「じゃあ気をつけてね。ふたりによろしく」
「いってきます」
土曜の朝早く。
ってほどでもねぇけど、俺に言わせれば十分早朝に分類される9時前に玄関のドアを開けると、パジャマ姿で盛大なあくびをしながらお袋が手を振った。
アレ、このあと二度寝する気だろ。
いいよな暇で。
まぁ、俺も今日は休み……だが、予定がある以上暇ではない。
ある意味、任務みてぇなもんだからな。
「えっと……たーくん」
「なんだ」
「…………」
「ンだよ。言いたいことがあるならハッキリ言え」
ガレージのシャッターを開け、車の鍵を開ける。
もう間もなく3月とはいえ、今日は曇天。
どころか小雨がパラついていて、昨日より気温は高い気はするが雨のせいか寒く感じた。
「……眠れなかった?」
「なんで?」
「だって、いつもより機嫌悪いでしょう?」
ベルトに手を伸ばすと、ハメようとしたところで葉月は申し訳なさそうな顔をした。
「っ……」
「ストレス」
そういう顔すんなら、直接言ってやってもいい。
はっきり言えばそれ以上だけどな。
エンジンをかけ、葉月へ手を伸ばしそうになったところで踏みとどまる。
……これから運転しなきゃなんねぇからな。
ギアを叩いてから握ると、ため息が漏れた。
つかそもそも、何がストレスなのかわかってンだろ? お前。
察しがいいのも知ってるし、先を読めるヤツだよな?
中途半端な昨日のアレで、誰が高いびきで寝れるんだよ。
夜中までごろごろして、結局朝方また目が覚めて。
……本気でお前の部屋行こうとは思ったけどな。
口が滑ったらどんな顔するか見てみたいが、自分が苦しくなるだけな気はするからやめておく。
「たーくん、お休みの日なのにありがとう」
「別に。もともと今日は、俺も行こうと思ってたからな」
今日は、前回湯河原へ行ったときに簗瀬さんと直接約束した日。
月に一度といわずもっとおいでよと目が笑ってない状態で言われたが、今のところ笑って済ませておいた。
嫌いじゃないし、多分楽しいだろうと予測はできるが、なにぶんそんなに暇ってわけでもない。
「読み聞かせするの?」
「さぁ……とりあえず任せてはあるし、どっちかっつーと簗瀬さんに話聞いて、共有で終わりじゃね?」
あとは多分……つーか、どっちかっつったら、雑用メインな気はしてる。
国道1号線ではなく、いったん向かうのは駅方面。
ちらりと腕時計を見ると9時をわずかに回っているから、まぁ問題ないだろ。
葉月を連れて行ったことはない。
が、一度連れてこうと思ってた……つーかまぁ、自分のためだけど。
「…………」
いつもと同じ曲が流れる、いつもと同じ車内。
だが、こいつを乗せるのはそれこそ先週の日曜の買い物以来で、平日はまったく乗らなかった。
図書館へ行きたいと言ってもいたが、羽織がずっと家で勉強していたことが大きいんだろう。
一度誘いはしたが、律儀にも羽織の試験が終わるまでは自分も付き合うと言ったので、以来声はかけていない。
……っとに、真面目っつーかお人よしっつーか。
結局、昨日はあんな中途半端で終わり。
あー……ストレス。まじできっつい。
ついついため息が漏れることがあり、ひとりのときはまったく気にしないが、うっかり朝食を葉月と食べてたときも出て多少『あ』とは思った。
が、そのときと同じく葉月は特に何かを気にしてるようには見えない。
……てぇか、まぁ単に『何も言わないから』ってだけだけどな。
「え……?」
「お遣いモンだ」
さすがに開店直後とあってか、ほかに車は停まっていなかった。
駅前の本通りにある、蔵造の店構えを持つ酒屋。
“宮本酒造”と書かれている看板を見ても、まぁ当たり前だろうが葉月はピンときてなさそうだった。
「お酒買うの?」
「ああ」
そういや、小雨だからつって傘持ってこなかったな。
……週末は天気悪くなるんだっけか。
今週のどこかで見た天気予報が頭に浮かぶも、もう遅い。
ま、使ってない傘の1本くらい宿に余ってンだろ。
土砂降りになったら、駐車場まで借りてけばいいか。
今日は泊まりの約束ではないので、夜には帰宅予定。
そのときまで持てばいいが、もしかしたら難しいかもな。
「いらっしゃいま……あらやだ、ちょっと! お父さん!」
「っ……いや、なんでだよ」
自動ドアをくぐった瞬間、レジにいたおばちゃんが慌てた様子で奥へ声をかけた。
……のを、葉月が驚いたように見る。
そりゃそうだ。
俺はなんかの常習犯か?
ま、買いたかった酒はすぐそこにあったから、とっとと撤収が吉と見た。
「あ……これって」
「こないだのは、ラベルなかったけどな」
箱で積まれているもののそばには、瓶むき出しで飾られてもいて、葉月はすぐに気づいた。
もう1週間以上前、だな。
これなら飲めるだろうと持って行った、葉月の祝い酒。
女将は普段ビールしか飲まないらしいから、気に入るかどうかはわからない。
が、今日は美月さんへの土産に持っていくつもりでいた。
「美月さん、普段は酒飲まないんだって?」
「うん」
「でも、あンときこれは飲んだろ? だから、これならたまには恭介さんたちと飲めるだろうなと思って」
飲めない人間に飲ませる必要はないだろうが、あの夜はより彼女の雰囲気が柔らかくなっていた。
普段は、飲まないっつーか飲めないんだろうな。きっと。
恭介さんも女将もがっつり飲むから、自分だけはシラフでいないとっていう責任感みたいなもんから。
「恭介さん、いつ戻ってくるんだ?」
「今週どこかでって言ってたんだけれど、まだ少しお仕事のほうで難しいみたい。早く帰りたいって言ってたけれどね」
そりゃそうだろうよ。
あんだけでかい家にひとりとか、キツくね?
しかも、大事な娘も嫁もすでに帰国済みとあっちゃ、な。
彼のことだから、それこそ寝ずに仕事へ打ち込んでまさに鬼気迫ってンだろうよ。
目途が立って連絡してくる前に飛行機乗ってそうだけどな。
「…………」
今日とか。
やけにタイミングばっちりな相手だからこそ、思わずガラスの向こうに広がる曇天をつい見つめていた。
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