「……はー」
「ちょっと、瀬那さん!」
「何?」
「何、じゃないですよ! っとにもー。朝から、ずーっと1日ため息ばっかりじゃないですか。見てるこっちの気が滅入ります!」
 ようやく迎えた、仕事終わりの夕方。
 18時半をすぎたところで、野上さんが俺の前にわざわざ仁王立ちした。
 だが、そんな格好でンなこと言われても、なんとも思うはずがなく。
 むしろ、『またヘンなこと言い出すのか』と少しだけ疲れが増した。
 今週ずっとそうだが、今日も当然閉館まで勤務。
 本来は当番制だが、先週末に俺が名乗り出たこともあり、率先して副館長が調整してくれていた。
 昨日早かったのは、図書館だけでなく大学自体の都合。
 設備点検で業者が入るからと、早々に退去を命じられたためだ。
「ていうか、ここ数日ずっとおかしくないですか? 瀬那さんのせいで、図書館自体の活気が下がってるんですけど」
「そう言われても」
「いいですか? カウンターといえば、図書館の顔なんですよ? 顔! なのに、その場所に座ってる人が物欝げでどうするんですか! 逃げてきますよ! 人が!」
「そう思うなら、代わってくれりゃいいじゃん」
「それは駄目です。瀬那さんがいないと、貸出率が上がりませんから」
「……俺は招き猫かなんかか」
 ちっちと指を横に振った彼女に、今度は呆れからくるため息が漏れる。
 俺だって、テンション上がんねぇときもあるっつーの。
 毎度毎度、へらへら愛想笑いは無理。
 アレはよっぽど俺に何か利があるときか、はたまた割とやる気が充填されてるときでもなければない話だ。
「いつもにこにこ元気よく! はい、ご一緒に!」
「……え、なんで?」
「なんでですかもー! だからっ! 笑顔じゃなきゃ駄目ですよ!」
「いいじゃん、別に。客商売でもなし」
「何言ってるんですか! お客さんありきですよ! だいたい、瀬那さん目当てで図書館来てる子も結構いるんですからね! 自覚してくださいよ? 自覚!」
「それこそ本末転倒じゃん」
「いいんです。それでも」
 ……うわ、言っちゃったよこの人。
 しかも、真顔で言ったな。真顔で。
 客のためとは言ってるが、結局は自分たちのためってのがバレバレ。
 それも、なんだかなぁと正直思う。
「とにかくっ! いいですか? 上がりまでの間は、しばらくにこやかに接して下さいね!」
「あーまぁはい」
「為せば成る、ですよ!」
「どうかな。成せぬも人の常」
「……もー。瀬那さん! なんでそんな後ろ向きなんですか!」
「別に後ろ向きじゃねーって」
 ちょいと弄って答えてやると、途端に両手を挙げて『もー!』と言い出した。
 随分古典的だよな、野上さんのリアクションって。
 まぁ、見てて面白いけど。
「見てますからねっ。ちゃんとしてくださいよっ!」
「はいはい」
「はい、は1回!」
「はいよ」
「よ、は余計!」
「……ずいぶん突っかかるな」
 今日はいつもの2割り増し。
 つーか、機嫌悪いのは俺じゃなくて野上さんじゃねーの?
 そういや、今日はまだいつも彼女の彼氏自慢を聞いてない。
 …………。
 はーん、なるほどね。
 そういうことか。
 だったら一層俺なんぞに当たってねぇで、とっとと自己解決すりゃいいのに。
 それこそ、どっちも大人じゃん。
「いよっ」
「…………お前か」
「あ、今舌打ちした? したね? 泣いちゃうよ? 俺」
「泣け」
 データベースの更新のためパソコンの画面を切り替えたら、カウンターへデジャヴかってくらい意気揚々と優人が現れた。
 つか、毎週会いにくるとかどんだけだお前。
 暇だけじゃなく、大きな意図を感じる。
 ……ま、そりゃあるだろうけどな。
「お前、ホントにやるとか暇なの?」
「えーひどーい。ちゃんと伏線張ったっしょ?」
「そういう問題じゃねぇんだよ」
「たーくんてば、そういうこと言うんだ」
「やめろ」
 すっかり板についてきたのが腹立つ。
 先週、あのチョコレートを渡してきた優人は、『試してみたくねぇ?』と俺に投げかけた。
 まったくそんなつもりはなかったし、アイツに限ってありえないと思っているからこそ即否定。
 だが、優人は俺に黙って動き、さらには翌日データという証拠を俺に送ってきた。
「つか、お前ほんと暇だな」
「失礼だなー。いいモン聞けたっしょ? きゃわゆい彼女のきゃわたんな萌ゆす告白とかもー、どんだけゲーム探っても出てこないよ?」
 葉月から優人が来たと聞いて即メッセージを送ったが、すぐ既読つけたくせに優人は半日スルーしやがった。
 電話しても同じく。
 あー腹立つ。
 コイツの意図がみえみえすぎて、だからこそイラっとするってのに。
「で? 今日はなんの用だ」
「あ、そうそ。これお前にあげようと思って」
「もういらねぇっつの。なんだあのチョコ。底に仕込んでんじゃねーよ」
「いやー、もっと早く気づいてくれると思ったのに」
 からから笑いながら、優人はデータディスクを差し出した。
 いや、いらねぇから。
 なぜか“東方見聞録”と書かれているが、コピーディスクって時点でアウトだと判断する。
「使い心地どうだったか聞こうと思ったんだけどさー、実は軟禁状態って知っちゃった」
「プライバシーの侵害だぞ」
「やだなー、俺とお前の間にそんな世界線は存在しないから」
 差し出されたディスクをつき返すものの、両手を挙げて受取拒否。
 はー……めんどくせ。
 どうせ捨てるはめになんだから、持って帰れよ。資源の為にも。
 つか、こんなモン職場に持ってくる時点でアウトだぞ。
 お前は普段、学校でもンなキャラなのか? って、誰に聞きゃいいのかわかんねーけど。
「だからこれ、ほい。タダ券あげるにゃん」
「…………」
 ぺらりと差し出されたのは、茅ヶ崎にできたばかりのブティックホテルの招待券。
 名前だけは聞いたが、当然行ってはいない。
 ……あー。
 そういや家じゃなくてここ行きゃいいのか。
 見落としてたわけじゃないが、相手が葉月って時点ですっかり頭から消えていた選択肢でもある。
 これまでの当たり前が思い浮かばなかったのは、やっぱ相手によるモンなのかもな。
「1ヶ月耐久とか、死んじゃうよ?」
「お前のせいで今週すでに死んでるっつの」
「あらまー。そんな喜ばなくても」
「はっ倒すぞ」
 盛大に舌打ちし、『じゃあねー』と帰りそうになった優人へ慌てて声をかける。
 チケットはまだいいとして、こっち。
 こんなディスクは、確実にいらない。
「いらねぇから持って帰れよ」
「およ、知らないの? それは『東方見聞録』つってね、マルコ=ポーロっつーおっちゃんが書いた日本の……」
「そういう意味じゃねぇよ」
 白々しく教師ヅラし始めた優人を、すかさず止める。
 わーってるっつの。だがしかし、そうじゃない。
 そもそも、お前が俺に渡してくるモンが、教育番組テイストのはずないんだから。
「そうじゃなくて、どーゆーシロモノなんだって聞いてんだよ。俺は」
「いや、コレがまたすごいんだよねー。ちょーキレイ。え、何、日本ってこんな国だったの? ってくらいの感動すぺくたくる長編」
「長編とかまず見ねぇ」
「いや、だからーなんつーの? ドキュメンタリーっての? 日本の四季折々の映像が入ってる、癒し系ってヤツ。ビタミンてことでおーけー?」
「……余計わからん」
 いかにも説明書き読んでますみたいな雰囲気があって胡散臭さ炸裂でしかないし、そもそも本当かどうかなんて関係ない。
 これまでの優人の生き様から弾き出される結果なんだから、むしろ俺にもどーしよーもないワケだ。
「ともかくまぁ、いらなかったら祐恭にあげて」
「ンなことしたら俺が嫌味言われるだけだろ」
「どうかなー。羽織とふたりで見るかもよ?」
「アホか」
 やらねぇだろうけど、まぁ知らねーからな。
 ひょっとしたらアイツ、見た目に反してそういう性癖のひとつやふたつないとはいえない。
 ま、なんでもいいけど。
 とりあえず、くれてやるにしても羽織経由では絶対アウトだから……って、いや渡さねぇだろ。
 処分だな。燃えるゴミでよし。
「……はー」
 閉館まで、あと1時間弱。
 結局手にせざるを得なくなったこの不審物を、うっかり職場へ置いていったりしたら俺の職は失われかねない。
 野上さんとか好きそうだけどな。まぁわかんねぇけど。
 葉月は見ないだろうが……つか、コレ見せたらいろんな意味で終わる。
 俺の命も。そして理性も。
「…………」
 改めてディスクを見ると、そこには確かに『東方見聞録 マルコ=ポーロ』という手書きの字があった。
 …………。
 まさか、もしかしてもしかすると、本当にそっちのDVDなのか?
 ひょっとして、だからアイツが手放したがったのか……?
「……うさんくせぇ」
 どちらにしろそんな言葉しか漏れてこないこのディスクは、正統派であってもなくても、やっぱり不審物に変わりなかった。

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