「…………」
 優しいとか、優しくないとか。
 それって実は結構難しいんじゃないかなと思う。
 羽織は気づいてないかもしれないけれど、たーくんは自分ひとり分ではなく必ず私や羽織の分までデザートを買ってきてくれる。
 羽織が困っていると敢えて、からかうように声をかけて、話すきっかけを作っている。
 きっと、瀬尋先生はそんなふうにしないんだろう。
 彼はストレートに寄り添って、丁寧に話を聞いてくれるだろうから。
 でも……それはきっと、羽織だからじゃないかな。
 もちろん、瀬尋先生は誰に対しても優しいだろうけれど、羽織以外の人にも毎回同じというわけではないはず。
 甘やかすことや、なんでも許すことが優しいわけではないし。
 確かに、丁寧な言葉を使うことは繋がるかもしれないけれど。
「ここでいいか?」
「あ、持って来てくれたの?」
「とりあえず、置いとく」
「ありがとう」
 お皿の泡を流していたら、残りのグラスをたーくんが運んできてくれた。
 ……ああ、そうか。
 思いやりがあることは、十分優しいの要件だと思う。
 羽織が戻って来たら、伝えておかないといけないね。
「羽織、いい返事がもらえてよかったね」
「ま、祐恭と一緒ならがっつり勉強すんじゃねーの」
 冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、たーくんは肩をすくめた。
 つい先ほど、瀬尋先生は玄関を出たばかり。
 今は羽織と、少しだけ話してるんじゃないかな。
 だって……今日は特別な日だもん。
 これからが変わる、大切な境目だ。
「……一緒に暮らせるって、特別だよね」
 好きな人と時間を共有できることは、とてもすてきなことで。
 朝も、夜も一緒に過ごせるなんて、楽しくて嬉しくて……しあわせ。
 置き換えるまでもなく、今の自分はまさにその時間を過ごせている。
 4月からの新生活の前に、今もずっと。
 なにげない会話ができることさえ、愛しい時間。
「っ……」
 グラスの泡を流し終えたところで、背中から抱きしめられた。
 いつもは、こんなふうにされることがほとんどなくて。
 耳元に吐息が当たって、くすぐったさとは違う感覚に身体が震えそうになる。
「……へぇ」
「ん……なぁに?」
「珍しい。ンな反応、前はしなかったろ」
 すぐ、ここ。
 キスできてしまいそうな距離にたーくんがいて、瞳を細めて笑う。
 手が濡れたままで、正直身動きが取りにくい。
 でも、まるでわかっているかのように彼は肩に腕を回す。
「特別、ね」
「……もう。くすぐったいよ?」
「お前が感じやすいだけだろ」
 きっと、あえてこんなふうに笑うんだろう。
 いつもとは違って、アルコールの匂いが強い。
 ああ、そういえばビールのあとに日本酒も開けてたっけ。
 伯母さんは飲まなかったけれど、瀬尋先生は残念そうに瓶を眺めていた。
 でも、たーくん優しいんだよ?
 ちゃんと、持ち帰り用の小さなボトルを渡してたんだから。
 瀬尋先生も意外だったんだろうな。
 それとたーくんとを見比べてから、『相変わらずマメだな』と笑っていた。
「ぁ……」
 顎に触れた指先が、少し冷たくて。
 でも、キスはとても温かくて。
 ダイニングの明かりはないから、今リビングに誰かきたら目立っちゃうはず。
 アルコールの香りのキスは思った以上で、離れたとき少しだけくらりとした。
「明日。どっか行きたいとこあるか?」
 天気予報は、確かあまりよくなかったはず。
 でも、羽織は瀬尋先生の家に行くと言っていたし、伯父さんと伯母さんもお出かけするみたい。
 だから……こうしてお家で過ごすのも、十分。
 ふたりきりの時間は、とても穏やかで柔らかで……優しい。
「たーくんは?」
「別に」
「じゃあ、お家でゆっくりするのはどうかな? 最近ずっと、出かけてたでしょう? たーくんに借りた本も読みたいから」
 新書とは別のハードカバーも、彼は昨日借りて帰ってきてくれていた。
 もしかしたら、少し寒くなるかもしれないし。
 温かい飲み物と一緒に彼と過ごせたら、それもまた特別な1日になる。
「んじゃ、部屋でごろごろするか」
「もう。ごろごろはしなくてもいいんじゃない?」
「楽な姿勢で読むのがベストだろ」
 肩をすくめた彼に笑うと、頭を撫でて背中から離れた。
 たちまち温もりが薄まり、少しだけひんやりとする。
 ……でも、十分に手は届く距離。
 きっと今度は、私から手を伸ばしても何も言わずにいてくれるだろう。
「つか、何もお前が全部片付けなくていいだろ。こっちきて座ってろ」
「ん。すぐ行くね」
 ペットボトルのお茶を持った彼が、私を振り返った。
 たーくんはいつも、こうして気遣ってくれる。
 だから……十分すぎるほど、優しいんだよね。
 同じセリフを羽織には言わないかもしれないけれど、似たような言葉は伝えてくれる人。
 ただ……素直じゃないだけで。
「わ。リビング暖かいね」
「キッチンが寒いんだろ」
 ソファに座る彼の隣へ腰かけると、温かい空気が十分残っているみたいで、エアコンはついてないのに暖かく感じた。
 でも、もしかしたら、少しだけ触れているからかもしれないけれどね。
 羽織はまだ戻ってきてはいない。
 かなり冷えるだろうけれど、でも……離れがたい気持ちは、十分わかる。
「っ……」
 テレビを見ているにもかかわらず、たーくんは私の髪を撫でた。
 大きな手のひらがゆっくりと往復して、気持ちが穏やかになる。
 ……特別な時間ばかり。
 少しだけ彼へもたれると一瞬視線は合ったものの、小さく笑われたあとは何も言われなかった。

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