「ねぇ、葉月。お兄ちゃん本当に優しい?」
「えっと……どうしたの?」
「だって! なんかそんなふうに見えないんだもん」
 夕食の時間から、今は食後のティータイムへと移りつつある。
 伯父さんと伯母さんは今はダイニングにいて、羽織の大学の書類を見ながらずっと話していた。
 大皿に盛り付けた揚げ物やサラダはきれいに片付き、残るかなと思った量のお刺身も小皿に余る程度。
 あとで漬けにして、お弁当のおかずにしようとは思っている。
「たーくん、優しいよ?」
「たとえば?」
「たとえば……んー……難しいね」
 今ここに、たーくんはいない。
 といっても別に喧嘩したわけではなく、ついさっきスマフォに電話がかかってきて、部屋をあとにしただけ。
 瀬尋先生との言い合いはあの一度きりで、そのあとはご飯を食べながら友達や車の話を交わしていた。
「瀬尋先生は優しい?」
「っ……うん。とっても」
「ふふ。よかった」
 幸せそうに笑ったのを見て、とても嬉しくなった。
 でもきっと、私以上に嬉しかったのは瀬尋先生じゃないかな。
「そうなんだ」
「ぅ、なんですか? ……優しいですよ?」
「それはそれは」
 彼は羽織の顔を覗きこむと、嬉しそうに笑う。
 それぞれの前には、向こうで買ってきた茶葉の紅茶がある。
 デザートとして、瀬尋先生が手土産に買ってきてくれたチーズケーキがあるけれど、たーくんの分として切り分けたお皿もそのまま。
 すぐに戻ってくる様子だったんだけれど、冷蔵庫に入れておいたほうがいいかもしれない。
 彼へ淹れたコーヒーのマグからは、まだ十分温かそうな湯気は出ているけれど。
「たーくん、私だけじゃなくて羽織にも優しいでしょう?」
「……どのへんが?」
「えっと……言葉の端々もそうだけれど、勉強見てくれたり、おやつを買ってきてくれたり……とかかな」
 少しだけ困って見られ、思わずまばたく。
 優しい……でしょう?
 だって、少なくとも彼が羽織を悪く言っているのは聞いたことがない。
 確かに、些細なことで口喧嘩することはあるかもしれないけれど、きょうだいだからそう感じるんじゃないかなとは思っている。
 きょうだいの関係って、不思議だよね。
 親とも違う距離感だし、もちろん友達とも違う。
 私や羽織みたいな、いとことも違うし……独特なんだろうな、きっと。
「先生、紗那さんと喧嘩することあります?」
「喧嘩っていうか……まぁ言い合うことはあるよ」
「え! そうなんですか?」
「うん。どっちも譲らないからね」
「……なるほど」
 紗那さん、というのは彼の妹さんなんだろう。
 私はお会いしたことがないけれど、瀬尋先生は珍しく『アイツ』と口にした。
 もしかしたら、羽織は彼の言葉で少し納得したのかもしれない。
 『そういえば』とつぶやくと、しばらく口を結んだ。
「優しいって……抽象的なことかもしれないけれど、でも、自分がどう感じるかが大きいじゃない?」
「うーん。そうかなぁ」
「だから、大丈夫。たーくんは、とっても優しいから」
 心配してくれたのか、それとも何か不安なことでもあったのか。
 羽織は唇を尖らせると、『ならいいんだけど』と紅茶のマグを手にした。
 羽織と同じ態度を取られることは少なくとも、ないといえる。
 ……慰めてくれることもあるし、気を遣ってくれることももちろん。
 彼はとても優しい人だ。
 ただ……少しだけ、羽織にとっては言葉遣いがきつく感じるんだろうけれど。
「少なくとも、羽織ちゃんや俺の目の前で葉月ちゃんを甘やかすタイプじゃないからね」
「それは……確かに」
「ふたりきりのときは、きっとほかの誰も知らない顔してるんだと思うよ。アイツも」
「っ……」
 『ね?』と同意を求められ、どう答えていいか一瞬悩んだ。
 誰も知らない顔。
 確かに、たーくんの眼差しは柔らかくて、優しくて……とてもどきどきする顔になる。
 ……誰にも内緒にしておきたいこと、かな。
 確かにそう言われると、うなずくしかできないかな。
「それに、アイツが急になんでもかんでも優しくなったら、気持ち悪いんじゃない?」
「あー、それは確かに……」
「ふふ。十分優しいですよ」
「葉月ちゃんは甘やかしすぎだね」
「そうですか?」
 肩をすくめた瀬尋先生に笑われ、同じように笑みが浮かぶ。
 瀬尋先生に対しているときのたーくんも、きっと私が知らない顔をしているんだろうけれど。
 ……優しいって、難しいね。
 たーくんは十分優しい人だと思うけれど、具体的に『これがあるから』と言ったところで、受け取る人によって変わる可能性も十分にある。
「はー……やっと食える」
 どんなことを伝えたらいいかなと考えていたら、リビングのドアが開いてたーくんが戻ってきた。
 スマフォをテーブルへ置き、すぐ隣へ腰を下ろす。
「……ンだよ」
 その一連の動きを、3人揃って眺めてしまったからか、それぞれの顔を見て彼は訝しげに眉を寄せた。
「とってもおいしいよ」
「ふぅん。……まぁ普通だな」
 ひとくち食べたものの、たーくんが口にしたのはシビアな感想で。
 でも、瀬尋先生は『言うと思った』と小さく笑う。
「……ほら。お兄ちゃん、優しくないよ?」
「は?」
「それは……」
「でしょ?」
 すかさず羽織に同意を求められ、ちらりとたーくんを見て……どう言おうか迷う。
 でも……あのね。これって違うと思うの。
 優しいとか、優しくないとかじゃなくて……。
「もう。たーくん、素直じゃないんだから」
「はァ?」
 大き目のひとくちを食べるところだったらしく、一度口を閉じたのを見て小さく笑みが浮かんだ。

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