「おや、おかえり」
「……あれ。女将だけっすか?」
「いや、葉月なら奥にいるよ」
 簗瀬さんに借りた紙芝居を持ち、一度本宅へ。
 もしやと思って玄関を開けたら、今日はやっぱり鍵が開いていた。
 ……この差はなんなんだろうな。
 こないだは『閉めてる』と言ってたが、今日開いてんじゃん。
 俺が戻ってくるとふんでいたのか、それとも単純に葉月だけじゃなくて女将もいるからなのか……まぁなんでもいいけど。
 外に出ると、キッズルームから見た以上に雪がちらついていて、若干不安にはなった。
 ……17時から読み聞かせつってたな。
 俺はこの紙芝居だけ読むことにはなっているが、そもそもが途中でバトンタッチの予定。
 てことは、終わって即帰ればまぁ……まだなんとかなるか?
 そもそも今日は泊まる予定で来ておらず、着替えも一切持ってきてはいない。
 タイヤも当然ノーマルのままだし、数センチでも降ったらヤバい気はする。
 まぁ、車どおりがある道ならなんとかなるだろうけど。
 それでも、帰るなら早めのほうが当然不安要素は少ないからな。
「はー……」
 今週は、テレビをほとんど見なかったし、天気予報を気にする余裕もなかった。
 ……自分に余裕ねぇと、ホント情報入ってこねぇな。
 我ながら、こんなことになるとは思いもしなかった。
「っ……」
「あ」
 すらりと音もなく和室のふすまをあけると、葉月がいるにはいたが、なぜかカットソーを脱ごうとしているところだった。
 ちょうど裾に両手をかけたところで、腹部が見えている。
 ……えろい。
 うっかりまた口にしそうになった言葉を飲み込み、後ろ手でふすまを閉めるも、慌てて服を直した葉月は両手で自分の腕を抱いた。
「別によくね? 着替えていいぞ」
「もう。どうしてそうなるの? ……恥ずかしいでしょう?」
「散々見られてンのに?」
「っ……たーくん!」
 はいはい、悪かったよ。
 さらっと言ったのがおもしろくなかったらしく、葉月は批判めいたまなざしで『もう』と眉を寄せた。
「で? なんで脱ごうとしてンだ」
「お昼を作ってたら、ケチャップが飛んじゃったの。お母さんが代わりの服を貸してくれたから、落ちなくなっちゃう前に洗おうと思って……」
 そう言ってつまんだ先には、確かにケチャップのはねたような跡が付いていた。
 真っ白いからこそ、目立ちはする。
 そういやお前、普段はちゃんとエプロンしてるもんな。
「ふぅん」
「…………」
「…………」
「……たーくん」
「ンだよ」
「っ……ち、かい……」
 意図したわけじゃないが、紙芝居をテーブルへ置いて一歩踏み込むと、葉月が困ったように俺へ手を伸ばした。
 手伝ってやってもいいけど、つったらさすがに怒りそう。
 ……はー。
 そういう顔見せといて手ぇ出せねー状況とか、ほんと苦行だな。
 やっぱひとり暮らしするか。
 実家のよさも金回りのありがたみもわかっちゃいるが、常に手を出せる状況に相手がいるってことが、こんなにも逆にキツいとは思わなかった。
「あ……」
「終わったら教えろ。外にいる」
「……ん。ごめんね」
 最近、ため息ばっかだな。
 葉月の頭を撫でてから廊下に出ると、大した温度差はなかった。
 むしろ、中庭がすぐそこにあるから、廊下のほうが寒いだろうと思ったんだけどな。
 もしかしなくても、本宅にも恭介さんが手を入れてるってことか。
 中庭の葉にうっすら雪が積もっているのを見ながら、ある意味どうにもならないだけにそろそろ心配するのはやめるかって気にすらなり始めてきた。
「……あ。たーくん、ここじゃ寒いでしょう?」
「別に?」
 音もなく積もっていく雪を見ていたら、ほどなくして葉月が姿を見せた。
 ……つか、お前。
「え?」
「えろい」
「っ……もう、だからそれ……」
「ほかのにしろ」
「どうして?」
「どうして、っておま……あのな」
 美月さんに借りたと言っていた服は、黒のタートルネックだった。
 それは悪くない。
 が、ンなぴったりしたセーターはアウトじゃねーか?
 お前、今日ずっと家の中で過ごすならまだいいぞ。別にな。
 でも、俺が読み聞かせするって知ったら、絶対来るだろ?
 てことは……この格好をお前、ほかの連中に見せる気か。
「っ……!」
「触ってくださいつってんのと同義だぞ」
「たっ……だ、め……っ」
「なら着替えろ」
 ため息をついてから後ろ向きに抱き寄せ、当たり前のように胸に手を伸ばすとさすがに葉月が慌てた。
 胸の形がわかるような服着るな。
 しかも、こんだけ我慢させられてる状況だぞ?
 こんな姿見ながら、誰が平然と読み聞かせられンだよ。
 それこそ公共の場で殺す気か。
「もうっ! 乾いたらすぐ、こっちに着替えるから」
「あ、そ」
 さっきまで葉月が着ていたカットソーは、そこまで身体のラインがはっきり見えるものじゃなかった。
 ……それならまぁいいか。
 楽しくはあったが、当然自身は苦しい。
 はー。
 やるんじゃなかった。
「……たーくん?」
「あ?」
「あの紙芝居、読み聞かせするの?」
「嬉しそうだな」
「ふふ。この前も言ったけれど、たーくんの読み気かせを見られるなんて特別でしょう? とっても嬉しい」
 にっこり笑われるも、どこがおもしろいんだかは自分ではわからない。
 何回かは練習も兼ねて下読みをするつもりだが、ヘタしたらこいつはそれも付き合いそうだ。
 ネタバレになるとかそういうのは関係ねぇのか。
 まぁ、楽しんでくれるなら悪い気はしねーけど。
「雪になっちゃったね」
「お前、知ってたか? 今日降るかもって」
「うん。こんなに予報が悪いのに来てくれて、本当にありがとう」
「……あー、そういうこと?」
「え?」
「いや、別に」
 今日、来るときに“ありがとう”と言われたが、まぁ……どっちの意味でもあるんだろうな。きっと。
 俺と違って、葉月はきちんと把握していたらしい。
 ……が、今週はイマイチ話さなかったからな。
 今日はだいぶ改善したが、それでも葉月がそばにくると肌感覚的にはぞわりとする。
 コイツは全然変わらねぇ顔だけどな。
 そういう意味では、少し羨ましいか。
「お昼、もう食べる?」
「あるなら食う」
 ちらりと腕時計を見ると、まだ11時台。
 それでも十分食えるし、何よりも視覚的に外がこれだけ暗いせいか、だいぶ時間が経っているように錯覚もする。
「ん。それじゃあ、支度するね」
「いや、手伝う」
「いいの?」
「たりめーだろ」
 俺をなんだと思ってんだ。
 とはさすがに言わないが、手持ち無沙汰でもあるし、別に葉月がひとりでやる必要のあるものでもないからな。
 ともにキッチンへ向かうと、鍋に入ったミネストローネが目に入り、ああこれのケチャップなと納得。
 だが、何も言ってないにもかかわらず、なぜか目が合った瞬間葉月はモノ言いたげに苦笑した。

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