「んふふふー。おはようございます!」
「…………」
「あら? おはようございますっ!」
「……朝からすげぇテンション」
「あら。そういう瀬那さんはどうしたんですか? やたらめったら不機嫌ですね」
まるでオペラかのように、それこそ声高らかなあいさつが響き渡った。
若干巻き舌気味。
はー。ほんとこの人、どういうテンションしてんだろ。
「はっ。もしかして……んやだぁもぉー! まだ朝ですよ!? ていうか夜でもダメですそんな会話!!」
「いっ……だから。人を叩くなって」
テンション高いままばしばしと背中を叩かれ、持っていた本を数冊落としそうになった。
てか、何想像してくれてんだよ。勝手に。
絶対違うと言い切れることだけに、ため息よりも少しだけイラっとした。
あー、ダメだな。今日は。
どうやら余裕がないらしい。
……離れとこ。
うっかり舌打ちした日には、怒涛のように野上さんからの方向違いなクレームが飛んでくるだろうから。
「でっ!?」
「……は?」
「いかがでございました? わたくしの昨日のおチョコレートは!」
配架本を数えていたら、ずい、とまさに至近距離へ彼女が顔を寄せた。
……いや、あのさ。
パーソナルスペースって言葉、普段ならがっちりきっちり守ってンのに、なんでこんなことになってんだかな。
舌打ちしなかったのは褒めてやりたい。
俺は偉かった。ああほんとマジで。
「……なんすかあれ」
「どれです」
「なんで納豆をチョイスするのか、全然わかんねぇ」
じいっと見たままというよりは、半分程度機嫌の悪さは上乗せされていたはず。
だが、野上さんは得意のスルースキルを発動したのか、まったく気にしない様子で『はて?』とわざわざ口にした。
「瀬那さんのところに残ってました?」
「…………は?」
「私、試食してみたんですよねー。で、さすがにこれはちょっとなと思ったから、全部回収したつもりだったんですけど……ある意味ラッキーですよ。おめでとうございます」
「いや、全然嬉しくねぇ」
まさか回収されてたことも知らなかったし、てかつまりは俺だけ大ハズレってことじゃん。
てか、訴えてもいいレベルじゃねぇの?
ある意味事故に遭ったってことだろ? 俺。
「…………」
「あら。なんですか? その顔。ほかのはおいしかったでしょお? キャラメルも入れましたよ」
「…………」
「あ、ちょ。瀬那さん? ちょっとお! あ、もしかしてほかの食べてないんですか!?」
「ご名答」
「ひっどーい! 食べてくださいってばあ! 絶対おいしいですからっ!!」
「気が向いたら」
本を抱えてカウンターを出ると、それはそれは大きな声で業務とまったく関係ないことを告げられた。
ほかのはって言われても、ひとつ食ってそれなら全部拒絶反応出て当然じゃん。
俺は悪くないし、毎年恒例の感想もきっちり伝えたからもういいや。
あー、仕事しよ。
2月15日、それこそ本日は通常営業の平日2日目。
いつもと変わりない日を過ごして、今週もこなすだけだからな。
「…………」
心の端のほうでは、夢みたいに荷物だけ届きませんようにと祈りながら。
「……は?」
「いやー昨日はちょっと大変だったんだよ。聞いてくれる?」
「断っても話すんだろ? どうせ」
いつもと同じ学食での昼食。
だが、いつものように朝、顔を出してランチの予約をしなかったせいで、残念ながら今日はラーメンになった。
あーあ。俺としては竜田揚げポン酢おろし食いたかったんだけどな。
ついさっきどころか、俺が昼休憩に入るのをまるで見計らっていたかのように、優人がカウンターへ姿を見せた。
今日は平日。
コイツも仕事のはずなのにここにいるってことは、午後は休みってことか。羨ましい。
どうせならいっそ、俺も休み取ればよかったとは思うものの、1日休んだところで大したことにはならないかと留まった。
こんな気分なのは、それこそ自分のせいでしかない。
ずるずると引きずったままアイツを待っていたって、何も変わらないってのにな。
「つか、お前ほんと急に来るよな。俺が出張だったらどうすんの?」
「あのさー。俺散々お前にメッセージ送ったよ? 既読付かないから泣きそうになった」
「いつ?」
「昨日の夜」
「あー……うっかり寝たからな」
そういや今朝もスマフォで確認してはいない。
さすがに忘れないよう鞄へはつっこんできたが、うっかりあのあと二度寝して遅刻ギリギリになったんだよ。
悪いが、お前を構ってる暇はなかった。
「そんでもまぁこれ、おすそ分けあげるにゃん」
「…………」
「そーゆー顔しちゃう? 喜べ。高級チョコぞよ」
ラッピングもへったくれもない、むき出しの箱。
手のひらサイズのそれは、まぁ見たことある。
某有名チョコレート専門店が売ってる、チョコレートがサンドされているクッキーの箱だ。
サイズも値段も手ごろとあって、俺もたまに買うことはある。
が。
当然アレは、ビニールで包装されていて、箱はむき出しじゃない。
お前、これ絶対なんかあンだろ。
レンゲでスープを飲みながら優人を見ると、両肘をテーブルへついた上に顎を乗せていた。
それこそ、ちょっと変わった女子がやりそうなぶりっ子スタイル。
あー、ガチじゃん。
まぁ、わかってて受け取るのと違うのとでは用途が変わってくるからある意味安心だな。
「何に使えって?」
「お、さすがはたーくん。葉月ちゃんの影響?」
「……ンでアイツが出てくんだよ」
「だってほら、最近めっきり夜遊びしなくなったじゃん? こないだまでは、まったくそんな素振りなかったのに。ここんとこ、仕事上がりに遊び行くこともないらしいし?」
「どこ情報だ」
「やだなー。俺の情報筋いっぱいあるよ?」
知ってる。
が、まさかまっとうに暮らしててもンなこと言われるとはね。
てことはあながちもうすでに、コイツは葉月のことを掴んでいるかもしれない。
言うまでもなく。
だから、こんなブツをわざわざ届けにきたんだろ。
「お前、葉月に手ぇ出すなよ」
「やだなー。これまでもお前の彼女に断りなく手ぇ出してこなかったっしょ?」
「いや、アレはそれこそ吹き込んだ結果だからどうでもいいんだよ。あっちがお前を選ぼうと好きにヤろうと関係ねぇから」
もともと身体だけの関係で成り立っていたもの。
それこそ、学生時代から変わらないそれは、優人もそう。
俺のことがどうしても好きでたまらなくて付き合ってるみたいな人間ではないからこそ、優人が『孝之知ってる?』と声かければそこから変わることも多かった。
別にいいんだけど。お前がいいなら。
学生のころから言ったセリフだが、優人はいつでも『だってヤってみなきゃわかんないじゃん』とからから笑っていた。
そういう意味では、お互い罪悪感なんてモンは皆無。
だが……今回ばかりは話が違う。
恭介さんに知られたら確実に死。
てか、その前にまぁアイツがコイツへなびくとはミリとも思えねぇけどな。
「葉月ちゃんのこと、心配?」
「別に」
「でも、そういう子ほど試してみたくねぇ?」
「なんで?」
「不安、ないの?」
「ない」
「っへぇ。すごいじゃん。よっぽど信頼してる……つか、あの子がお前じゃなきゃってこと?」
「さぁな」
残った麺をつまみ、昼飯終了。
話しながらとあってか、麺類にしてはいつもの倍時間はかかった。
「試すなよ。なんか、アイツのお前を見る目が変わりそうじゃん」
「およ。そんなセリフ初ですなぁ。俺のこと心配してくれるとか、従弟冥利に尽きちゃう」
「従弟っつか、お前はもはやツレだろ。何年一緒だと思ってんだよ」
「それな」
祐恭とコイツが出会ったのはまだ数年だが、俺はそれこそ物心つく前からずっと一緒に育ってきたようなもんだ。
いい面も悪い面も、それこそ全部シェアしてきた仲。
そういう意味では、運命共同体と言っても過言じゃない。
……ここにきて失職は勘弁してもらわねぇとな。
ま、さすがに法は犯してねぇけど。
「あ。だからこれ、持ってけって」
「なんだよこれ。どういうブツだ」
「チョコレート。おいしいよ?」
「いかわがしいヤツだろ?」
「まさか。見てみ? ちゃんとブランド名入ってるじゃん」
トレイを手に立ち上がると、優人がそこへ箱を置いた。
中身が見えるデザインになっており、見た目だけならまぁホンモノっぽいブツは見える。
ラングドシャにサンドされている、チョコレート。
ホンモノならうまいだろうが、コイツがよこすってとこがなんか危ねぇんだよな。
「まぁ、食えそうなら食っとく」
「お。ぜひぜひ。今回はガチのガチだから」
「お前のガチって、どっちかわかんねぇよ」
胸を張って宣言され、さすがに噴き出す。
優人が、今日ここへ来たのはこれを渡すため……ってのがひとつと、先日くれてやったデータの有効活用についての報告。
だからまぁ、ある意味では後者のほうがデカいんだろうな。
曹介さんから進展については連絡をもらってないが、一昨日恭介さんに聞いたときは、無事に立件できたと聞いた。
裁判までも、そう時間はかからないそうだ。
「ほんじゃま、葉月たんにもよろしくね」
「いや……あーまぁ、伝えとく」
ここで『いない』と言ったら、それこそ仕事上がりに迎えに来そうな気がしてさすがに黙っておく。
今のところ間に合ってる……つーかぶっちゃけ、誰でもいいからシたいわけじゃない。
…………。
あー。
っとに残念どころか、ぶっちゃけ腹立ったけどな。
いくら叔父貴で義父とはいえ、あんだけ盛り上がった最終でへし折られたんだから。
「たーくん?」
「…………」
「あれ、似てない?」
「ちょっと似てて腹立つ」
声は違うが、イントネーションが少しだけ。
ほんとお前器用だな。ある意味。
「ほら。散れ散れ」
「はいはい。ほんじゃ、またぬー」
食器を戻すべくあちらへ足を向けると、さすがについてはこなかった。
しかしまー、ほんと当たり前のように姿見せるよな。アイツ。
俺よかよっぽどいろんなモン身についてるヤツだと、改めて感心もした。
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