぶことも多かった。
「そっかそっか。葉月ちゃん、やっと思いが成就したのね」
「え……知ってたの?」
「ったり前でしょ。毎回かわゆい顔して、孝之先輩の話するんだもん。気づかないわけないじゃない」
 くすくす笑われ、一体どんな顔をしていたのかと少しだけ恥ずかしくなる。
 でも……そうなの。やっぱり好きな人だから、一緒に過ごせるだけで十分だと思っていたけれど……どうやらそうじゃないらしい。
 思いのほか自分は欲があるせいで、思いを伝えずに終わることは考えられなかった。
 特別になりたいと願って……事実、そうなることができて。
 案外、希望の形で想い続けることも現実に多少は影響するのかなと改めて感じた。

ひとつ戻る  目次へ  次へ