助手席にアイツがいないのが、ひどく足りない気がして。
葉月が湯河原へ戻ってからというもの、あえてそこを埋めるかのように本を載せていることが多かった。
いないことを意識しすぎないように。
自覚してしまわないように。
あえて封印するかのように本や持ち物を整理もせず乗せておくことで、『別に』と言い訳をするためだったようにも思う。
「っ……」
冬瀬駅のロータリーへ乗り入れ、駐車場に停めてから改札へ。
一昨日、葉月が俺を空港まで送ってくれたとき、『わざわざ駐車しなくていい』と言ったが、アイツは困ったように笑った。
逆の立場だから、よくわかる。
車越しに“送迎”じゃなく、直接できることが大きいんだと。
負担でもなんでもない、より近さを感じたいだけ。
……ほんと、ある意味驚くぜ。
こんなにも想いで行動が変わるなんて、知らなかった。
「は……」
東海道線の改札前へ向かうと、ちょうど電車が着いたらしく大勢の人間が行き来していた。
待ち合わせしている人間も多く、壁際に沿って重なるように立っている。
だが、あたりを見回してみても葉月の姿はなかった。
てことは……もう動いたか?
慌ててスマフォを取り出すと、アイツからのメッセージが届いていた。
『待ってるね』
たったひとことだが、こんなにも感情が揺れるもんなんだな。
アイツがこう言ったときの笑顔が浮かび、なんともいえない気持ちになった。
てことは、勝手に行動しないはず。
いや、もしかしたらまだ着いてないのかもな。
次の電車かもしれないし。
「っ……」
人の流れが収まったところで一歩踏みだすと、ちょうど柱の陰になっているすぐそこに、葉月が立っていた。
手にしたスマフォへ視線を落としており、気づいてない様子。
……ああ、そうか。
そういや俺、読んだもののメッセージ送らなかったな。
たったひとことでも、『着いた』と。
「っ……え」
「……はー」
いたことで安堵したのと、すぐに見つけられなかった申し訳なさ。
そして……ここにいてくれたことの、嬉しさと。
いろんな感情がめまぐるしく動いて、少しだけ疲れた。
振り返ろうとした葉月を抱き寄せ、顎下に収める。
普段とは違い、ほんの少しだけ向こうのあの家の匂いがした気がした。
「たーくん?」
昼間、優人が真似したのと同じ言い方。
少しだけ腕を緩めると、目が合ってすぐそれはそれは嬉しそうに笑われ、なんともいえない気持ちが広がった。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
「っ……」
迎えに行ったら何を言おうとか、どう話そうとかいろいろ考えてたはずなのに、いざ顔を見たら何も言葉が出なかった。
あー、だっせぇ。
顔見たら何も言えなくなるとか、ンだよそれ。
胸元へ手を当てたまま柔らかく笑った葉月を見て、髪を撫でるように手が伸びる。
「おかえり」
「ふふ。ただいま。たーくん、お仕事帰りだったの?」
「あー……まぁそんなとこだ」
コート脱がなくて正解だったな。
この格好だけ見たら、そう思って当然。
メッセージに気づかず一度帰宅したことは、なかったことにしておく。
「昨日ちゃんと連絡くれてたのに、気づかなくて悪かったな」
「ううん。もしかしたら具合悪くなっちゃったのかなって心配したんだけれど……元気そうでよかった」
あんだけ『迎えに行く』と言ったくせに、結果として待たせるはめになった。
何が、空港まで迎えに行くだよ。
全然間に合ってねぇっつの。
「つか、お前ひとりで来たのか? 気づかなかったとはいえ、それなら空港で待ってりゃよかったのに」
「あ、違うの。えっと……お母さんと一緒に帰ってきたの」
「美月さんと?」
葉月がわずかに首をかしげ、少しだけはにかんだように笑った。
その意味がわからず、だが……何気なく振り返り、げ、と漏れる。
すぐ、ここ。
葉月と同じく、大き目のスーツケースを持った美月さんが、くすくす笑いながら立っていた。
「うっわ!」
「ふふ。こんばんは」
「いや、これは……つーか全然気づかなかった。美月さん、いつからそこいいたンすか」
「そうね、孝之君が先に葉月へ気づいてくれたあたりかしら」
「げ」
それって、一部始終じゃん。
葉月の頬が少し赤い気はするが、それは俺が手を出したからなのか見られたからなのかはよくわからない。
美月さんは葉月の隣へ立つと、意味深な笑みを向けたあと『よかったわね』とささやいた。
あー。やらかした。
そりゃそうだよな。
あんだけ“ひとりになるな”と言っていた恭介さんが、葉月だけ帰すわけがない。
それに、彼女とてすでに1週間滞在していたわけで。
いくら自分の式のためとはいえ、それは伏せられてもいたわけだしそんなに長く仕事は休めないだろう。
「嬉しいわ。孝之君が、葉月をこんなに待ちわびてくれていたのがよくわかって」
「いや……なんつーか、まぁ……つい」
「でも、おかげですてきなものが見れたわ。……恭介君には内緒にしておいたほうがいいかしら?」
「できればそっちでお願いします」
すでに、葉月からは十分な距離を保っている。
つか、なんかすげぇ嬉しそうっすね。
まるで『いいもの見たわ』と言い出しそうな満面の笑みで、だからこそバツが悪い。
美月さん、そんな顔する人だったっけ。
うっかりお袋に葉月へ手を伸ばしてるのを見られたときと同じような反応をされ、邪気がないぶんあのとき以上に居心地は悪い気がした。
「それじゃあ、孝之君。葉月のことよろしくね」
「もちろんです。って……葉月、いつ湯河原へ送ったらいいですか?」
これまでアイツは、ずっと向こうで過ごしてきた。
からこそ、向こうでの役割は当然あるだろうし、そもそもどういう約束になってるかを俺は知らなかったから。
反射みたいなもん。
だが、美月さんは意外そうな顔をすると『あ』と口にした。
「恭介君、言わなかったのね。しばらくは、葉月が送った荷物が届くと思うから、一緒に受け取ってあげてくれる?」
「荷物って……それじゃあ」
「新しい生活の準備を整えたら、きっとすぐ4月になるでしょう? だから、また孝之君が来るときで十分よ。お母さんも待ってるから、また来てくれる?」
「それはもちろん。また、来週の土曜あたりに行く約束は簗瀬さんにしてたんで」
恭介さんには聞いてない。
どころか、葉月にも。
湯河原ではなくウチ宛てに荷物が届くということは、大学はこっちから通うってことに恭介さんと話し合ったのか。
葉月を見ると、目が合ってすぐ嬉しそうに笑った。
「明日からはまた、よろしくお願いします」
少しだけ、はにかんだような顔で口にされ、一瞬なんとも言えなかった。
……それはこっちのセリフだな。
「ああ」
つい葉月の頭に手を置いたが、『あ』と思ったのはしたあと。
だが、恭介さんとは違って美月さんは微笑むだけで、正直助かりはした。
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