何度か味わわせてもらった風呂は、雪の影響もあって露天に人はおらず、貸切状態だった。
 ま、すっげぇ寒かったけど。
 それに、あれだけぱらついていた雪も今は小雨に変わっており、どっちかっつーとそのせいだったんだろうな。
 さすがに数分で引き上げ、内湯で温まりなおした。
 が、今日は風呂がメインだったのではなく、ラウンジが目的。
 とっとと上がってそのまま向かうと、雪見酒目当ての人間はかなりおり、思った以上に混雑していた。
 それでも、ひとりってことでカウンターに通してもらえ、目的は十分果たせたけどな。
 ただ……やっぱ、ひとりで楽しむよりも、誰かと一緒に見たほうが気持ちは違っただろうよ。

『きれいだね』

 葉月なら笑ってそう言うだろうなと容易に想像でき、俺が離したのに隣にいないことを少しだけ後悔もした。
「……はー」
 結局、ラウンジでもハイボールを1杯飲んだだけで終え、こうして大人しく部屋に戻ってきた。
 誰かと過ごすことをそこまで求めてなかったくせに、アイツがそばにいることが当たり前になってからというもの、つい“足りなさ”を覚えるようになった。
 そのせいで勝手に寂しさを感じるようにもなって。
 ……迷惑な感情でもあるな。
 必要だろうにそんなことを覚え、誰にあてるでもないのに少しだけ苛つく。
「…………」
 ついさっきまで葉月からメッセージは届いていて、改めて『おやすみ』と打ち終えたところ。
 テレビをつけてもどうせおもしろい番組はないだろうし、風呂もラウンジも今日は満喫済み。
 寝てもいいが……ぶっちゃけまだ早い。
 葉月にとっては寝る時間だが、俺にとってはまだ十分起きていられる。
「あ」
 そのとき、スマフォの充電が残り少ないのが目に入った。
 ……フロント行けば充電器借りられるか?
 恭介さんが幾つか持ってるのは知ってるが、葉月はすでに寝る体勢なわけで。
 まあ、大して時間は過ぎてないし、起こしてもいいけど……今、会ったら引くに引けない気はする。
 やっぱ、ダメもとで聞くのがベストだな。
「あ?」
 受話器を上げてフロントへ電話をかけようとしたら、部屋のチャイムが響いた。
 ……うわ、なんかデジャヴ。
 いや待った。それこそ俺は前回、部屋の中から対応はしていない。
 “押した”のは見たし、結局『なんか用?』って平気じゃねぇのに平気な顔して話したけどな。
 今日の晩酌は女将も美月さんも、そろって土産に持ってきた発砲日本酒を飲んでくれた。
 女将は普段ビールしか飲まないらしいが、かなり甘めにも関わらず『いい酒だ』と言ってくれ、ホントそういうとこさすがだと思うぜ。
 ま、ふたりで瓶開けたあと普通にビールへ切り替えてたけどな。
 美月さんはグラス1杯ほどでだいぶ酔っているのがわかり、葉月が何度かお茶をついでいた。
 ……さて。
 別に明日用事はないが、この時間から二次会ってなると寝るの何時だ。
 前回、恭介さんはビールのロング缶12本を持ち込んできた。
 あのときは俺に聞きたいことも言いたいことも相当あったからだろうが、え、今日は何についてだ?
 ついさっき終えた葉月とのメッセージでは、恭介さんが無事に帰ってきたことを聞いた。
 今日は別に何もしていないし、当然彼に叱られるようなヘマをした覚えはない。
 ……うわ、怖ぇな。
 この時間に響くチャイムがどうしたってあのときを彷彿とさせることも、つい“叱られる”と身構える自分も、なんだか少しだけ切なくはあったが。
「……な……」
 意を決してドアを開けた途端、目が丸くなった。
 当然表情は変わる……が、驚きから訝る方向へ動く。
「お前な……」
「ごめんなさい」
 開口一番謝ったってことは、俺が何を言いたいか十分わかったんだろう。
 呆れたわけじゃないがため息も漏れた。
 当然だ。
 この時間にこの寒さの中、ストールこそ羽織ってはいるが、美月さんに借りた浴衣姿の葉月が立っていたんだから。
「…………」
 入れてやってもいい。もちろんな。
 ここまでどう両親をかいくぐってきたのかはわからないからこそ、内緒で来たんだとしたら……当然今すぐ送ってくほかない。
 コイツがいないってわかった時点で、恭介さんは確実に乗り込んでくる。
 ンなことになったら、こないだの比じゃなく確実に離れさせられるだろうからな。
 だが……。
「入れてもらえない?」
「……少しだぞ」
「ありがとう」
 おずおずと見つめられ、内心お前それずるいだろとツッコミは入れておく。
 しかも、ドアを開いた瞬間ほっとしたような顔をされ、当然胸の奥がうずく。
 ……ンな顔して俺のとこ来るとか、どう考えたって“わかって”るとしか思えない。
 コイツに限ってそれはないと思ったものの、もう一人の自分はどこかで願っているようにも思えて、相変わらず面倒な感情だなと思いもした。
「もう、休むつもりだったよね?」
「いや。充電器借りに行くとこだった」
 テーブルへ置きっぱなしのスマフォを見たことで、葉月は『あ』と小さく口にした。
 まあ……コイツを送りながら聞きに行けばいいか。
 なかったら、仕方ねぇから恭介さんのを借りる。
「で?」
「え?」
「わざわざここに来た理由はなんだ」
 別に説教する気はないが、聞きたいことではある。
 窓際の椅子まで行ってもいいが、できることなら早く帰したいのもあって、お互い座ることなく切り出していた。
「別に部屋取った意味ねぇだろ。なんで本宅に泊まらせてくれるつったの断って、ここに俺がいると思ってンだよ」
「だって……どうしても、来たかったの」
「な……」
「それじゃだめかな?」
 まっすぐに俺を見たまま、葉月はおもむろに唇を開いた。
 笑顔じゃない。戸惑ってるわけでもない。
 見せたのは、意志の強そうなまなざし。
 それこそまるで、“ずっと考えてたの”とでも言わんばかりの顔だ。
「たーくん……前に聞いたでしょう?」
「何を?」
「期待したろ、って」
「っ……」
「……私……ずっとだよ? あのときからずっと……どこかで期待はしてるんだから」
 予想外のセリフに口が開いたが、それを見て葉月は苦笑した。
 いや、俺がこういう反応するのはわかんねぇ?
 誰が思うよ。
 お前の口からンなセリフ出てくるとか。
 俺が言うのとはワケが違う。
 なのに……ずっと、とはね。
 じゃあいつ、どのときからだ。
 もしも今そうつっこんで聞いたら、もっと教えてくれるのか?
 お前がいつ、何を期待したかってことまで。
「たーくんは、私を守ってくれたんでしょう?」
「……俺が?」
「優しいことはちゃんとわかってる。もちろん、みんなも……わかってると思うよ」
 そういうわけじゃねぇけど。
 もし今ここで断ち切ったら、お前どんな顔する?
 別に俺は葉月を思って遠のいたわけじゃない。
 ……むしろ逆。
 コイツを傷つけてでもどうにかしそうだったのと、うっかり見つかったとき自身が責められるのを避けるためでしかない。
 つまりは全部、俺の保身。
 なのにそう受け取るとか、お前どんだけいいヤツなんだよ。
 事実はそんなにきれいじゃない。
 もっとどろどろしていて、黒くて、まさに欲望の塊でしかないのに。
「でも私……待てなかったの」
「っ……」
「何度も言うけれど……私ね、そんなにいい子じゃないから」
 そっと手を伸ばした葉月が、組んだままだった俺の腕に触れた。
 普段よりも熱い気がする。
 まなざしも、そう。
 何かを秘めているというよりも、確固たる想いを整えてきたからこその反映にも思えた。
「お母さんには……伝えてきたよ?」
「え……まじで?」
 てか何をどうやって。
 具体的にコイツが美月さんへ何を言ったかかなり気になるし……ってか、どう言ってきたんだお前。
 うっかり本音が出たらしく、葉月はくすくす笑うと小さく首を振った。
「本当は内緒でって思ったんだけど……心配するといけないから。その……いつ戻れるか、わからないし……」
「…………」
「……そんな顔しないで。もう。どきどきするでしょう?」
「いや、それは存分にしろよ。必要だろ」
 そこで初めて、葉月は困ったような顔をした。
 いつ戻れるかわからない、ね。
 どうしてそう思った? 感じた理由はなんだ?
 ついつい聞いてみたくはなるが、俺を見て頬を染めた姿そのものが物語ってるようにも思う。
 困ったようにではあるが、揺るがないまなざし。
 触れたままの手を握ると、小さく肩を震わせた。
「……今日は、12時までしか一緒にいられないのは、嫌なの」
「へぇ」
「時間制限があるのは……寂しいから」
 さっきまでと違って、葉月は俺に返すような形でつぶやかなかった。
 どれもこれも、自分自身の意志として伝えるかのように、言い切る。
 だから……口角は上がった。
 美月さんには、ってことは恭介さんは当然知らないんだろう。
 が、彼女ならうまくなんとかしてくれるんだろうな。
 どういう約束を結んだのかは知らないが、葉月は自分なりに責任を取る形で今ここにいる。
「っ……」
「こうまで言ったなら……期待どころか、覚悟してきたんだな?」
 もう片手を頬へ当てると、少しだけ瞳が潤んでるようにも見えた。
 その様が意志の強さを感じもし、笑みも浮かぶ。
 つか、それこそ予想外のセリフをどんどん吐くんじゃねぇよ。
 聞いてるこっちがたまんねぇっつの。
「あ……」
「途中でやめねぇぞ」
 するりと耳元から首筋へ手のひらを這わせると、ひくりと身体を震わせながらも改めて俺を見つめた。
 ……まさか、こういう顔するようになるとはね。

 たーくんが教えてくれたから……やっぱり、してもらえたら嬉しい。

 キスをすることも、触れることも。
 昨日聞いたばかりの言葉が、このタイミングで蘇る。
 ……いや、このタイミングだから、だろ。
「ずっと……そばにいたいの」
「……上等だ」
 目を合わせたままうなずいたのを見て、褒める代わりに短い笑いが漏れた。

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